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小説 開運三浪生活 4/88「貫介サプライズ」

ロビーには、さっきのイケイケの一団のほか、サークル帰りと思われる五、六人の学生たちがたむろしていた。彼らが談笑すると、文生は出戻り留年生の自分が嗤われているような気がしてならなかった。一度そう思い込んでしまうと、生まれつき不器用な彼の足取りはなおさらぎこちなくなった。衆人環視のもとでは、自販機のボタンを押し、かがんで紙コップを取り出す単純な作業すら文生にとって高いハードルと化した。彼は渇望していたコーラをあっさりとあきらめ、出口へと向かった。ちょうどその時だった。見覚えのある一人の男子学生が外からやって来るのが見えた。

――貫介君?

なんだ戻ってきてたのかよ、と文生は思った。背筋をピッと伸ばした痩身にダッフルコートを羽織り、黒髪をワックスで立たせ、眼鏡越しの眼光鋭く一見インテリに見えるその風貌は、文生が広島にいるあいだ唯一連絡を取り合っていた県大の同期、田崎貫介によく似ていた。ちょうど昨晩、なかなか寝就けなかった文生は貫介とメールのやりとりをしていた。

〝明日オリエンあっから大学行くわ。気が重いけど〟
〝そうか。まあ気楽にがんばれよ。俺はまだ実家だよ〟

さっきまでアウェイの空間にいた文生は、旧知の顔を見てほっとした。それにしても、帰省しているはずの貫介がなぜここにいるのか。一瞬、事態を飲み込めずにいたが、事実、貫介は目の前まで来ている。――きっと大学に急用でもできて、帰省を切り上げたんだな。そう結論づけた文生は、一年ぶりの再会にそぐう台詞を探した。が、あいにく回転の遅い文生の頭脳を貫介は待ってくれなかった。自動ドアが開いた。貫介はまだこちらに気付いていない。

「……よお」

この日、文生が初めて発した声だった。自分から出た語彙の貧弱さと声のか細さに文生は驚いたが、もっと驚いたのは、貫介が何の反応も示さずすれ違って行ったことだった。

――あ……。

雰囲気こそ似ていたものの、顔のディテールが貫介とはいちいち違っていた。よくよく考えると、貫介ほど痩身でもなく、貫介よりも少し背が高かった。おそらく一学年下の、まったくの別人だったのである。

幸い、文生のくぐもった声はその男子学生まで届いていなかったし、この光景を気にする第三者もいなかった。文生は何事もなかったように前を向き、学部棟をあとにした。正門のアーチをくぐると、脇汗が噴き出していた。

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