見出し画像

小説 開運三浪生活 72/88「三浪生面目躍如」

五月もそろそろ終わろうとするある日の夜、文生がアパートに帰るとオレンジ色の封書が届いていた。宛名には「太田興大様」とある。初旬に受けた川相塾のマーク模試の結果だった。

「来た来た来た!」

文生は珍しく心情を声に出し、封を開いた。いつもなら手で無造作にビリビリと破くところを、ハサミで丁寧に切り開いた。折りたたまれた成績表をそそくさと開く。冷え性の指先が汗で滲み、胸が高鳴った。

「ぅし!」

八畳間の真ん中で、思わず右手こぶしを作った。五教科の合計点、八〇〇満点中六九七点。過去に受けた模試でもセンター試験本番でも、一度も取ったことのない高得点である。苦手な数学でも、他の教科と遜色ない点数を叩き出した。さらに文生の目を引いたのは、志望校別の合格判定結果である。

広島大総合科学部理系前期 A判定

おお、と今度は小さく驚きの声が漏れた。しかも、同じ学科を志望する受験者の中で堂々の一位とある。文生はある期待を持って、同封されていた冊子をめくった。受験者のうち合計点上位の何百人かの名前が掲載される、成績優秀者一覧である。

よもやと思ったが、あった。

太 田 興 大

もはや声は出なかった。偽名とは言え、そして浪人三年目とは言え、堂々の成績上位者入りである。もちろん初めてのことだった。文生は静かに冊子を閉じ、虚空を見上げて瞑目した。そしてもう一度、冊子を開いた。

太 田 興 大  不   明

地元への露見を怖れて捏造した架空の出身校「立教館」高校は、〝高校コード不明につき〟記載されなかった。実在しないので当然だった。おかげで「不明」の二文字が不気味に目立っていたが、そんなことはもうどうでもよかった。大戦果を目の前にして、文生はひとり昂奮を抑えられずにいた。

――川相塾に、ありがとうだな。

去年川相塾で学んだ成果が、遅ればせながら表れた格好だった。そもそもこの時季は、一般に現役高校生よりも浪人生のほうが模試では有利と言われる。そのアドバンテージを差し引いても余りある喜びを、文生は覚えていた。

同時に、自身を悲劇のヒーローにもなぞらえていた。受験者のほとんどは高三生である。成績上位者も大半は高三生であり、数百人の十七歳だか十八歳の少年少女が、二十歳の文生より高い得点をマークしたことになる。三年かかってまだ大学受験というステージにいる自分が、見方によっては惨めであり、滑稽であることを認めないわけにはいかなかった。

――でも、しっかり成長してるじゃねえか、俺!

歓喜と悲哀がないまぜになった文生は、音楽で喜びを発散させようとした。彼は楽器を持たないが、CDはある。と来れば、広島時代をともに過ごしたスナッパーズの楽曲をかける以外なかった。無条件に明るい『恋をしました』、失意からの再出発を期す『新しい朝』、そして『太田川』。立て続けに曲をかけ、文生はエアギターとエアベースをかき鳴らし、かつ歌った。

昂奮冷めやらぬ文生は、風呂から上がると東京の野田にメールをしてみた。この喜びを共有できるのは、高校時代ともに落ちこぼれだったこの盟友以外にないと思った。どんな反応が来るか楽しみだったが、夜勤のアルバイト中なのか、返事は来なかった。

もし野田が当事者だったら、こんな時きっと酒でも飲んで自らを祝したに違いない。酒に縁遠い家庭に育った文生に、その発想はなかった。布団に入ってからも頭の中は盛り上がり、なかなか寝つけなかった。

――自分復興。

文生は心の中でつぶやいた。当の文生自身とうに忘れていたのだが、再受験を決意した二年前の夏に掲げた、浪人生活のテーマである。というより、目的だった。

五月の終わり、文生は敢然と塾講師のアルバイトを辞めた。登録していたのはわずか二ヶ月、実働たったの八日という短い時間だった。文生からすれば、ヒトに教えている場合じゃないという感覚だった。要らぬストレスを感じるくらいだったら、月曜くらいしっかりと休養に宛てたほうが受験勉強にも好い効果を生むはずだ――どこまでも自分に甘い、文生らしい判断だった。稼いだ金は模試の受験料に充てることにした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?