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小説 開運三浪生活 26/88「破戒」

高校生になってもテレビを観ない生活を継続していた文生だが、二年に進級してしばらく経つと、ようやくにしてカラフルな二次元の世界への欲求が募り始めていた。

その頃の文生は、人生で初めて本格的に音楽を聴くようになっていた。後年、CDが一番売れた時代と言われ、邦楽ロックと呼ばれるジャンルが日本の音楽シーンを牽引していた。CDを買う習慣がまだなかった文生は、ラジオから流れる楽曲をテープに録音して何度も聴いた。曲を最初から最後まで流しきるラジオ番組「ミュージックスクエア」は重宝した。まさに邦楽ロックに特化した番組で、リスナーからのハガキによる週間ランキングではイエモンやグレイ、ラルク、スピッツが滅法強く、世間ではそこまでバカ売れしていないはずの曲が五週も六週も連続一位になったり、シングルのカップリング曲がトップ二十位に入ったりと、偏った音楽チャートを発信していた。文生にとって音楽にまつわるほぼすべての情報源が、ミュージックスクエアだった。

ラジオでしか知らない曲が食事どきにテレビから聞こえてくると、その度に文生はやきもきした。特に、弟の武登が毎週欠かさずに観るミュージックステーションの時間になると、文生は振り返りたい衝動と闘わざるをえない。

――スピッツが演奏してるとこ、観てみてえ!
――『HOWEVER』のサビって誰がハモってんだ?
――持田香織ってどんな顔して歌ってんのかな?

そんなに観たいのならさっさと解禁してしまえばいいものだが、それはできないと思った。母親に落胆されるのが怖かったからである。高まるテレビ欲を満たすために文生がとったのは、家族が寝静まった深夜にこっそり観るという行為だった。平日の深夜は邦楽ロックを中心にPVを延々流すローカル番組を、土曜の深夜にはCDTVを視聴した。ただし、家族にバレてはいけない。本当はイヤホンをテレビに刺してバンドサウンドを楽しみたいところだが、もし家族が降りてきた時にすぐ気づけるよう、テレビに近づかないと聞こえない最小ボリュームで視聴した。それが高校二年の夏、ちょうど小説『北の海』に出会った頃だった。

テレビを観ないという不文律に、「人前では」という但し書きが付いたことになる。一線を越えてしまうとテレビ欲はさらに高まり、今度は音楽番組以外の映像も観たくなった。

この頃、茶の間のテレビデッキにある一本のビデオテープが、文生は気になっていた。ケースには武登の字で『耳をすませば』と書かかれてある。テレビ放送を録画したものだった。実はかねてより興味のあった映画だった。なんとかして家族に気づかれずに観たい。映画なので、台詞が聞き取れるくらいには音量を上げたい。せいぜい三十分で終わる音楽番組と違い、少なくとも二時間程度のまとまった時間が必要である。文生は機会を伺った。

チャンスは小春日和の日曜に巡ってきた。武登と両親が、市内に買い物に行くと言う。昼食も外で済ませてくるとのことだった。文生は面倒だったし、この年で親と一緒に行動するのも恥ずかしいので家に残った。父親が運転する車が発進したのを二階から見届け、文生はテレビの前に急いだ。

待望の映像作品である。アニメーションの人物と声が連動する、この感じ。十年前に観た『キテレツ大百科』以来の感触だった。宮崎駿が描く青春は、カラフルで、みずみずしかった。細部まで描かれる日常の世界に、ずっと浸っていたいと思った。

テレビにしがみつき、父親の車が引き返してこないかときどき気にしながら、文生は画面越しの青春を堪能した。駐車を知らせるサイドブレーキ音が聞こえたら、終演だった。上映時間はあっという間に過ぎた。無事に観終わると、武登にバレぬようオープニングまでテープを巻き戻し、元の位置に収めた。

味を占めた文生は、毎週同じ手で『耳をすませば』をくりかえし鑑賞した。高校を卒業する頃には、台詞の大半をそらんじてしまっていた。数年後、久方ぶりにこのVHSを再生した武登は思ったであろう。

――ずいぶん、画質が劣化したな。

犯人は不肖の兄である。

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