国際交流デスノート214

私らしくないテーマ。
人間交流が希薄な私が、国際交流って、、、。
ありえなくない?

そうなんです。
結局ね、国際交流というのはちょっと不自然な話なのかもなぁと思ったわけ。
それぞれのコミュニティーで、自分の生活をしていくこと。
あるいはそのコミュニティーとして支援したり、されたり。
そのなかで、自然発生的に、企業なら事業拡大とか、学校なら外国からの転校生が来たとか、そういうことで必然的にその人たちと親交が深まる、かどうか。

はい、国際交流しましょう!
外国人、日本人構わず集まれー!!
としても、上手くいかないよね。
仕事の話ならわかりやすいけれど、主婦目線でいくと、
料理教室でもやろうかな?となった場合、
例えばオランダ人の先生がオランダ料理を教えてくれる、教室に通う。
あるいは、自分が料理教室を主催して、オランダ人の生徒さんを募集する。
いずれかなんじゃないかなぁと思った。
例えば市などの第3者が国際交流という名目で、器を用意したところでニーズは無いか、一度の経験で終わってしまうような気がする。

小学校でも国際交流の授業があるのだけれど、
その授業に、子供の同級生のハーフの子たちはどんな思いで参加しているのだろうか?とふと思ったの。
子供のハーフ同級生が、我が家と相手のお家を行き来してお泊まり会などをしている。その際にたこ焼きパーティしたり、相手の国の木彫りを見せてもらったり、
それが国際交流なんじゃないかなぁ。と思った。
小学校に必要なのは、国際交流というよりも社会の授業として、さまざまな国があるんだなぁとか、この国の気候はこうなのかぁとか、そんな風に学んで、自らそこに行こう、関わろうとする意思や興味が生まれることが大事な気がした。

日本にいる外国人が、日本人のために、ホームステイをして回ってくれるというシステムもあるらしい。それって、お友達になれるのかなぁ?
その組織からの貸出しマッチングシステムでのバイトみたいな物らしいのだけど、
まぁ、いいバイトではあるよね。けど、交流ではないよね。
そういうのに応募するのは、子供好きで良い人が多いから、それはそれでありがたいのだけど、マッチング以外での個人的なやり取り、までは大概ならないらしい。
その、個人的なやり取り、そちらの方こそが親交であり、交流なんじゃないのかなぁ?なんてふと、疑問に思った。

必然的な親交が、国際的になるには、
自分自身が国際的な人間になる以外にはないんじゃないだろうか?
それは別に、大企業の海外事業部に限った話ではなくて、
例えば私が在日の人に日本語教室をすることだったり、ティーサロンを開くことだっていいし、SNSで世界中に配信することだってある。
それでだって、市役所引率ボランティアと外国人とのいざこざはよく聞く話で、病院ボランティアも同じ、結局はお互いのコミュニティに戻っていく。

漠然とした国際交流で第3者でいる限り、現状は変わらない。
自分が当事者になって実際の生活に落とし込むことが、国際人になることなのかもなぁ。自分の世界を広げるのが一番手っ取り早いってこと。
でもきっと、それが一番ムズカシイのかもね。

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