自己肯定感デスノート215

学校の成績、就職、結婚
次は子育て、常に競争の中で追い立てられてきた。
さらには英語ができない。英語ができても今度は人種の壁。
というのが次の悩み。
そして収入と貯蓄と時間、、、。
これは悪いループというか、幸福ではない人生の典型なのかもしれない。

結局さ、
なんでもかんでも、悩みに行き着いてしまう。
その悩みは自己肯定感。

私これでいいよね。
あなたそれでいいよ。

これが欲しいのよね。
自分にも相手にも。
誰かが、すべての悩みは人間関係の悩み、だと言っていた。
そのすべての悩みの根底には自己肯定感の低さがあって、
そのさらに元には、本能としての劣等感があるのかもしれない。

生まれ持っている本能の劣等感を
健全な向上心としてその存在を認め、
自らのこと、相手のことは肯定できる生き方。

それが幸せな生活のような気がします。
それをね、
実社会ではどうやって実行するのか。
相手がいる世界で、どのように実現していくのか、
それがムズカシイのよね。

それで私は思ったのよ。
勉強ができなくてもいい。
大企業に就職したり、起業したりしなくてもいい。
英語ができなくたっていい。
料理が下手でもいい。
お給料を全部使い果たす浪費家でもいい。
なんでもいいのよ。

なんでもいいんじゃない?というとすごく投げやりな印象を受けるけれど、
うんうん、いいね、いいんじゃない。
というと柔らかくなるかな。

興味がないわけではないんだけれど、
お節介はしない。
そんな状態かな。
じゃぁ、自分の興味の対象に走る。というのは、プラレールに熱中している少年の様になってしまい、自己中心的世界観。
それは違うよね。
世界中の人への興味は持っているよ。
あなたの事、見ているし、認めているよ。いいと思うよ。
私は今これをしているよ。
私は自分が面白そう、なんだかいいな、その範囲の中で生活していればいい。
と、まぁこんな感じだろうか。
それが狭い世界になるのか、広い世界になるのかは、お楽しみ。
なのかもしれないなぁ。



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