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自分のレールを自分で選び、組み替えられること

知り合いからお願いされて、女子大生に囲まれて自分の話をする会へ。

(海の前で大口開けて笑ってる自分の写真入りの紙があちこち貼られてる恥ずかしさw)

こじんまりした会で、一人ひとりの顔を見てキャッチボールしながら話せたのがよかった。

なんだかみんな思った以上に、将来と仕事に対して不安そうだった。そんなものなのかなあ、自分が大学生の時ってどうだったっけ。

「社会人になると制約がふえて、いろいろなことが自由にできなくなるんじゃないか…」と質問してくれた学生さんがいたのだけど、

個人的な所感は逆で、社会人になってからのほうが自分で選択できることが増えて、どんどん自由になってる感じがあるよ。(自由ゆえの不自由さや孤独もあるが)

私の幸福度に大きく寄与しているのは、

自分の走りたいレールを自分で敷いて、走ってみて違ったらプラレールみたいにレールを組み替えられる(と知っている)こと

だと思う。

誰かの敷いたレールを走って、それが組み替えても良いものだと分からないうちはとても苦しかった。そういう意味では、高校時代より大学時代、大学時代より社会人のほうが、ずっとのびのび生きられている気がする。

そして同時に、今の自分がそういう感覚でいられることは決して当たり前ではなくて、むしろとても運が良いのだとも思う。

さまざまな環境、障害、過去などによって「自分で選ぶ」ことができない場合もたくさんあって、私自身、明日にでもそうなる可能性がある。今の仕事をしながら考えるのは、どんな環境であっても「自分で選ぶ」ことのできる人を増やしたいということだ。

少し話が逸れてしまった。

最後に、学生さんたちに伝えそびれてしまったことをひとつ。

高校や大学卒業で仲の良い友達と離れるのは寂しかったけれど、社会に出て世界が広がりいろいろな人と出会うたびに、新しい自分と出会い直す感覚がある。新しい自分で昔なじみの友達に会うと、その人の新しい面にも出会えたりして、それはとても楽しいよ。

「歳を重ねるのも悪くない」というにはちょっと生意気すぎる、26歳のぴよぴよですが。

#diary #エッセイ

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