歌舞伎&文楽『夏祭浪花鑑』(miru)

新国立劇場にて『夏祭浪花鑑』を歌舞伎と文楽ではしご。今回はどちらもいわゆる華型の演者はおらず、その代わり国立劇場を飛び出した新たな空間の使い方に工夫があった。現在は歌舞伎だけでなく文楽もスターシステム的な側面が強いので、スターでははなくプロダクションとして見せる趣向自体がなんだか新鮮に感じられる。

新国立劇場中劇場の扇形のエプロンをうまく使った歌舞伎の祭の演出も面白いが、個人的には文楽での照明の工夫を買いたい。好き嫌いはあると思うが、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を意識しているのか、人形とは本来もっと陰のある光のなかで見るべきものじゃあないんだろうかと思わせてくれるところに私は惹かれる。三船内の段は照明の転換はほとんどないが、陰の深い光の当て方が必殺仕事人風というか昭和のアバンギャルドな雰囲気。長町裏の段は切り替えも多くてキレのある照明。どことなく鈴木忠志の光を彷彿とさせた。舞台後方の提灯が出てこなかったのは残念だけど、そこを微かな赤いムービングで表現するなどかなり凝っている。スポットライト的なシーンの切り替えはやりすぎると人形の邪魔になるのかもしれない。いつもこれがいいのかと言われるとそうではないが、これくらいのデザイン性を演目と演出に合わせた選択肢のひとつとしてこれからも積極的に残していって欲しい。

『夏祭浪花鑑』は特に好きな演目で、何回か観るなかで少しずつ解釈の違いもわかるようになってきた気がする。歌舞伎と文楽の違いというのもあるように思うが、長町裏の段で、歌舞伎の方、彦三郎さんの団七は義平次をいよいよ殺すときに刀が震えて止まらない。刀に憑かれたようにも見え、運命へと否応なしに突き動かしていく外的な力に団七は怯えながらも、その力から逃げることはできない、という風。一方、文楽の蓑紫郎さんの団七では、義平次を刺し殺してしまう力は団七自身の内的なものとして湧いてくるように見える。「ムゝこりやモウ是非には及ばぬ、毒喰はば皿」が団七の意志における転換点として強く感じられるからだ。(これはよく考えると『マクベス』の短剣の場面の解釈の多様性と重なる。)個人的には後者の方が悲劇的でそそられるが、それはもしかすると近代的/西洋的な趣味なのかもしれない。

国立劇場9月文楽鑑賞教室『伊達娘恋緋鹿子』/『夏祭浪花鑑』
2024年9月7日(土)~2024年9月22日(日)
新国立劇場小劇場

国立劇場9月歌舞伎公演『夏祭浪花鑑』
2024年9月1日(日)~2024年9月25日(水)
新国立劇場中劇場

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