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「お母さんヒス構文」に感じる違和感

「お母さんヒス構文」という言葉をご存知だろうか。
芸人のラランドさんがラジオで取り扱ったのがきっかけで広まった言葉である。
ラランドさんのYouTubeでも「お母さんヒス構文」についての解説がされている。

「お母さんヒス構文」とは「お母さんが論理を飛躍させる、または論点をすり替え、ヒステリックな語気を伴うことで相手に罪悪感を抱かせる構文」

出典:https://youtu.be/cQG5j8hdfUE

ヒス構文の例文は以下のようなものがある。

子ども「友達の家の麦茶が美味しかったなあ」
母「お母さんが入れる麦茶より友達の家の麦茶の方が美味しいってこと?じゃあもう養子にもらわれなさい。」

出典:https://youtu.be/cQG5j8hdfUE

なるほど。
たしかに子供は友達の家の麦茶の話をしているのであって、我が家の麦茶の話はしていない。ましてや「家を出たい」なんて一言も言ってない。
なのに母親を責めたような状況にされて、罪悪感を植え付けられているというわけか。

家族というのは本当に閉鎖的なコミュニティで、友達の家庭であっても全く見えない。
だからこそ、
お母さんって怒るとこんな感じのことあるよね、他の家庭でもそうなんだ。私1人が辛いわけじゃ無いんだ。
と、他の家庭を覗き見して安心する子供が出てくるのも、なんとなく分かる。

ただ「お母さんヒス構文」が広まり、揶揄されるような世間に対して違和感を覚えるのは、私だけだろうか。

◇◇◇

「お母さんヒス構文」が急速に広まった時に感じたのは、
ヒステリックになっちゃうほど追い詰められた精神状態の女性を、なぜ躊躇いもなく揶揄できるの?という疑問だ。

お母さんからヒステリックに罪悪感を植え付けられるのはキツイし辛い。
しかし、ヒステリックなお母さんを揶揄することに躊躇いを覚えるかどうかは、また別の話ではないのか?


ヒステリックな言葉を放つ母親 vs 罪悪感を植え付けられる子供、という構図。

この場合、守るべきはもちろん子供である。
…という考えに基づいて「お母さんヒス構文」は責められ揶揄されているんだと思う。

しかし、もしかしたらこの子供はとんでもなく口が悪く毎日母親に暴言を吐いており、仕事と育児で睡眠時間が少なく、旦那からのケアも届かないほど憔悴してるかもしれない。

このような時に出る言葉を、「お母さんヒス構文」と揶揄できるだろうか。

ここで言いたいのは、「親からヒステリックな言葉を向けられても仕方ない状況ってあるよね」という話ではない。(そんな状況は無いと思っている)

論理飛躍した発言は、どんな立場の人でもする時はする。
なのにお母さんヒス構文がこれだけ話題になるのは、この図でいう
睡眠不足、子育ての不安、子供の暴言、毎日早退する気まずさ、といった背景への考慮が、対象が「お母さん」になった瞬間に無くなるのではないか

そしてその理由は、他の立場と比較したときに「母親」という立場が、どんな状況であっても優しく正しくあるべきだしそれ以外認めない、という強い共通認識があるからではないだろうか。

◇◇◇

例えば、お母さんヒス構文と、上司ヒス構文。
この二つの言葉がどちらも「ヒステリックな語気を伴うことで相手に罪悪感を抱かせる構文」だとして、
上司ヒス構文の方は「部下に迷惑をかけられたら、ヒステリックになることもある」「中間管理職はストレスが溜まるから仕方ない時もある」と背景を考慮する気持ちがあり、そこまで広まらない気がするのは私だけだろうか。

「上司」のあるべき姿の許容範囲よりも、「母親」のあるべき姿の許容範囲の方が、ずっとずっと狭い。
上司に限らずあらゆる立場と比較して、「母親」という立場は、世間一般から許される範囲がとても狭いし情状酌量の余地も無いんだと感じた。
正しい「お母さん」像が狭すぎて、ヒステリックな母親なんて一発アウト。議論の余地がないからこそ、ここまで急速に広まったのではないだろうか。

◇◇◇

「お母さんヒス構文」が話題になったことで感じたことがもうひとつある。

お母さんがヒス構文を使うようなストレスを受けるのには、なんらかの理由があるはず。
その原因は、旦那ヒス構文かもしれないし、お母さん自身の両親ヒス構文かもしれない。姑ヒス構文の可能性もある。上司ヒス構文、部下ヒス構文、近所付き合いにおけるヒス構文のせいかもしれない。

なのになぜ「お母さん」のヒス構文だけが取り上げられてて揶揄されるのか?
というか、お母さんヒス構文を面白半分で取り上げている人でも、ヒステリックになったことぐらいあるだろう。
なぜ自分だけは「ヒス構文」を受けた被害者ヅラをしているのか?すでに「お母さんヒス構文」の原因になっている、加害者かもしれないのに。
そうなった時に、背景を考慮されることなく「お前ヒス構文」と揶揄される覚悟はあるのか???

そんな風に考えるのは生真面目すぎるだろうか。
「罪のない者だけが石を投げよ」は、極端すぎる考えなのか、もしくは古い感覚なのか…。

◇◇◇

最後に、この話で取り上げたいのは子供側の精神的苦痛ではなく、
ヒス構文を言うような母親を揶揄して取り上げるような世間のことである。
子供の苦痛の話は全く別問題であることを、最後に書いておきたい。

それと、お母さんヒス構文という言葉が出てきて世の中がそれを平然と受け入れているのを見て、私は心底、母親にはなりたくないなと思った。

ヒステリックになっただけで、「ヒス構文」と揶揄されるような、厳しい目を向けられる立場なんだ。
ヒステリックになることが「あるある」になるような厳しい社会なんだ。
そう強く感じた。


この話はこれでおしまい。解決策は無い。

強いて言えば、私は自分の親がヒステリックになったとしても揶揄する気持ちを持たず、冷静に話そう。


やつはし

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