午前1時半の独り言

「ブログかあ。」

部屋で寝転がりながら一人。
なんとなく登録してみたnoteのアプリを立ち上げる。

10代の頃に流行ったmixiも、20代の頃に流行ったfacebookも。その他諸々、Twitter、vineにinstagram。
なんとなく全部触ってみては、そうのめり込むこともなく辞めてしまった。
30代。性懲りもなくまた触ってみる。

「ブログかあ。」

先ほど心の中に浮かんだ言葉を、今度は口に出してつぶやいていた。
30代、独身、男性。6畳間で一人、いやさ、“独り”つぶやく。
狭い部屋に響いた言葉は、部屋の広さをそのままに、寂しさだけを拡張していた。

思えば今まで触れてきたコンテンツ全てが、少しの寂しさを埋めるためのものだった。
そしてその寂しさの大概が、部屋で寝転がりながら“独り”の時に押し寄せるのだ。

ブログなるものを考える。
SNSで自己を発信し、時には繋がり、同好の士を集う。
スマホ1台あれば世界は常に開けていて、真に“独り”の時間というのはもうあり得ないのかもしれない。
常に誰かと共有しているコンテンツに包まれて、寂しさを感じるのも貴重な時代。

何かを表現する時に、承認欲求というのは大きなモチベーションの1つだ。
SNSは承認欲求を満たすことに特化した表現媒体だと思う。
フォロワーという、明確に可視化された自分の作品への評価点が次の作品へのモチベーションとなる。
SNSで無限に広がり共有された世界の中で評価を得ることが、とてつもない快感をもたらしてくれるのだ。

ブログなるものを考える。
というか、自分が今、わざわざ自分を表現する媒体として、何故今、ブログなるものを選んだのかを考える。

日々の出来事を日記の様に綴りたい。
自分の考えを誰かに伝えたい。
知識を広め、共有したい。

どれも近いようで遠い。
なんとなくで始めたものだ。理由など特にないのかもしれない。
少し触って、また今までと同じようにのめり込むこともなく辞めてしまうのかもしれない。

ここまで書いた文章を読み返す。
我ながらひどい文章だ。思いついたことをダラダラと綴り、それに後付でそれっぽい理屈を足す。
SNSと承認欲求のくだりなんかは、特にひどい。
なにが、「快感をもたらしてくれるのだ。」だ。
酔っている。これは完全に自分に酔っている。
書く内容も決めぬまま方向性も定めずに、突き進み、行き着いた文章の果て。
「楽しいなこれ。」
思ったよりも心が踊っていた自分に驚く。
稚拙な駄文がこの世にひっそりと産み落とされたことに、思わずほくそ笑む。

なんとなくで始めたものだ。方向性も何もない。
すぐに飽きて終わるかもしれない。無限にある可能性に少し身震いする。
大袈裟な物言いは悪い癖だ。が、何を書いても自由なことに気づきまたほくそ笑む。

午前1時半の独り言。
明日は特製カレーのレシピでも書くか。

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