#エッセイ 『昭和の子供と根性』

   ここ十年くらいでしょうか、教育の現場では体罰などがよく問題になっています。最近では保育園でも虐待があったという報道を耳にして本当に驚くと同時にすごく心を痛めてしまいました。まだ自分の意思を表すすべも無い幼児が虐待にあっていたとは本当に信じられないです。数年前までの報道では中学や高校の部活内での体罰などがよくニュースになっていました。人が人を教え導く事がいかに難しいかという事を伝えていると思います。そんな事を考えながら僕が子供の頃はどんな感じだったかという事を思い出してみました。

 僕が子供時代に学校に通ったのは、昭和五十年代から平成の初めまでです。その当時の事を今思い出すと、学校の教師も塾の先生も結構普通に体罰という事をしていましたね。僕はそんなにやんちゃな子ではなかったのですが、そんな僕でも何回か先生にビンタなどをされた記憶があります。
   あれは中学校一年の頃です。何をして叱られたのかもよく覚えてないのですが、男性教師にビンタをされたことがありました。やられた当時の僕はそこら辺の普通のガキです。そしてあんまり賢い子ではなかったので深く物事を考えられなかったのでしょう。何となく”悪いのは僕だ”と認識していた記憶があります。それゆえに先生に対する怒りとか恨みを感じることは特にはありませんでした。むしろ家に帰って、今日学校でビンタをされたという事を悟られないように・・なんてことを先に考えていました。それは親や教師などの周りに対する思いやりでもなんでもなくて、家に帰ってもう一回叱られる事を回避するための当時の僕が考えた精一杯の浅知恵なんですね!僕なりにちゃっかりしていた訳です。そんなことのあった日は家に帰ってから普通にふるまうように努力するのですが、そんな日に限ってその晩ごはん時が気まずいものだったりするんです。お袋がコロッケなんかが乗ったお皿を食卓に置きながら笑顔で
『今日、学校どうだった?』
なんて聞いてきたりするんです。それはそれで一応は親として子供を可愛がってくれてはいたのでしょう。しかし僕にしてみれば“なんで今日に限ってそんな事聞いてくるかね!”と内心ドキドキで、その場の思い付くままに
『うん!まぁ普通だったよ!あ、そう言えばあのね・・・』
とか言いながら、ありもしない作り話をして多弁になっていたりするんです。まぁ昼間のビンタがばれないようにしていたんですね。中学生にもなれば反抗期にも入って親と口なんか利きたがらなくなるもんですが、こんな時はバツの悪さからか何だか積極的に自分から話をしてしまうんです。人が嘘をつくときは多弁になるという事をその頃に直感的に学んだように思います(笑)。しかも自らでしでかした経験で・・。それからどうなるかといえば、だいたい一晩寝ればケロッと忘れて普通に学校に通っていいた記憶があります。これは特に僕に根性があったという事ではなくて、周りの友達でもそんな感じでした。また別の日には教室の離れた席に座っている友達が先生に引っ叩かれているのを見て“今日はヒロシがやられてるわ・・”というような感じで、それを見ればやっぱり僕もビビりますし、教室全体に緊張感が走るのですが、その後も何事も無かったかのように時は流れていくのですね。そしてその子もその後にイジイジするわけでもなくケロッとしているんですね。そんな感じであの頃はちょっとした体罰なんか誰も問題にしていませんでした。当時の親たちも誰も文句なんか言ってきませんでしたが、今になって思えば、それはおそらく子供のほうで勝手に吸収して解決されていたからだろうと思います。親も何も知らされなければ文句なんて言って来ようが無いですからね。まぁ良くも悪くも牧歌的な感じがする時代でした。
   もう一つ自分の思い出の中から話をするなら、中学校二年の時に通っていた塾での出来事も印象に残る事があります。国語の授業でのことです。この件にしても、もう叱られた内容すら覚えてないのですが、三十過ぎの角刈りの先生に罵られるように叱られたことがありました。その時は僕の態度と性格をかなり攻撃されたように記憶しています。もちろん歳の差もあるし相手は大人です。オドオドしながらその場をしのいだ記憶があります。それから一週間が過ぎた同じ講師の授業を受けた時の事です。授業中にその講師が解説している最中にもかかわらず一生懸命手を挙げて
『ハイ!ハイ!先生ハイ!分かった!ハイ!』
と手を挙げて何だか一生懸命に答えたんです。先週叱られまくった僕がです!しかも間違えだらけの答えをです(笑)。そうするとその先生は目を丸くして
『お前すごいな!先週あれだけ俺にやられてもこんなにケロッとして・・お前ほんとに偉いよ・・』
と言うのです。その時の光景と感情は今でも覚えているのですが、実は僕としては何も考えてなかったのです。その講師が僕の事を好きだろうが嫌いだろうがそんなことはちっとも気にして無かったのですね。先週ボロカスに叱られた事なんてあの時の僕にとってはどうでもよくて、なんだったらその時は“自分が知っている事は何でも答えたい!”というだけの事だったんだと思います。良くも悪くも当時の僕は本当にまだ“子供”だったんだと思います。むしろ講師のほうが気にしていたようで、その講師は続けて
『普通あんなに叱られれば不貞腐れるか、来なくなるぞ。でもお前は今日も来て元気に・・・、お前は心が強いわ・・・すごいよ・・・』
と、首をかしげながらしみじみと言っていました。一応は褒められたのでしょう。でも僕の方ではではそんな感覚が一ミリも分からなくて、そんな事を言われてもちっとも嬉しいとも思わなかったのですが、なぜかこの事は年数が経つほどに思い出して考えてしまいます。なんだったら僕は今の方がイジイジしているような気がします。僕はいつからこんなに心が弱くなったのだろうかと・・・。

  以上二つの話は僕の思い出の中からの話ですが、次は僕より十歳ほど上の人たちがどんな子供だったのかという事を書いてみます。これは僕が中三の頃に通っていた塾の先生に、僕が二十歳を過ぎたころに聞いた話です。
    その先生が昔とある雑居ビルにある塾に勤めていた頃の話です。その塾では毎月、月例テストをしていたそうで、生徒には“テストの日だけは遅刻をしないように!”といつも口を酸っぱくして言い聞かせていたそうです。ですが、そのテストの日にちゃんと遅刻をしてくる子が必ずいたそうです。その遅れてきた子に先生は
『貴様!帰れー!』
と怒鳴るんだそうです。先生にしてみれば“嘘の本気”で叱るのですが、生徒である子供にしてみればそんなことは分かりません。そして懸命に喰らいついてくるんだそうです。
『テストだけでも受けさせてください!』
と、そんな子は背筋を伸ばして、少し頭を下げて懇願してくると先生は言ってました。その行動は男の子も女の子も一緒で、見た感じがひ弱そうな子でもそう言ってきたそうです。先生は内心“たいしたもんだ・・”と思いながらも、テスト用紙を床に投げつけると、生徒はそれを拾って教室に入ろうとします。すると先生は
『邪魔だから外でやれ!』
と怒鳴り教室から追い出したそうです。そうなるとその遅刻した生徒は雑居ビルの階段に座って問題を解いていたそうです。階段を机代わりにして背中を丸めながら裸電球の下で一生懸命に汚い字で解答したクチャクチャの回答用紙をだしてくるとの事でした。その当時は“しょうがない連中だ”という思いと、“根性があるな”という気持ちになったそうです。今にしてみればあの当時が懐かしいと言っていました。そして授業終わりの塾の帰り道でその悪ガキたちが先生を見かけると遠くから
『ヤーイ、ヤーイ!』
と囃し立てて走って逃げていく姿はわんぱくそのもので可愛らしかったと懐かしんでいました。その話の最後に
『君らの頃は、“帰れ”と言われたらそのまま帰ってしまう感じだったからね・・』
と言われたことがとっても印象に残っています。
 そう考えると、僕らの世代はすでに根性が無くなっていた世代だったのかもしれません。世間ではよく“今どきの若者は・・”という様に言われますが、実は僕たちの世代もそう言われてきたのですね。そんな僕から見ても今の若い人にはそう感じてしまう瞬間があります。なぜそうなってきたのでしょうか。社会全体で個人の権利を主張する時代になったからでしょうか?それともSNS等でちょっとした事でも拡散されてしまうからでしょうか?はたまた少子化で親の目が行き届くようになり過ぎた結果として、過保護な育児になってきているからでしょうか?それとも新聞やニュースでの体罰等のセンセーショナルで過激な報道によって皆で過敏になり過ぎているのでしょうか?どれもある意味正解で、ある意味不正解と思ってしまします。時代の流れとともに育児と教育の在り方は変わるもんですから、僕では答えを出すことは難しいと思います。ただ、確かに今の若い人たちは僕らの頃に比べて相対的に優く、そして素直な子が多いです。そして僕らの頃よりちょっと打たれ弱いですね。でも時には叱ってあげるという事も大切だと思います。そう思っても指導の方法に規制がかかるのは、叱る方に大きな問題があるのでしょう。よその国の事はよく分かりませんが、少なくとも僕たち日本人は人の上に立って指導をする立場になるとなぜかしら“叱る”と“怒る”の区別がつかなくなる人が多いようです。本当はそこを見直すべきだと思うんです。問題は今の若い世代にあるのではなく、実は今の僕たちおじさん世代にあるようにしか思えないのです。どうしてそういう観点での議論が起きないのかが不思議でなりません。
 子供たちのやんちゃでわんぱくな姿を街の中で見ることは未来の社会の活力がそこにあるわけですから、それをみんなで喜びたいと思うのは僕だけでしょうか?子供なんて手がかかればがかかる程腹も立ちますが、手がかかった分だけ本当にいい青年に育つと僕は思っています。
 でも今の社会の中では、叱らない、もしくは叱れないという環境の中でしばらくはやっていくしかないと思っています。









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