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物事に正解を求める考え自体が既に労働者

 最近と言うか結構前から〇〇FIREやら、〇〇リタイヤなどと言うワードをよく目にするようになった。ある程度金を貯めてから、完全に物理的な労働からリタイヤしたり、または働き方を変えて半分労働からリタイヤしたりする生き方を、資産の大小、働き方の分類で〇〇FIREや〇〇リタイヤと分類する様だ。

 もう辞めたがXを以前使っていた時は、辛い労働から何とか逃れられる方法は無いかと、憑りつかれた様に〇〇リタイヤ系や〇〇FIRE系の人間を見ていたが、今はもう観察していない。何故ならそんな事をしたところで、満足な金自体も無いし、労働からリタイヤをした系の人間達が大して幸せそうにも見えなかったからだ。

 言語化しにくいけれど日本人の傾向として、一定の正解に自分を当て嵌めれば幸せになれると思っている様な節がある。例えば大量の金、家、家族、多くの友達、人脈、スキル、多くの物、車、貴金属類、社会的ステータス等など。

 挙げれば幸せになれると思わされている対象が腐るほどあるが、こうした物を果たして手に入れた人間達を見ていたところで、なんだかんだ当たり前だが悩み事や心配事はけっこうありそうだ。それに若くして大量の資産を確保しリタイヤして、やりたい事に取り組んでいる人を見ても、実のところやりたくて仕方がなかった対象は、そこまでやりたい様なものでもない風に見える。

 思うに実はやりたい事なんて皆本当はないけど、やりたい事がなければ幸せにはなれないと思わされているだけじゃないのかな。

 そもそも労働からリタイヤ出来れば幸せと言うのなら、労働からリタイヤ出来ていない人間達に対して、ネット上でマウントを取って偉そうな説法をしない筈だ。何故なら労働していない状態が既に幸福と言うのなら、他人に対していちいち無駄な説法を説く行為をしないと思うのだけど。

 既に幸せならそのままの状態を維持し続ければいいのに、そうしないのは何かしら意味のあると自分が思う事をしていないと、仮初でも幻覚でも自由を感じられないからだろう。その実、暇を持て余して自由の苦痛の方が勝っている様に見えてしまう。

 何というか大して誰も幸せそうには見えない。自分が幸せだと思いたいから、〇〇をしているに過ぎないのかもしれないが。

 時たま労働からある程度リタイヤした人に、どうすればあなたの様にリタイヤ出来ますか? など聞く人を見掛けるけれど、きっとそれこそ労働を辞められれば幸福になれる、労働を辞めて○○リタイアや○○FIREすれば自分にとっての正解と考えているからだろう。

 この正解や一定の正しさを求めるマインドが、心底悲しいくらいに労働者なんですよね。素晴らしい学校教育の弊害で、既に自分の頭でどうすれば自分にとっての正解なのか、考える事を喪わさせられているから。まぁでも自分がどうすれば幸せになれるのか、苦痛から解放されるのか、それが分かれば誰も苦労しないんですけどね。

 けれども自分の頭で、自分にとって一体どうするのが正解なのか、まるで舗装された道の歩き方を教えてくださいが如く、誰かしらに聞くのは仕方のない事だ。何故なら正解を過剰に求める背景には、失敗を強く恐れるマインドを植え付けられてしまっているから。

 失敗すれば恥ずかしいし、金と時間を無駄にする恐れがある。だから何もしない事が正解なんですよ。何もしない。何もしない、をしている。

 変わらない事、変われない事の威力と、何よりもの安心感は非常に強力で、これは年齢を重ねれば重ねるほど引力が強くなって行く。年齢が行ってからでも行動している人はしているけれど、そうするとそんな人間を見た周りが大体馬鹿にしてくる。そんな歳になってから周りと比較して持つ者を持っていない、何も得ていないお前は何をやっているだと。早くお前も周りと同じになれよと。それこそが安心するんだよと。それが失敗しない唯一無二で不変の正解なんだよと。

 皆気付いていないが、○○すれば幸せ、○○の状態であれば幸福になれる、と言う風潮や幻想、錯覚が、ネット社会になってからことさら目立つようになった。まるでゴールドラッシュで沸き立つ労働者に、つるはしを売る人間の様に。そうそう、この世はつるはしを売る人間が一番利益を得ている。

 皆答えが欲しい。幸せに成りたい。そもそも他人に勝ちたい。幸せになって他人を踏みにじりたいし踏みつけたい。他人と比較して自分の安心を確保したい。持っている自分が、持っていなさそうな他人を見下してその実、安心したい。ならどうすればいいのか、何をすればいいのか、どこに行けばいいのか、誰に聞けばいいのか、分からない、分からない。効率よく当人にとっての正解に辿り着ける正解を教えてほしい。間違えない、失敗しない答えを。

 要はこの失敗を受け入れたくないマインド、誰かに間違えない教えを乞うマインドが既に学校で純粋培養された労働者のマインドなんですよね。失敗すれば恥をかくし笑われるし馬鹿にされるかもしれない。難しいことだけどそれを受け入れないと凡人ほど、どんどん時間が経過し追い詰められて行く。

 そうこうしている内に他者や世間からの同調圧力で、この年齢でこれくらい出来て当然だよねと言う見方が強まる。追い込まれたくないのなら、早い内に安全地帯から出て、試行錯誤して自分なりの人生の正解を見つけないと行けない。働いたまま死んで行きたくないのなら。気が付いたら働いていただけで、人生の大半が終わってしまったと言う状態になりたくないのなら。自分の事をないがしろにして、気が付いたら周りに誰もいなくなっていた状態になりたくないのなら。

 漫画のハンターハンターで、キルアがイルミに刺された針を抜く描写があるけど、あれこそが人間が自分の人生を後悔しない様に生きれる方法だと思う。

 他人が容易してくれた固定観念、舗装された安心を追い求めて手に入れたら思っていた物と違う、なんて事は往々にしてある。けれどそうなってしまうのも仕方がない。何故なら多くの人間に、自分がどうしたら、どう生きたら幸せになれるか、なんて考えられ、勝手に労働者にならずに好き勝手行動されたら管理出来ず税収も安定的に取れず、国や支配層が迷惑するからだ。

 個々人の幸福のことなんてのは考えてもいない。在るのはただただいくら金を一人の人間から搾り取れるかだけ。いかに労働者から労働者を再生産させられる様に思想誘導するかだけだ。

 だが大半の人間はそんな事を考えさせられる間もなく、働き続け、そして後悔しながら死んで行く。何かを変えるには若さと行動力、ある程度の金、そして時間が必要だ。それらは仮初の安心を手に入れ維持する資金、または労働で疲れ切った体に染みわたる酒やギャンブルなどで溶けて行く。で、自由に生きていそうな人間を見て嫉妬する人間を量産する事になる。人の夢と書いて儚いとはよく言った物ですよ。やれやれ。まぁ幸せにはなれないとしても、少なくとも死ぬまで物理的に、奴隷労働する事からは解放されたいですねぇ