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友達の兄が亡くなって、いつ死んでもおかしくないんだと実感したのだ

いつもとても真面目でタメになって生活に役立つ最高の話ばかりして世の中に貢献という名の慈悲を振る舞っている私だが、今回も今回で真面目な話をしていこうと思うぜよ★

うん…。

このぐらいの季節になると、いつも思い出す。

中学の頃である。

1つ下の学年に友達…まぁ仮にAと呼んでおこう。Aがいた。

結論から言ってしまえば、Aには当時高校生の兄がいて、その兄さんが部活中に確か心臓が突然止まってしまうといった類の…突発性の病気か何かを発症してしまったのだ。詳しいことは忘れてしまった。

その病気のせいで、Aの兄さんは突然帰らぬ人となった。
(聞いた話ではあるが、Aの兄さんの件があったがゆえに、地元の教育機関などでAEDの設置が早まったらしい)

私はAの兄さんと全くもって面識はなかったし、顔も見たことはなかった。

Aの兄さんが亡くなって数ヶ月経った頃、Aの家で友達数人と遊ぶことになり、意気揚々とAの家へと向かった。

まだ私以外にメンツは集まっておらず、カバンを下ろしてあたりを見渡していると、確か…仏壇(のようなもの)があったと記憶している。そこに兄さんの遺影があった。

Aの兄さん、かっこいいな…と、私は本心から思った。なんかイケメン俳優みたいだった。

仏壇には、兄さんとその彼女が一緒に写っている写真なども飾ってあったりして、私はいろんな想像をしてしまった。

この彼女さんは、兄さんが亡くなってしまった時にとても悲しかったに違いない…とか。
Aの家族は兄さんが亡くなってしまってどれだけ辛いだろうか…とか。
そもそも、Aはいつもと変わらず振る舞ってるけど、哀しいことに変わりはないはずだ…とか。

Aが麦茶かなんかを持ってきてくれるのを待っている間、私は写真をそっと見て、そんなことを考えてしまっていた。

それからというもの、友達がゾロゾロとAの家にやってきてゲームを始めるも、私はいまいち楽しめなかったのを記憶している。人がとてもナイーブな気持ちになっているというのに、ポテチを食いながら人を殴るゲームなんぞやるんじゃあないぞ!!

日も暮れて、Aの家を後にして家路についているとき、私はやっぱりAの兄さんのことを考えていた。

写真を見るとあんなに元気そうだったのに…突然死んでしまうなんてことが本当にあるんだ…。

その時から、心のどこかに「いつか死んでしまうし、いつ死んでもおかしくないのだ」という気持ちが植えられた。

それは私自身にも言えることではあるが、最愛の人にも言えることである。

兄さんの彼女さんも、まさか兄さんが突然亡くなってしまうなんて夢にも思わなかっただろう。

中学生ながらに、人の死を経験したのであった。

おーわりっ!

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