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その瞬間を未来につなぐ文章とは

40歳になったせいか、ぼくの涙腺はゆるい。

このあいだは、朝の通勤電車で新書を読んでいるときに、高校生が一生懸命がんばったという話が出てきただけで、目の奥がすっぱい感じになった。ちょうどのタイミングで会社の最寄り駅に着いたので、ぐっとあごを引いてホームへ飛び出した。たぶん、家族とか子供とかの話には、てきめんに弱い自信がある。「はじめてのおつかい」なんて、想像するだけで泣きそうなので見ない。

そして、これも40歳になったせいか、泣くだけじゃなくて、笑うも楽しいも、あとめったにはいけど怒るも、喜怒哀楽の記憶がどれも忘れたくない感情に思えて仕方ない。

家族で旅行に行ったり、会社の同僚とアイデアをひねったり、サ式の仲間や社外の友人と飲んだり笑ったり、そういう瞬間ひとつひとつが、とても貴重な、タイムラインを流れて消えてしまうには惜しい瞬間に感じる。
ぼくは、忘れっぽい性分なので、1週間前に泣くような体験があったとしても、あまり正確に思い出せない。それがなんだか、すごくもったいないと思えてしまう。

そう感じるようになったからか、毎日少しずつ手帳に「残しておきたい今日の記憶」をメモとして残すようにしている。そして、noteを書くのも近いところがある。

自分がなぜ、感情を揺さぶられたのか?
どうして明るい(暗い)気持ちになったのか?

そういったスイッチを書いて、残して、客観的に見直して、理解することは、たぶん文章や編集の仕事に役立つ。
その瞬間を他人の脳みそに再現することが、コンテンツをつくる仕事の肝だからだ。

そのときに、誰がなんと言ったか。場所はどこか。どういう雰囲気だったか。かかっていた音楽や、印象的な匂いや、遠くに見えた景色はなにか。そういった五感に残るひとつひとつを言葉にして書き残しておくと、何ヶ月たったあとでも思い出すことができる。

瞬間を閉じ込める文章に必要なのは、何が存在したか?の事実だ。正確な描写があることで、気持ちが素直にその場へ戻ることができる。

記録を残すという意味では、写真や動画のほうが正確なんだけど、文章のほうが不思議とその場から見えた景色がフラッシュバックする。
だから、これから何年か経ったあとに、手帳のメモやnoteの文章を読んで、40歳のぼくが何を見て、何を考えていたかを思い出すことができたなら、その価値はどれほどになるだろう。

それを考えて、なんかまた泣きそうになっている。

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