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文章に説得力がうまれる理由
世の中には2種類の文章がある。
「体験したことを書いた文章」と、「体験してないことを書いた文章」だ。
結論から言うと、体験したことを書いた文章には説得力があり、体験してないことを書いた文章には説得力がない。
人の話をつぎはぎした文章は、なぜか軽い。言葉が残らないし刺さらない。
先日、ほぼ日の塾にお手伝いとして参加してきた。
塾の内容を公開することはできない約束なのだけど、ぼくが感じたのは永田さんをはじめとする講師4人と、糸井さんが話すことが持つ説得力の深さだ。
塾では、80人の塾生からさまざまな質問がよせられる。
そして、塾生から質問がよせられるたびに、答える側は少しだけ考える。自分の記憶の引き出しから「こういうときには、こうした。だから、こういうことだと思うよ。」という話をする。
自分が体験してないことを「こうらしいよ」と話すことはなかった。体験してないことは「それは、ちょっとわからない。でもね…」と、近い体験をきっかけに話しているように思えた。
そして、答えられる質問には、質問者の期待を3倍は超えるんじゃないかという話を出してくれた。質問した塾生が気づけてない可能性や、本当はこう考えているんじゃないかという言葉にできない想いまで配慮しているように感じた。
だから、ぼくは「なるほどなるほど」と深く何度もうなづき続けることができた。
文章も同じことだ。
体験してない「~らしいよ」の文章は、無責任だ。質問者の悩みに向き合っていない。質問者には、「この文章で自分が伝えたかったのは何だっけ?」と考える「書くときの自分」も含まれる。自分と向き合ってない文章に、他人の悩みと向き合う強さはうまれない。
だから、もし偉い人や有名な人の話を聞いて「なんかモヤモヤするな…」と感じたら、「なぜ、そう言えるんですか?」と根拠を尋ねてみるといい。
もし、納得できる体験がないなら、本気で信じないほうがいいとぼくは思う。
そして大事なことは、体験してきたことを根拠に話ができる自分になることだ。
自分の体験の引き出しに、ひとつひとつラベルを貼って、聞かれたときに思い出せるよう準備をしておくことだ。
さあ、これはたいへんだぞ。と、偉そうなことを書いたあとに気がついた。
40年近く生きてきて、ぼくはそんな作業を意図的にしたことがない。のらりくらりと毎日を過ごし、3日前の昼食さえ覚えてないような記憶力でやりくりしてきた。体験の記憶はあっという間に消えていく。そりゃ、説得力がうまれないわけだ。
とはいえ、過ぎたことはどうにもならない。
まずは、忘れたくないことをnoteに書き続けることから始めよう。そうすれば、体験を根拠に話せる自分に近づくことができるのだと思う。
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