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「時代の流れを汲み取っていきたい」

矢作川の西に広がる岡崎市の矢作地区。国道1号の矢作橋から旧東海道へ入るとすぐに勝蓮寺はある。浄土真宗の宗祖親鸞とのエピソードが伝わり、徳川家康が輩出した松平家とも深くつながる。そんな古刹の清水行則住職はミュージシャンでもある。コンピューターで曲をつくるDTM(デスクトップミュージック)を30年前に始め、ベーシストや音楽プロデューサーなどとして活動した。時代を感じながら音楽に向き合う世界に生きた住職の話からは「空気感」や「時代の流れ」といった言葉が出てくる。


本堂で“DTM”の発表会も

――DTMは、米津玄師さんやYOASOBIのAyaseさんがボカロP(ヤマハ「ボーカロイド」などの音声合成ソフトで楽曲を作って動画投稿サイトに発表する音楽家のこと)の出身ということでも注目されましたが、その先駆けだったんですね。
「18歳くらいのころ、音楽教室でベースを教わっていた先生の自宅へ遊びに行ったら音楽機材やパソコンがあって、『これから音楽はコンピューターでつくるようになる』と言われました。驚いて、面白そうだと思い、教えてもらって、自分でもベースを自分で弾くだけじゃなくて、ドラムや歌などを入れたりして、曲をつくるようになりました」

本堂で語る勝蓮寺の清水行則住職

――そして今はDTMで曲作りを教えていらっしゃるとか。
「はい。だいたい10数名の方に教えていて、小学生から70代の方もみえます。また本堂で生徒作品の発表会も毎年していますよ。
DTMの発表会ってなにをするのかと思うでしょう。最近は自分の作品に自分で動画も付けるんです。動画を流しながら音楽を聴いてもらって、他の方に感想を言ってもらいます。狭い部屋でやるよりも、生徒さんも喜んでくれるんです。広いし、暗い中で少し灯りをつけたらムードがあって、ドキドキするんじゃないですか」
――若い頃からそのまま、音楽の世界へ進んだのですね。
「DTMで曲をつくれるようになったりして、音楽の仕事をもらえるようになったので、30歳ごろに東京も拠点にしました。松田聖子さんや浜崎あゆみさん、ももクロ(ももいろクローバーZ)などのメジャーレコーディングに参加したこともありました。40歳で地元岡崎市に帰って2018年に住職を引き継ぎました」

アップライトベースを持つ清水住職(左)。本堂でのスポーツストレッチ教室(右、勝蓮寺提供)

親鸞聖人の教え、松平家との縁

――ご自坊の勝蓮寺は歴史がありますね?
「そうなんですよね。元々は天台宗の僧恵堯が、師の恵心作の薬師如来を、矢作の里の柳樹の元に御堂を建てて納め、柳堂薬師寺と称したことが起源といわれています。親鸞聖人が各地でお念仏の教えをひろめながら、文暦2年(1235年)に三河(愛知県)へ入られました。そのころの浄土真宗は新しく、時の幕府にも弾圧されておりましたが、当寺の別当舜行が親鸞聖人のお念仏の教えに開眼され、法弟となり、恵眼の法名を受け、真宗に改められました。
また、松平家との縁が深いお寺です。徳川家康公の父親の松平8代広忠公、家康公の長男の松平信康公、石川日向守などの崇敬が厚く、特に17代住職行誓の時には松平信康公と関係が深かったそうです。多くの遺品が保存され、信康公の唯一の肖像画もその一つです。昔からのお檀家も本多、鳥居などの姓の徳川の三河武士の末裔の方も多いですね」

松平信康の肖像画(勝蓮寺提供)

これまで通りでは難しい

――そんな深い歴史を持つ勝蓮寺を、これからはどのようにされていこうと考えられていますか?
「本音を言えば、継続することだけでも精一杯です。今はどこのお寺も大変ではないでしょうか。例えば、文化財にしても建物にしてもやはり老朽化をしていくので、何とかしないといけないと思っています」
――お寺や御門徒さんの今後については?
「これまで通りでは大変難しい時代ではあると感じております。昭和、平成と、檀家制度のような、なんとなく“仏事をしなければならない”という空気感が以前はありましたが、今は少子化でもあり、お寺や仏事から心が離れていっていると感じております。それは僧侶の責任でもあります。一般の方には仏事や教えは、やはり少し難しく、これまでのように、わかりやすい説明があまりなくやってきたやり方をしても、理解を得るのは難しいかと思います」

親鸞聖人が布教した柳堂の旧跡と記された石碑(左)。親鸞の説法石・御腰掛石

選択肢としての「お寺でお葬式」

――そんな中、昨秋から矢田石材店のサポートでお寺の本堂でお葬式をする「お寺でおみおくり」に加わりました。
「ここ10年くらいは葬儀屋さんのホールなどでお葬式をするのが当たり前になっています。最近は“家族葬”やこじんまりとしたお葬式が流行っていますが、企業として時代の流れや世の中のみんなの空気感を汲み取っているんだと思います。
といって、お葬式や仏事をやめてしまえるのか? それはできないですよね。
矢田石材店の社長が、『私のお墓は適当でいい、私の葬式なんて簡単でいい、と言うときに、私の、の部分を自分の家族に置き換えて考えてください』ということを書いておられて感銘受けたのですが、お葬式をすることは亡くなった身内や親しい人を想うことなんですよ。そういう意味では、お寺は長く何百年もそういうことをやってきた場なのでふさわしいのでしょう。
今、お寺の本堂でお葬式をやるのは、利便性では少し時代の流れに逆らっているようにも見えますが、まだ実は結論は出ていないと思います。選択肢として、現在でもお寺でお葬式をすることもできると示しておくことはいいことなので、一緒に長い目で見てやっていこうとなりました」
――そうして最初に勝蓮寺本堂で行ったのは、矢田社長のお父様のお葬式となったようですね。
「はい。最近では本堂でお葬式を行うのは稀なので、前住職の父にかつてのやり方を教わりながら行いました。厳かなお見送りができて、よかったのではないかと思います。
ただ、改善点もありました。例えば、過去のやり方に合わせて、阿弥陀さまの前の内陣という一段上になっている所にご遺体を安置したんです。ここは通常は僧籍のない方が入れない場所なんですが、お通夜で参列者の方が入ろうとするわけです。ホールでのお葬式ではご遺体のところへ行って、お顔を見てお別れをしていますから。それが人情で、普通はお顔を見たいですよね。
従来のお寺でのやり方と、今のホールなどで定着しているやり方を調整しないといけない部分が、実際にやると見えてきます。お寺も、そういう今の流れをある程度取り入れていく必要があると感じます」

本堂内で

墓園で新しいお付き合い

――「はなえみ墓園」も矢田石材店と運営しています。
「お墓を守る人がいなくなった時の不安がないように永代の供養のついた墓園という発想は、一般の方が求めている気持ちをピンポイントですくい上げていて、なかなか寺族の私では気づかないところです。この墓園ができてから、お寺とご縁のなかった方たちと、檀家になるとかならないということを越えて、新しいお付き合いもできるようになりました。また本堂では、ヨガスクールなどの方たちがイベントも行っていて好評なんですが、仏事以外に本堂をお使いいただくのは基本的に歓迎しております」

見えない今後、とりあえずトライ


――お話をうかがっていると「今のお寺のあり方」をとても意識されているようにみえます。
「そうですかね(笑)。ご門徒さんだけでなく、地域の方たちとのつながりをもっとつくっていきたいと感じています。本堂でお葬式をするのもそうです。また今後の世の中は、5年後だって、日本がどうなって、どういう形がいちばんいいのかは、まだ見えないですよね。とりあえずいろんなことにトライして、やっていかないといけないんだろうと思っています」

本堂の屋根瓦(左)や山門の瓦などに「柳」の文字が入っている

寺名:河原山 勝蓮寺
宗派:真宗大谷派
住所:愛知県岡崎市矢作町宝珠庵16


永代供養のついた安心のお墓「はなえみ墓園」。
厳かな本堂でのお葬式を提案する「お寺でおみおくり」。
不安が少なく、心のこもった、供養の形を、矢田石材店とともに考える、お寺のご住職のインタビューをお届けします。
毎月の第2、第4月曜日に更新する予定です。

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