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吉良の歴史と自然に囲まれて

 愛知県西尾市吉良町の花岳寺は「吉良先祖の菩提寺」。忠臣蔵で知られる江戸時代の吉良氏よりも前の時代に、分家していた三河吉良の東条吉良氏の菩提を弔う、歴史ある臨済宗のお寺だ。今春、西尾吉良はなえみ墓園を矢田石材店とともにオープンさせたご住職の鈴木孝敏さん(60)にお話をうかがった。


金星山の僧房が発祥か

 ――花岳寺の創建はいつですか。

 「1200年代のころ、花岳寺のあたりを金星山と呼んでいて、そこにあったお堂に薬師如来が祀られていたそうです。花岳寺に薬師如来があるので、金星山にあった真言宗寺院の僧房のひとつが発祥じゃないかといわれています。室町時代初期の1347年に、西尾の実相寺から仏海禅師が入山されて、廃寺を興して開山し、臨済宗に転じました」

足利将軍家の親族の菩提寺

 ――吉良町といえば、一般に知られているのは吉良上野介。文楽や歌舞伎、現代ではドラマや映画などで描かれてきた創作作品の『忠臣蔵』では敵役で、ここ地元では名君として知られる吉良義央と、花岳寺は関係あるんですか。

 「吉良氏は元々、鎌倉時代の1221年の承久の乱で功績のあった、足利本家の血筋の義氏が、鎌倉と京都を結ぶ街道の要所であった吉良荘に配置されたのがはじまりです。もし足利本家の血が絶えてしまったら、吉良氏が将軍家の代行をする、もしくは将軍家になるという、それくらい高い家柄でした。
 後に、将軍家と同じ足利が名乗れないので吉良を使ったようです。ちなみに吉良の地名は、『きらら』ともいわれる雲母が採れたことからだと、言われています。
 室町時代の吉良氏は、将軍家の親族の名門として、東条吉良、西条吉良などに分かれて栄えました。
 吉良氏は戦国時代に没落したのですが、徳川家康には、自分の祖父の松平清康が幼少のころ東条吉良持広に後見人をしてもらったという恩義があって、吉良氏を再興したんです。江戸時代の元禄赤穂事件を題材にした忠臣蔵の吉良上野介さんは、その再興した吉良氏の方です。
 花岳寺には東条吉良のお墓があって、菩提を弔っており、毎年、春には毎歳法要という行事があります。ですので、花岳寺は『吉良先祖の菩提寺』と表現されています」

本堂

 ――史実に加えて、忠臣蔵の創作も入り混じって、頭の中の整理が必要ですね。
 「先代である私の父は鈴木悦道といいまして、郷土史家として地域の歴史や吉良氏について調べて、本も出版していました。先代は系図もつくって詳しく調べて、NHKの大河ドラマ『峠の群像』や『元禄繚乱』の時代考証のお手伝いもしていました。先代と一緒にテレビに出たこともあります。名物住職で、自分も面白い経験をさせてもらいましたね」

吉良氏の系図を見る

古刹で新しい取り組み

 ――そんな歴史のある花岳寺に、矢田石材店と運営する「西尾吉良はなえみ墓園」が完成しました。

 「世の中の考え方が変わってきて、お墓のあり方、葬儀のあり方がここ5年、10年の間に変わってきました。墓じまいや檀家を離れる方が増えて、お寺に足を運んでもらう回数が少なくなる可能性が高いので、新しい取り組みが必要かなと考えていたところで、矢田社長と面会させてもらって、すごくパワーを感じたので、お願いしようということになりました」

 ――「吉良先祖の菩提寺」でもお寺の運営はたいへんなんですか。

 「1684年に再建された本堂は、江戸時代の禅宗の方丈形式を伝える建築として、愛知県の建造物で初めて国の登録有形文化財に指定されました。吉良上野介から寄進された三十六歌仙絵巻や、後柏原天皇の御直筆の御手紙など、歴史的に貴重なものも所蔵しております。そういうお寺ですが、檀家が40軒と少ないため、生活を維持し、寺を維持していくには、勤めながらやらざるを得ないですね」

鈴木孝敏住職

会社員との兼業、勤続36年

 ――お勤めされているんですね。

 「西尾市内にあるメーカーに勤めております。アルミニウム合金を製造、販売している会社です。アルミは発見されてまだ100年ほどの金属ですが、鉄や銅に比べて軽いため、自動車の部品にはなくてはならない金属です。将来性は大いにあります。大学を卒業して1年間、修行道場に行ってから、この会社を紹介していただいて、勤続36年になります」

 ――お勤めをしながら、兼業でお寺を守るのはたいへんですか。

 「平日は会社へ行っておりますし、お休みの日を中心にお寺の仕事をしておりますので、いろいろやりたいことはありますが、なかなかそんな時間はありません。趣味は仕事を引退してからですね」

薬師堂

周りの山は全体が遺跡

 ――どんなことにご興味がありますか。

 「大学では歴史学科で日本の中世を専攻して、吉良をテーマに卒論を書きました。考古学が好きな友だちも多くて、藤ノ木古墳や吉野ケ里遺跡、三内丸山遺跡など日本各地にも行きました。
 花岳寺のある吉良岡山は全体が遺跡で、子どものころ、カブトムシを採りに行くと、土器のかけらや骨壺の破片がありました。弥生時代の環濠集落遺跡も出土して、そうしたものが残っていれば、縄文から江戸時代まで一連の歴史を見られる場所なんですよね。歴史で地域が盛り上がれば、お寺もにぎやかになっていいかなと思います」

桜が満開の参道

 ――春先には花岳寺の境内で満開の桜を背景に写真撮影をしている方もいらっしゃいました。緑が多くて、気候も穏やかで、歴史もあって、お寺を訪れる方も多いのではないですか。

 「これからも若い世代の方にもお寺へ足を運んでもらって、ゆっくりした時間を過ごしてもらえたらいいなあと思います。今、平日は仕事で留守にしていますが、退職したら私もお寺にいますので。
 桜が開花する時期もいいですが、夏の蒸し暑い日に来てもらうと、別の意味での『かがくじ』の意味合いが分かりますので」

境内でゆっくりとした時間を

 ――別の意味ですか?

 「竹やぶがあって、昔から蚊が多いもんですから。『蚊がくう寺』で(笑)。冗談はさておき、はなえみ墓園も完成したことですし、多くの方に来ていただきたいと思います」

本堂内で

寺名:花岳寺
宗派:臨済宗
住所:愛知県西尾市吉良町岡山山王山66


永代供養のついた安心のお墓「はなえみ墓園」。
厳かな本堂でのお葬式をサポートする「お寺でおみおくり」。
不安が少なく、心のこもった、供養の形を、矢田石材店とともに考える、お寺のご住職のインタビューをお届けします。
毎月の第2、第4月曜日に更新する予定です。

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