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「本を囲んだ語り部屋」2024/8/4マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』

日曜朝のX(Twitter)スペース「本を囲んだ語り部屋」
8/4はマイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』を取り上げました!!

著者は「ハーバード白熱教室」で知られるマイケル・サンデル教授です。本書では能力主義(メリトクラシー)に焦点を当てながら、不平等が容認される格差社会がいかに生み出されているかを指摘します。

flier要約には以下の文章がありました。
『能力主義において成功できないとすれば、それは自らが招いたことであり、出世するための才能とやる気を十分に発揮できなかった結果なのだと考えてしまう。能力主義社会が正義にかなうかは疑わしい。能力主義の理想の前提にあるのは流動性であり、平等ではない。能力主義の理想は不平等の解決よりも、むしろ不平等の正当化なのだ。』

「能力主義の理想は不平等の正当化」という指摘が非常に心に残りました。

語り部屋では冒頭、自分の努力という言葉の中にある「驕り」について語り合いました。自分の努力は成果を生み出した要素の1つではありますが、すべてではありません。生まれながらの特性や他者のサポートや外部環境など様々な要因が有機的に絡み合う中で生まれたものだと考えられます。しかし自己責任という言葉もあるように全体性よりも個人に注目する引力があるように思いました。

その中でつながったのは「平等」と「公平」という言葉です。同じようなニュアンスのある言葉ですが、辞書的には平等は「偏り・差別がなくそれぞれの特性や能力を全く考慮しないこと」、公平は「特性や能力を考慮した上で同等に扱うこと」とありました。人それぞれ特性や能力が違う中で、平等と公平のどちらを目指していくべきかは社会のあり方にもつながると思いました。

「特権とは?」をテーマにしたYoutube動画を見たことがあります。海外のある学校で行われたワークショップで、数十人の生徒で賞金(100ドル)を懸けたかけっこをしようとするものです。スタート前に先生が生徒たちに『ただし、今からいう条件に当てはまった人は、2歩進んで良い。』と言い、「両親が離婚していない、父親がいる家庭で育った、私立学校に通ったことがある」など8つの条件が提示されます。どんどん前に進む生徒がいる一方で、一歩も進むことのできない生徒もいます。そして先生は次の言葉を言います。『今提示した条件のどれも君たちのせいではない。君たちの選択のせいでも、行動の結果でもない。』『後ろにいる人も競争はできる。だけど、この競争は前にいる人が勝つだろう。』『100ドルをもらう人は、他の人のことを知って理解するために、100ドルを使えるようにならなきゃいけないんだ。』『スタートラインが前にあるから勝てるだけなんだから。』『その有利な立場は自分で勝ち取ったものじゃないんだから。』

後半では単純な因果のストーリーに引き込まれてしまう人間の特性について語り合いました。例えば歴史は勝者の目線でのストーリーが作られやすいと言われています。ポッドキャスト「コテンラジオ」では歴史を学ぶことは多様な見方があることを教えてくれます。ある功績は個人のものである一方で、大きな流れの中での偶然の役回りという見方もできることを指摘します。視点を固定化してみてしまう自分に気が付くとともに、単純な因果のストーリーを求めている自分にも気が付きました。

そのような自分の状態に気づく1つのヒントは「べき」という言葉かもしれません。自分の中に「べき」が浮かんできた時こそ、自分がどのように世界を見ているかに気づきいいタイミングだと感じました。自分はこのような価値観を持って世界を見ていることを自覚し、それ以外の見方の可能性について考える良いきかっけになると思いました。

社会の視点から個人の視点まで様々な角度から能力主義を考えるいい時間となりました!!


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