見出し画像

生き残るために兄弟で絵の売り方を模索していた

画像1

この作品を制作するのに1年以上の時間がかかりました。
全てボールペンで描いています。通常の背景はアクリルを使っていたりするのですが、この絵は背景も全てボールペンになります。
今から10年くらい前の作品です。

ボールペンで黒いところと灰色のところを表現するために、ボールペンを壊しながら描いていました。
ほとんど出なくなったボールペンと新品のボールペンを使い分けながら描いています。

画像2

実はこの絵を描いてる時、僕は無収入でした。そんな状況でもこの作品が完成したのは、その時に弟が働いて僕を養ってくれていたんです。キャンバスや絵の具を弟が働いたお金で買っていた時期でした。

生活ができなくても、絵が描けていればいいという訳ではなく僕はマネージャーでもある弟と共に、絵を買ってもらうために、色々な方法を試しました。

銀座のギャラリーに作品を置いてもらっても一日5〜6人くらいの人が観てくれるだけで、それでは自分の作品を知ってもらうことは出来ないと思い、同じ銀座でもレストランや料亭に絵を飾ってもらいました。

お店の方が協力してくれて、僕の作品に興味を持ってくれた方がいたらお店に来るように連絡をくれました。そこでお客さんに作品のことをしゃべり倒しました。
興味を持った絵の作家が作品のことをしゃべりに来るというやり方です。

作品と自分が完全にリンクして記憶に残って欲しいんです。


ギャラリー以外で絵を観てもらうと「え~っ、これって全部手描きなんですか??すごい!」って、普通なことを純粋に驚いてくれます。
お客さんもレストランに画家が説明に来るとは思わないし、こんなにしゃべると思っていないし、衝撃を受けてくれました。

そんなやり方を続けていた時に、その店にいたあるお客さんが「この絵は世界で通用するし、僕らが笹田さんの絵を一緒に売り込んできていいですか?」と言ってもらい、最初は半信半疑でしたが、次の日にその方が家まで来て「笹田さんの作品ファイルが欲しい」と言ってきたんです。

突然そんなことが起こるんだなぁと驚いていたら、今度はその方が別のお客さんを連れて来てくれて僕の絵を説明してくれるんです。
そこに集まってくれた方々が作品を買ってくれて、そのお金で絵の具を揃えて、パソコンを買う事が出来ました。

美術界では掟破りの方法で絵を売っていても僕が生き残れているのは、マネージャーである弟の存在が大きいです。

作家が生きていけるためには作品が売れなくてはいけません。
でも絵を描く以外の煩わしいこと(絵を売るまでのこと)はなかなか作家だけでは出来ません。

面倒なことを代わりに担ってくれるのが画廊なんですが、僕は画廊に入らなくても絵を描き続けられるのは弟が絵を描くこと以外の全てをやってくれるからです。業界の古い慣習と戦ってくれて、笹田兄弟のやり方で今でも生き残れています。

画像3

そんな時期に描いていた「龍虎」です。
僕の作品では自分の名前がたくさん入っているのですが、この絵に関してだけは、侍の格好をした僕が鉛筆を持っていて、サッカーのゴールキーパーの格好をした弟が鉛筆削りを持っています。

弟への最大の感謝の気持ちでサインの代わりにこの右下の兄弟の絵をサインとしています。


いつも応援いただき誠にありがとうございます。