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常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う

はい!きだです😄

ここ最近、後輩スタッフから
「きださんは常識的ではない」と言われて
怒られています。

しかし、僕は
「その通り!」と返事を返してしまい
火に油を注いでしまいます(๑′ᴗ‵๑)

あなたも一度くらい
・あの人は常識から外れている
・私の常識からするとあの人はおかしい

腹を立てたりしたことがあるのではないでしょうか?

そのあたり僕は
人の常識はその人のものであり
僕の常識とは異なる。
と思って35年間生きてきました。

はたして『常識』とはなんなのか
言及したいと思います😄

常識

常識とはを辞書で調べると

健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。
 「―的」

健全な一般人というなんとも意味のわからない解答を書いてあるのはさておき

みんなが共通して持っている知識
ってなんなんだろと僕は疑問に思うばかりです。

わかりやすい例は

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この方は、スラムダンクを見ていれば
常識的に知っている人物でしょう

(ちなみに、陵南高校2年でエースの仙道くん。)

しかし、バスケを知っているから
みんながみんな、スラムダンクを見たことがあると言う「解釈」は『偏見』ですよね?

だから、もしバスケをしているのに
仙道君を知らない人がいてもなんらおかしいわけではないのに

圧倒的過半数の人が
バスケをしたことがあるならスラムダンクを見たことがあるはずだ

勝手に解釈し、仙道を知らないなんておかしい。
などと言ってしまうような風潮がある。

つまり、何が言いたいかと言うと

みんなが当然知っていることでも
知らない人もいれば、常識だと認識していない人もいると言うこと。

別にそれで人格を否定する材料にもならないし
不信感を抱くことすらおかしい。

"自分が思っている常識"の大半は、経験から解釈されるただの主観でしかない。

他人の生き様や、
在り方に対し
『こうあるべきだ』

と唱える人ほど

主観的かつ、感情的な人だと僕は思っている。

前述した通り
あなたが思っている"常識"
というのは、あくまで、あなたが生きてきた経験から解釈をしてきた主観的意見でしかなく

他人が歩んだ道のりに
とやかく言う筋合いは
そもそもないのだ。

たとえば

コミニュケーションでも

生きてきた中で
苦手とする人もいれば
得意とする人もいる。

大きな声で高らかに話す方が優れてるとか
冷静な声でフラットに話す方がいいとか

そんなのは本当どちらでもいい。

なのに何故か
『声でかく出さないと元気がない』
と勝手に解釈され

声の小さい人を元気じゃない人
はたまた、暗い人

などと勝手に決めつけてしまうのが
一般常識を振りかざす人たち。

別に声が大きかろうと
小さかろうと
その人が元気かどうかは、
その人が決めること。

人の言動に対し、
自分の偏見の目でみて
否定をしてくる輩を

僕の常識では『否定』させて頂きたいなと思う。

人の言動や常識に異議を唱える前に人それぞれ歩んだ道のりが違うことを知れ。

僕は他人を理解しようと努力する際に

必ずやることが

相手の歩んだ道のりを知ること

を掲げている。

ただ、苦手とする人もたくさんいるので
苦手な人とはあえて絡まないようにするのが

私の常識。

ただ、常識を押さえつけることはせずに

なるべく他人の常識を探るようにしている。

その際に
『ああ、この人とは合わないな』
と思ったら、2度と絡まなくても
僕は後悔しない。

そんなことでストレスを抱えて
病むくらいなら、

関わる人くらい自分で選定し、
自分自身が楽になれる選択をしている。

僕はよく
メンタルが強そうですねと言われるが

そうやって、上手に逃げている。

もし、この記事を読んでる人で
上司や後輩に
『常識的におかしくないですか?』
と言われたら

君の常識と僕の常識は違うんだけど
と返答して構わない。

なぜなら

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションにすぎないのだ   
              [アインシュタイン]

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