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結果を出すためには『楽しむこと』よりも『才能』が重要

今世の中に蔓延っている通説の一つとして『結果を出すためには楽しむことが重要である』みたいな言い腐れがある。

もっともらしい言い分で普通に正しいのだけど、楽しむことが具体的な結果に結びつく大きな支柱になっているかと聞かれると、そうではないぞと異を唱えたくなる。

結論、楽しむ前に才能なのだ。才能がないと楽しむことで出るであろう力量が存分に発揮できない。

世の中才能ゲーなのである。例えば僕は音ゲーをよく嗜む、太鼓の達人の鬼の8くらいはノルマクリアできるくらいの実力。どうしてここまでこれたかというとただ楽しさに身を委ねて数を打ったからだ。ただ1年くらい高揚感に身を任せポコポコ太鼓を打ち鳴らしていたら到達できた境地。

それに反して、ある友達a君がいるのだが。彼は太鼓の達人を多少なりともプレイしていて、鬼8くらいできるようになりたいと日頃から息を巻き、日々太鼓の達人で腕を磨いている。

だが一向に成長しないのである、彼も彼なりに楽しんでいるそうだが、難しいの星8が関の山。いまだに鬼は一曲もクリアできないような木偶の坊ぶり。

時を同じくして楽しむ両者に、どうしてこうも力量に差が生まれてしまうのか。楽しさよりも才能が重要だからである。

彼しかり僕だって音ゲーの才能は鬼8どまり、鬼9、10を軽々クリアする猛者なんて腐るほどいる。


ここまで才能の重要性について語ってきたわけだが、才能がないものは立ち去れとただ一蹴して終わる気はさらさらない。

結果を出すためには、楽しむ前に才能を発揮することが必要、では才能はどうやって見つければいいか、見つけた才能をどう生かせば結果が出るかを教授したいと思う。

それは、過去にあった他人より優れているであろう出来事に目を配ることである。

例えば音ゲーの話で言うと、僕はある瞬間において誰よりも音ゲーを楽しむことができた。周りの友達と試しにプレイした音ゲーにその場の誰よりも熱中し取り組み、皆がその音ゲーを辞めて立ち去った後でも、一人残って黙々とプレイし続けゲームに熱中できた。

結果を出すためには、まず、こういう些細な人とは違う独自性に気づくこと。そしてその性質がいかせる土壌を探し出し、結果が出せるビジョンが視えるかどうかを脳内でシュミレーションしてみなければならない。

仮に僕がプロ音ゲーマーとして成功できるかシュミレーションしてみる。僕が音ゲーの才能があるのなら、ん〜…音ゲーは確かに人並み以上にできるんだけど、トップレベルに上手いかというと足元にも及ばない出来だし、狂気的にゲームをプレイする素質もない。僕にはプロ音ゲーマーになれないな…みたいな。

ただかっこよくて楽そうで、楽しめそうだから目指す、みたいな薄い動機では期待値は低い。

仮にあなたがラッパーになりたいのであれば、それに関する出来事で人に褒められたり自画自賛できた経験はあるだろうか。『〇〇君って頭の回転早いね〜』や『〇〇君ダジャレめちゃいうやん!どうやって思いついてんだよ!』みたいな。『俺って周りより韻踏めてね?』こういうナルシズムも大いに期待できる。

周りにやたら褒められた経験があったり、根拠のある自画自賛に惚れ惚れできたり。そういう些細な凄みが、結果を生む。楽しむのは次だ、まずは自身の周りより優れた部分を見つけ出し、それを活かせる場所へ赴く!そこで頑張っていけそうで、なんなら楽しみながらできそうなら、もうトップ層の仲間入りも夢じゃないだろう。

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