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TENET(テネット)考察|オペラハウスの襲撃、あるいは、風車の中で身体を鍛える

以下の内容、テネットのネタバレ含んでます!
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テネット、ほんと、よくわからない点がいくつかあって。

(まあ、それがすっごい面白いのですが)


なんていうんですが、引っかかってること多いのですよね。

例えば・・・

冒頭のオペラハウスのシーン、いくつかの組織が入り乱れ、初見では全く理解ができない。なぜ、クリストファーノーランは、あのような複雑なシーンを冒頭に入れたのか?必要だった?

・主人公が風車の中で身体を鍛えるシーン、あるいは風車の必然性ってあった?

・主人公だけでなく、なぜ、セイターも、「黄昏の・・・」という合言葉を知っており、自殺ピルを持っていたのか?あれ、なんで?

です。

これらが、どうもぼやっと頭の中片隅にあったのです。

ただ、昨日書いた記事に対して、いただいた以下のコメント見て。

「ああ、そういうことなのかな?」

というのがあったので、

また書いて見ます。

なお、キャット=シュレディンガーの猫、すごい面白い補助線でして。

確かに、この揺らぎを、クリストファーノーランが考慮してないわけですよね。

ちなみに、以下は、劇中で、博士がいった

「考えるな、感じろ」

という流儀で書いてます。

考えというより、感じたことです。

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「この映画は、“テネットという未来人による人類を救う組織“の内部対立による戦いを描いたものである」

なんじゃないかな?って感じたのです。

第三次世界大戦というより、内輪揉めの話ですね。これ。
未来人対現代人じゃないのです。テネットの内輪揉めなんです。

この映画って、逆行人とか、時間軸とか、ミスリードするような内容がすごい豊富に用意されてるのですが、そこら辺をとっぱらった方が、映画の骨子は面白いように感じるのです。

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この映画は時間軸のズレだけでなく、善悪もそのタイミングタイミングによって、変化する視座によって、その事象への評価が変わる映画だと思っています。

現代人からみえば、破壊的行為である、未来人のアルゴリズムの発動。でもそれは、未来人から見れば、自分たちの生存をかけた戦いであり、それは悪ではなく完全な善なる行為であり、正義です。

ラスト間近、名もなき男と、セイターの部下との戦いにおいて、「それぞれが自分の生存をかけて戦ってる」とあったように。まさに、それはお互いの正義をかけた戦いであり、どちらが正しいというものは存在しません。

それはあたかも、光が、波であると同時に、粒子でもあるというあのシュレディンガーの猫の実験を思わせる、観測者がいて初めて決定する事柄です。

だから、通常の映画における、善悪とか正義・不正義はこの映画には存在していません。正義の対義語は、別の正義なのですから。

この闘争は、どの立場でみるかによって、全く異なる見え方をする戦いなのです。

(ってまあどんな戦いもそうなのですが。今回は、時間軸という差異なので、ちょっとややこしいですよね)

+++

さて。

冒頭にあげていくつかの疑問なのですが、ここに、テネット=未来のCIAの組織であり、その内部に過去破壊波と別の手段を取る2つの派閥があるという仮説を入れ込むと、冒頭の違和感は比較的解消すると思います。

冒頭のオペラハウスの襲撃シーンは、組織内におけるさまざまな派閥の存在を暗示したシーンです。そういうふうに考えないと、あの冒頭シーンの、物語内の役割がよくわからないと私は思います。

それはあたかも、バッチ一つで、取り替え可能な、主義(テネット)を意味しており、同じ組織だとしても、テネット次第では敵にも味方にもなり得ることと意味しています。だから、不要と思われたあの複雑なシークエンスは、その複雑さを明示するまさにそのために存在しているのだと思います。

そして、風車の存在が意味するもの。

それは、テクノロジーと自然との対比なんじゃないかな?と。圧倒的なテクノロジーで回転する回転扉と、自然の風で回転する風車の対比です。自然に属するものたちことが、破壊されされた環境を保持し、改善し、生存を志向するものたちを指しています。

(だから、主人公は、あの風車の中で、身体を鍛えるのです、それは、自然を意味しています。その後も、海という自然の上で、身体という自然をことさらに強調してるのはそのためです。)

合わせて、「逆行人がするマスク」は、「空気が肺を通らない」という説明よりも、環境汚染された世界の空気を意味すると読んだ方が、すっきりとした解釈になると考えます。それは風車を回すクリーンな空気とは異なる、破壊や破滅の空気であり風です。

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あと、テネットはCIAの未来組織だという仮定について。

これで、あの「黄昏の・・・」という合言葉が符号するとともに、自殺ピルをセイターが「CIAからもらった」ことへの整合性がとれる様に感じます。

そもそも、この物語は、CIAの持っていた、自殺ピルを飲んだことにより始まる物語です。

そのピルを持ている者たちが、同じ組織であるという仮定は十分成立するものだと思います。ここでも、そうでない場合、セイターが自殺の前で、あのピルを観客に見せつける必然性がありません。

主人公もセイターも、テネットという同一組織に属する(あるいはしていた)のです。でも、同じ組織なのだが、主義(テネット)が異なる。

それは冒頭で主人公がつけたワッペンのように。貼り付け可能で、常に変化するものなのです。

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セイターは、別で考察したように、

キャットの不義によって、自分の行動を大きく変えた。それを阻止するために、マックス(ニール)と主人公が、転向したセイターを止めるというのがこの映画なのではないでしょうか?

未来の環境破壊に対する、未来からの干渉は、きっと複数のやり方があるはずです。

そうでなければ、博士が主人公にみせた、さまざまな未来からの道具のようなバリエーションは存在しないはずです。

セイターという存在もその複数のオプションの1つであり、そこには異なる主義主張をするセクターがあるはずです。

そして、ここまで来て、初めて映画の題名が、テネットという「主義主張」を意味する理由がわかるように思うのです。

テネットという組織における主義の差異から生まれた争い。それが、このテネットという映画の意味するものなのではないでしょうか?

さて。冒頭のシークエンスを思い出すと、そこには、もう一つ、異物があったことに気がつきます。

それは、映画を通じて、その対立変化の中で、唯一最初から最後までかわらなったものです。だから、最初にも最後にも出てくる。

ワッペンの対立とは別で、それは表明されている。

それが、マックスがつけていた、赤いアクセサリーです。

きっと、あのアクセサリーは、主人公が未来でマックスに贈ったものなのだと思います。

あの赤いコインは、主人公への信頼。主人公を救おうとする意識を意味するのでしょう。

ラストシーンで、母を救った、主人公に対する恩義への返礼。

そんなマックスの主義こそが、この映画を最初からから最後までまで貫き通している強い主義(テネット)なのでは、ないでしょうか?


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