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ピアノ・リダクション譜の作成

2021年1月からウェブマガジン「メルキュールデザール」で短期間の連載を開始しました。2月の記事は1月からの続きでオペラ『ヴィア・アウス・グラス』の制作過程について書きました。読んで頂ければ幸いです。先月のメルキュールデザールの記事についてnoteで補足記事を書きましたので、今月も少しスピンオフを書きます。

オペラの練習では、いきなり本番の舞台でオーケストラと一緒に演技を伴う練習をするわけではなく、まず歌手が個別にコレペティトール(歌劇場等でピアノを弾きながら音楽稽古をするコーチ)とそれぞれの歌パートを練習します(重唱が多いところは個別とは限りません)。その時に用いる楽譜をピアノ・リダクション譜といいます。コレペティトールは総譜(全ての楽器のパートが書かれた合奏のための楽譜)を読んだり弾いたりする訓練も積みますが、厚みがあって譜めくりの回数も多い総譜は個別の練習には不便です。そこで歌以外のパートをピアノに要約して書き直した楽譜を用いて練習するのです。

このピアノ・リダクション譜を私は自分で作成したので、その際の気付きを思い起こしてみます。ピアノ・リダクション譜は必ずしも作曲家が自ら作るものではないのですが、外注による作成には多額の予算が必要で、オペラを初めて作曲する若手作曲家にそのような贅沢は許されません。しかし、自分で作成すれば、歌がどの楽器とどんな関係性を結んで歌うのか自分が想像した通りに書くことが出来るので、外注のリダクション譜を査読する手間を考えると、意外と現実的にメリットが大きいかもしれません。勉強にもなりました。

ピアノ・リダクション譜を作る際に苦労するのは、楽器特有の表現をピアノの表現に変換することです。現代の新しい音楽の多くはピアノの通常の調律である平均律の束縛からやや自由になっていることが多く、私の『ヴィア・アウス・グラス』でも半音の間の音(四分音)やそれよりも幅の狭い音程を用います。また、太鼓や拍子木などの打楽器の音高は製造会社が異なれば規格が均一でないことも多く、楽譜を音高で示さないことがほとんどです。例えばフランスの作曲家ジョリヴェのリダクション譜を見ると、その音色の効果が大切なので、そのような効果にピアノで聞こえるように大太鼓の一打を複雑な不協和音に置き換えている例などもあります(ジョリヴェに限らずたくさんの例がありますが、手近にあったので)。『ヴィア・アウス・グラス』には打楽器が使われませんが、代わりに管楽器や弦楽器が楽器のボディを叩いたりする音高由来でないノイズが使われています。これらの音をキューとして歌手が歌い始める場合は、何らかの方法でコレペティトールが演奏できるようにピアノに書き直す必要があるのです。

以下、画像でリダクション譜の工夫や特徴を少しご紹介します。

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この画像は、5日目(第5部)の冒頭です。後期バロックのドイツの作曲家テレマンのターフェルムジークが編曲されて流れるのですが、各和音の構成音は上行もしくは下行グリッサンドで少しだけ音高が歪み、和音が捩じ曲がります。この効果をピアノで再現することは非常に困難なため、和音の核となる音のみを普通に演奏できるように書いています。注意書きに「全ての長く伸びている和音はイントネーションが著しく歪むため注意すること」と書いてあります。歌手はピアノで練習する時には音が歪むのだという覚悟くらいしか出来ないので、苦肉の策と言えます。実際に楽器が入ってからのリハーサル初日の歌手の皆さんの戸惑いは言い表せないほどでした。あまりに和音が歪むのでみんなで笑った想い出です。

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ヴァイオリンが弦を掻き鳴らすピッツィカートの嵐の箇所を、ピアノは内部の高音弦を自由にグリッサンドする効果で置き換えました。全然違う音ですが、そのタイミングで弦が掻きむしられる効果が分かるので、楽器が入っても歌手の皆さんは即座に理解していました。また、トランペットの息音は普通にピアニストに呼吸してもらっています。その後、トランペットがタングラム(舌を吹き口に勢い良く打ち付けて打楽器的な音を出す奏法)で拍を刻む箇所は、ピアノでは蓋をノックしています。

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普通のリダクション・パートですが、ピアノの音は器楽アンサンブルに出てくる微分音は輪郭に要約されています。現在はリダクション譜の微分音を原曲そのままに記述している楽譜も増えてきましたが、このように長い曲ではコレペティトールの譜読みを無駄に煩雑にするだけだと考え、声部の輪郭を大切にしてピアノで演奏できる音に直しました。実際に楽器が入るリハーサルが始まっても、何ら問題はありませんでした。

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たくさんの歌手と合唱が同時に歌っている箇所では、リダクション譜も総譜のような見た目になります。オーボエとヴァイオリンが何故かリダクション譜でなく上部に書かれていますが、ここではオーボエ奏者とヴァイオリン奏者は歌手の皆さんと共に食卓に着いて、食器を演奏しているので、歌手のような扱いとして書きました。

メルキュールデザールで記事に書いたように、『ヴィア・アウス・グラス』は凝った演出で初演された作品です。演出は演出家が変われば変わるものです。作品のねらいや演出上大切と思われる視覚的効果は総譜とピアノ・リダクション譜の冒頭に明記されています。初演時のように走行する客席のアイデアではなかなか再演が難しいかもしれませんが、照明の効果を活かしたりして、視覚を散らす方法はありそうです。どのような方法が可能か分かりませんが、日本での発表の機会を諦めずに探ってみようと思っています。

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