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作曲同時進行

昨年は作曲のお仕事よりもその周縁のお仕事が多かったのですが、今年は年が明けてから休む暇なく作曲を続けています。取り急ぎ締め切りが視野に見えている曲が3曲あって、それらを同時に並行して進めています。作曲家によっては同時進行が苦手だとか、無理だという話を聞きますが、私にとっては気分が変わるので作曲の行き詰まりを回避しやすいというメリットがあって、何曲か近い締め切りを抱えている時の方が筆が捗ったりします。現在書いている3曲は2つが規模が大きく(30分超と70分超)、もう一つもそれなりに綿密な仕込みが必要な曲なので、今かなり作曲脳になっています。

大きな曲を書く時に小さい曲以上に難しいと感じるのは構成です。小さい曲を書くのが簡単ということはありませんが、物理的に書く時間が短いことは大きなメリットです。初動のアイディアから散策し、バリエーションを考えていけば曲の形にが見えてきます。このこと自体がそれなりに危険でもありますが、割と初期の段階から完成形がぼんやり見えていることはありがたく、ゴールに向かって筆が進んでいる感覚があります。

私は普段から全体の構成をかなり考えてから書き始めるタイプですが、長い曲で時間をかけて書き進めていると、いま曲のどこにいるのか分からなくなってくることがあります。実際には本当に分からなくなっていることはないのですが、観念的に「今ここらへん」と思っているだけで、時間経過の肌感覚が伴い辛いのです。一音を演奏するよりも一音を書く(付随する種々の記号を含めて)方が物理的に時間がかかりますし(長い音価では必ずしもそうではないですが)、これを丁寧に清書している時間は、演奏の実際の時間とは感覚的に切り離されてしまいます。例えば若い頃に自分がよくしてしまった間違いとして、あるパターンをしばらくの間繰り返すような音楽で、書いているうちに現実の時間が充分に経過して、その間に身体的な疲労も蓄積されることもあって、充分に長く書いただろうと錯覚し、実際に作品中で必要な経過時間よりも短い設計になってしまうというようなことがありました。もちろん書いた後になんとなく歌って確認し、査読を含めて時間の推移を確認するのですが、ストップウォッチを持って歌う訳ではありませんし、なんとなく「こんなものかな」と思ってしまっていたのでした。実際には自分が書いた繰り返し回数の3倍くらい必要だったケースもあります。

こういった過去の反省を踏まえ、現在はだいぶ違ったアプローチを取ります。まず、査読や時間の推移の確認は書いた直後には行いません。元気な時にしっかり時間をかけて、しばしばストップウォッチも利用しながらできるだけ正確に確認していきます。また、一番重要な事項である「一音を正しく書く時間は意外と長い」という時間感覚のズレをなるべく平すために、曲の流れを確認するためのスケッチをとにかく早く書くようにしています(写真)。

手早く処理することから、ここにはたくさんの情報は書けません。このような原スケッチを読みながら、「ここは複雑だから丁寧に全声部の関わりを別スケッチに起こそう」とか、「ここはリズムに自分が想像していなかった構造が生まれているから、対位法的に処理するための声部を書き起こそう」とか、分析しながら手を入れていくことになります。清書できる段階に到達するのはそれなりに先の話になるのですが、自分が想像している音楽を正しい時間の流れの中で感じるためには、まあまあ上手くいっている方法だと感じています。

そろそろ作曲に戻ることにいたします。

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