見出し画像

楽譜のお勉強【18】カローラ・バウクホルト『シュラムフロッケ』

ドイツには東京やニューヨークのようなメトロポリス級の大都市はありません。ベルリンがかろうじて大都市に追随するかのような成長を見せていますが、それでも超巨大都市と比較するのは難しいでしょう。しかし中央集権化が進んでいない分、各都市には独自な文化が強く音楽も例外ではありません。シュトックハウゼンやカーゲルといった第2次大戦後の前衛音楽の作曲家がたくさん住んだ街ケルンは現在も新しい実験的な音楽がたいへん盛んな土地です。カローラ・バウクホルト(Carola Bauckholt, b.1959)はそのケルンでカーゲルに学んだ作曲家で、長年ケルンを中心としてドイツの作曲界に興味深い作品を上梓し続けてきました。現在はオーストリアのリンツにあるブルックナー音楽大学でミュージック・シアターを専門に作曲を教えています。

バウクホルトの作品は具体的な類推が容易なノイズを伴う作品が多く、初期には実際に楽器以外の日用品から出るノイズを構成した音楽なども見られました。2010年代には生物の鳴き声を模倣した器楽作品が数多く作曲されました。『人間と動物』(»Mensch und Tier«、2008-2009、合唱とオーケストラ)、『セミ』(»Cikada«、2011、弦楽四重奏)、『渡り鳥』(»Zugvögel«、2011-2012、リード管楽器の五重奏)等がそれに当たり、特に『セミ』と『渡り鳥』に関しては採集された蝉や渡り鳥の鳴き声を収録したCDが販売用楽譜に添付されており、楽譜に特定の生物の名称が指示されている場合はそのCDに収められている鳴き声を聞いて、楽譜に書かれている音とリズムを使って出来るだけ実物の鳴き声に近いノイズを出すことが求められています。以下に『渡り鳥』の楽譜付き動画のリンクを貼っておきます。

(例えば『渡り鳥』の冒頭では全員がCDのトラック1に入っている白鳥の声を真似します。)

今回読んでいくのは、2010年に作曲されたアンサンブルのための『シュラムフロッケ』(»Schlammflocke«)です。この作品にも採集された様々な動物の鳴き声が収められたCDが添付されています。例えばテナガザル、いくつかのヒタキ、様々なアマガエル属のカエル、数種のウシガエル、オオヒキガエル、アシカ、ハヤブサ、ホッキョクギツネ、ニホンウズラ、ハシグロアビ、ミヤコドリ、ユリカモメ、チンパンジー等の動物の声をCDの音源を参考に模倣します。『セミ』や『渡り鳥』でもそうなのですが、作品中に出てくる生物の生息地が一致していません。従って作品はやや動物園のような趣があります。また、似たプロセスで作曲した作曲家にフランスのオリヴィエ・メシアン(Olivier Messiaen, 1908-1992)がいますが、彼の作曲では採譜した鳥の声はメシアンの耳のフィルターを通って楽器で演奏するのに適した楽音に翻訳される点が異なっています。CD音源を元に、多少楽器を変な弾き方をすることになっても徹底して模倣するような考え方でメシアンは作曲しなかったと考えます。

画像1

「Schlammflocke」とは、汚泥の沈殿凝固物というような意味です。解説文がないので作品内容との具体的な繋がりは不明ですが、曲は確かに様々の生物の排泄物がジャングルや何かの環境内で有機分解されているような味わいがあります。これらの生物の鳴き声コラージュを作るのに用いられている楽器は、フルート(ピッコロ)、オーボエ(イングリッシュホルン、鼻笛、ファゴットのリード)、クラリネット(バスクラリネット、鼻笛)、ファゴット(鼻笛)、ホルン(鼻笛)、トランペット(鼻笛)、トロンボーン(鼻笛)、チューバ(サックスのマウスピース)、打楽器2人、ピアノ、ヴァイオリン2人、ヴィオラ、チェロ、5弦コントラバスです(括弧内は持ち替え楽器)。現代音楽で流行りの通常の1管編成オーケストラといったアンサンブルですが、管楽器奏者の持ち替え楽器に特色があります。フルーティストとチュービスト以外は鼻笛を演奏するのです。打楽器奏者二人も鼻笛を演奏します。打楽器奏者とは不思議な職業だと感じることがあります。よくスライドホイッスルなんかも打楽器奏者に演奏が割り振られているのを見かけますが、音大の教育課程で彼らは「吹く」トレーニングもしているのでしょうか。あれもこれも頼まれるままに演奏しなければならないことの多い職業で、作曲家としてはとてもありがたいのですが、大変そうで本当に頭が下がります。

画像2

冒頭はヴァイオリニストと打楽器奏者、それとコントラバスの5人で始まります。いるかいないか分からないくらいのコントラバスの低音が幽かな中、木製のウインドチャイムと共に曲が始まり、キツツキの樹を突く音を模したウッドブロックと、鳥の声を模したヴァイオリンによる三重奏です。ドイツでキツツキの音を聞いたことが何度かあります。一定の拍節感があって、しかし叩く回数はランダムで増減します。ウッドブロックの音はそのままで再現性が高いので付属のCDにキツツキの音は収録されていませんが、パルスの保持と打数のランダムさを見ると実際にはキツツキの音も採集されていただろうと思いました。丁寧に作曲の準備がなされていることが分かります。

7小節目からテナガザルが加わります。打楽器奏者による鼻笛です。鼻笛はシンプルな造りのものがほとんどで、指を滑らせて滑らかなグリッサンドを演奏することが得意な楽器です。また同じタイミングでヴァイオリンを補強するようにピッコロも鳥の声を奏します。冒頭のヴァイオリンとピッコロによる鳥の声のリズム操作が秀逸なのでちょっと書き出してみます。第2ヴァイオリンは最初から特定でない鳥たちの声を三連符で微分音程をウロウロしながらバックグラウンドのように弾きます。それに対し、第1ヴァイオリンは二分音符一つを拍として四等分した最後の八分音符を刻みます。最初は1打で休止、2回目はその二倍の2打で休止、3回目は更に二倍の4打の後、休止。4打までを1ユニットとして、パターンは五連符に変わります。今度は五連符の二分音符一つを四等分した第1音を4打+休止2拍分というパターンを繰り返しますが、このタイミングでピッコロが入ってきて、第1ヴァイオリン冒頭の二分音符(通常分割)を拍とする八分音符の刻みで入ってくるのです。経済的な考え方で、支離滅裂でない論理的な作曲的思考が読み取れますが、現れるリズムパターンは十分に複雑で耳だけではパターンを追いきれません。整理された時間軸の流れが崩壊することなく、カオス的な系を作り出すことは今日の音楽表現では重要な作曲技術ですが、バウクホルトの方法はよく知られた古典的な複合パルスの技法でありながらも、個性的なノイズの響きと相まって魅力的です。忘れてはならないことは、このカオスが発生する7小節目で更に自由な独奏者としての役割と見られるテナガザルの鼻笛が入っていることです。自由に振る舞う独奏者が活きる道として、音楽時間の軸が揺れないことは効果的な方法の一つなのですが、カオス的な振る舞いをするリズムパターンの中でもそれが可能だという良い例だと思います。

画像3

11小節で別の鳥がヴィオラで入ってきます。これは二分音符を五連符に分割した音価4つ分を一つのまとまりとして上行分散和音が繰り返し奏されますので、第2ヴァイオリンと細かなポリリズムを形成する効果を持つと共に第1ヴァイオリンとは緊密なアンサンブルを形成します。

鳥の声に混ざってテナガザルは独奏的で孤独でした。しかし20小節目からは仲間を見つけます。オーボエ、ファゴット、トロンボーンの各奏者による鼻笛三重奏に発展するのです。楽器リストを見たときから鼻笛合奏が頭をちらつきましたが、実際の鼻笛合奏は、音源で聞く効果以上に見た目の効果が面白そうです。

46小節目で初めてアマガエルが登場します。そこから徐々に鳥とサルがフェイドアウトしていき、様々なカエルへと音楽のフォーカスが移ります。オーボエ、クラリネット、ファゴット、トランペットを中心として様々なカエルの声が模倣されます。楽譜には通常の音と少しのアーティキュレーションで記譜されているのですが、実際の音はかなりノイズ要素が高いです。これはもちろんCDの音源を模倣した結果で、奏者はそれぞれ個々人の技のパレットの中からふさわしい音色を探したのでしょう。YouTubeの音源は初演者のアンサンブル・ムジークファブリークによるものです。現代音楽スペシャリスト集団である彼らの音色のパレットは十分に信頼できるものですし、バウクホルトとも長年に渡って恊働してきました。

179小節から(動画の7分50秒くらいから)は多くの奏者が完全に自由な即興で色々な鳥やサルのモノマネを激しく行います。その後、深呼吸するかのようなノイズのドローンを通過して更に様々の動物の声が紹介され、ポリリズムの層による構成を展開させながら音楽が終わります。

最後に余談ですが、バウクホルトと私の関係を少しお話します。私は2011年に日本人としては初めてベルント・アロイス・ツィンマーマン奨学金賞をいただくことになったのですが、その時彼女は審査員の一人でした。私の作曲家としてのキャリアの道を切り開いて下さった方の一人と言えます。その後私が初めて審査員の仕事をした時も、バウクホルトと一緒だったのですが、一番若輩者であった私の意見も細かく尋ねてきて、音楽に対する真摯な姿勢に感銘を受けました。ある現代音楽祭で作曲家数人による対談セッションでも一緒になったこともあり、割とお会いする機会が多かった作曲家で、親近感を持っています。独特な世界観を持つ作風の作曲家と交流を持てたことが私の音楽観も育てたのだと思っています。

作曲活動、執筆活動のサポートをしていただけると励みになります。よろしくお願いいたします。