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楽譜のお勉強【49】ロビン・ホフマン『その代わりに』

連載記事「楽譜のお勉強」も50回まであと一回となりました。記事が大体2000字から3500字前後、長いもので5000字くらいで書いてきましたので、物書きでもないのになかなかの分量を書いてきた感慨があります。記念にしたい次回はモーツァルトのオペラを読む予定で、今回は僕が大好きな現代の作曲家ロビン・ホフマン(Robin Hoffmann, b.1970)の作品を読んでいきたいと思います。

ホフマンはフランクフルトの音大でギターを学び、平行して作曲をクラウス・キューンル(Claus Kühnl, b.1957)に学びました。さらに作曲を専門的に学ぶためエッセンのフォルクヴァング芸術大学でニコラウス・A・フーバー(Nicolaus A. Huber, b.1939)に師事しています。ホフマンはどちらかと言えば寡作ですが、一作一作野心的で先進的な作品を発表していて、新作の発表がある度に大きな注目を集める作曲家です。作品のCD化がまだそれほど進んでいない作曲家なので、彼の仕事の全貌を日本で窺い知ることはやや難しいのですが、今回はCDで二種類の録音が手に入る作品『その代わりに』(»anstatt dass« für Ensemble, 2009)を読みます。

タイトルの「anstatt dass」は、クルト・ヴァイルの有名な『三文オペラ』の第一幕にある『Anstatt-dass-Song』から取られています。直接的な音楽の引用はないのですが、曲の開始テンポが同じで、和音が一定のパルスを刻んで朴訥とした音楽の進行を作り出しているキャラクターには親和性があります。ただし、パルスをどのように扱うか自体がホフマンのこの作品では作曲の主眼の一つなので、ヴァイルのようにシンプルな音楽を作る意図ではありません。

もう一つヴァイルの歌と近しい要素としては、編成が挙げられます。ホフマンの作品はシュトゥットガルトのアンサンブル・アスコルタのために書かれていますが(以前私がレッスンの様子を書いた記事でご紹介した、アンドリュー・ディグビーが主催しているアンサンブルです)、このアンサンブルは編成が相当特殊です。トランペット、トロンボーン、パーカッション、ピアノ、ギター、チェロという編成で、既存のクラシック音楽ではほとんどなかった編成です。ホフマンの『その代わりに』はこの編成のために書かれています(パーカッションは二人、ギターはオクターブ・ギターという1オクターブ上に調律された小さな楽器)。反対にヴァイルの方は、二重唱が入り、2本のサックス、ハルモニウム、コントラバスという楽器がホフマンの編成にありませんが、他の楽器は十分に似ています(パーカッションの種類が違い、ギターの代わりにバンジョーが使われています)。響きの性格はとてもよく似ていると言えます。

(Kurt Weill, »Anstatt-dass-Song«)

『その代わりに』の聞きどころはなんと言っても秀逸に計画されたリズムの扱いにあります。あるテンポの分割と再編から次のテンポを導き出すリズム・モデュレーションが綿密に指示されており、いくつかの楽器をグループに分けて2つ以上のテンポが同時進行するポリテンポで曲が進行します。スコアは従来の多くの曲で見られるような、擬似的なポリテンポを作るために連符を組み合わせて記譜されているわけではなく、実際に7人の奏者がグループを構成しながら違ったテンポに振り分けられるので、多くの場合は2つのテンポが同時進行、ときおり3つのテンポが同時進行するように書かれています。ただし、テンポを振り分けられたグループ内で、シンクロしないタイミングでの加速(アッチェレランド)や減速(リタルダンド)が含まれていて、実際にはもっと複雑なテンポの層が生まれます。それらの加減速やポリテンポをくぐり抜けて、要所要所で全員が一つのテンポでのリズム・ユニゾンに到達し、再び枝分かれしていく様子はアスコルタというアンサンブルの音楽的ヴィルトゥオジティを存分に味わえるものです。

冒頭は全員同じテンポ(BPM=100)で開始します。2拍目からすぐにリタルダンドを始め、4小節目のBPM=80を目指します。ここでギターとチェロは脱落し、5小節目に新たなグループとしてBPM=100の音楽を続けます。このスコアの秀逸なところは、どのグループのどのテンポがどういう拍節感で演奏しているのか分かるように、スコア上部にテンポごとのリズム・スキームが示されていることです。全部の楽器を目で追っている余裕は演奏中にはありません。しかし他のグループのリズムの位置を視覚で確認できるパート譜があれば、なんとか合わせることができると思います。

またこの曲では小節数が演奏家によってバラバラになってしまいます。そのため、小節番号の記載はいっさい諦め、発音している全員の打点が合う、キリの良い箇所にリハーサル番号が振ってあるのですが、これを結構細かい頻度で更新しています。最初のセクションAでは、A1からA4までが書かれており、全員が一つのテンポに揃うBで新たなセクションとしています。CとDはA以上にリズムのズレが著しく、やはり細かく細分されています。Eからは全員が一つのテンポで演奏しますが、これはテンポのズレを正確なプロポーションで示すメトロノーム記号の数字が割り出しにくいためで、逆に複雑な連符が絡んできます。しかも極端な加減速を伴っているので、全員で新たなテンポを目指すのも相当難しいアンサンブルの技術が要求されます。例えば打楽器、ピアノ、ギター、チェロが7拍子を八分音符で刻む間に、トランペットとトロンボーンは最初の八分音符は普通の休符、残り八分音符13個分を14連符に変えて、リズム・ユニゾンで連符の奇数拍のみを演奏します。ここには大きなリタルダンドがかかっていますが、金管以外のグループが均一にリタルダンドがかかっていくのに対し、金管グループは少しだけリタルダンドの効果が弱くかかります。このようなトリックが2、3小節ごとに新たなテンポを求めて繰り広げられるので、相当なリハーサル時間を要する曲でしょう。

ホフマンがスコアに示している基本となるテンポはおよそ7種類で、その関係性をスコアの冒頭でしっかり計算して出しています。BPM=160は拍を4分割した場合その5つ分でBPM=128、BPM=128を5分割したものの4つ分でBPM=100, …という具合です。こういう関係性を160, 128, 100, 80, 64, 50, 40という頻出テンポに関して示し、正確に同時な到達点を目指す演奏計画を要請しています。

Thorofonレーベルから出ているホフマンの作品集CDの解説を南西ドイツ放送の音楽学者ミヒャエル・レープハーンが書いています。ここで彼はホフマンの特徴を「理由のない反逆者ー革命的な目的なしに叛逆する抗議者」として紹介しています。特に『その代わりに』についてヴァイルの歌の歌詞(ブレヒトによる)「その代わりに/彼らがするのは楽しむことだけで、彼らは興奮を得るだけです/そして彼らは汚く死ぬのです」という言葉を用いて、ホフマンの音楽はこの言葉に共鳴している、とします。私がホフマンの音楽を聞く時の感じも近いものです。とにかく彼は純粋に面白いと思うことを楽しんで書いている気がします。多くはない作品のいずれも、目を見張る新鮮さがあります(必ずしも過去に全然なかったということではありません)。日本ではまだまだ全然聞く機会に恵まれない作曲家ですが、これから演奏されるようになっていくと嬉しいです。

*「楽譜のお勉強」シリーズ記事では、著作権保護期間中の作品の楽譜の画像を載せていません。ご了承ください。

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