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楽譜のお勉強【20】エリック・サティ『ソクラテ』

エリック・サティ(Erik Satie, 1866-1925)は3つの『ジムノペディ』、6つの『グノシエンヌ』等のピアノ小品や歌曲、キャバレー・ソング等で大変よく知られた作曲家です。風変わりな作品が多く、とりわけ『ヴェクサシオン』というピアノのための小さな曲は、840回繰り返す指示が書かれており、実際に演奏すると18時間以上もかかることで有名になりました。何人ものピアニストがリレーで演奏するコンサートが稀に開催されたりしています。ピアノ曲はとても頻繁に演奏されているのですが、劇伴奏音楽やダンスのための音楽もいくつか残しており、いずれも似たようなレパートリーを探すことが困難な個性的な音楽です。今日はサティの『ソクラテ』(»Socrate«, 1917-1918/rev.1920)という4人の歌手と小編成の管弦楽のための作品を読んでみようと思います。

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タイトルのソクラテとはフランス語で、古代ギリシャの哲学者ソクラテスのことです。サティの『ソクラテ』はポリニャック公爵夫人のウィナレッタ・シンガーの委嘱によって作曲されました。女声を用いることが条件でした。当初サティは女声によって語られるナレーション付きの音楽を構想したようですが、後にそのアイデアを撤回し、歌として作曲することにしました。歌詞はプラトンの『饗宴』、『パイドロス』、『パイドン』をヴィクトル・クザン(Victor Cousin)がフランス語に翻訳したものから取られています。曲は3つの楽章から成っていて、第1部「ソクラテスの肖像」、第2部「イリサスのほとりに」、第3部「ソクラテスの死」と題されています。

管弦楽の編成はフルート、オーボエ、イングリッシュ・ホルン、クラリネット、バソン、ホルン、トランペット、ティンパニ、ハープ、第1および第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスです。歌手はそれぞれ登場人物を割り当てられていて、アルキビアデス、ソクラテス、フェードル、パイドンの4人をソプラノ(ソクラテスとパイドン)、メゾソプラノ(アルキビアデス、フェードル)が歌います。オリジナルの出版楽譜(Max Eschig社)では曲の成立経緯が記述されていません。さらに歌手の声種の割当も書いていないので、現在は自由に解釈されて男性が歌っている演奏も頻繁にあります。登場人物は全て男性ですから、男性が歌うとリアリティが増すような気もします。女声だけのヴァージョンの方が、サティの音楽に特有な屈託なさというか、写実的表現や劇的表現をきらう感覚みたいなものは前面に出てくる気がします。今回添付する音源は女声だけのものにしました。

歌詞はソクラテスについて他者が語っている場面を主に用いています。第1楽章ではソクラテスの弟子のアルキビアデスがソクラテスの言葉をサテュロスのパン・フルートの音色に喩え、ソクラテスの話す言葉がいかに人の心を魅了するかが語られます。第2楽章はソクラテスとフェードルの対話。イリサス川のほとりから座って休めるプラタナスの木の下まで散歩します。フェードルが投げかける質問に美しく答えていくソクラテス。最後の楽章は刑務所のソクラテスが最後の言葉を語るシーンをパイドンが語り、回想します。「彼は最も賢く、最も公正で、そして最高」だったと。

楽譜を見てみると延々と似たような風景が続きます。時折現れる三連符や16分音符を除くと、淡々と八分音符と四分音符が続く風景です。フレージングを見ても、2小節や3小節もしくは1小節以内でまとまっているものがほとんどで、短く完結するフレーズを繰り返すような音楽に、淡々とした口調で語られるような歌が乗っかっている様子です。語るような口調で歌う歌をレチタティーヴォと言いますが、いわゆるカンタータではレチタティーヴォと対比効果を持つアリア(高らかに歌い上げるような音楽が多く、声楽的な意味で技巧的)を組み合わせて音楽に奥行きを持たせることがほとんどです。その点、サティの『ソクラテ』は、いわば全編レチタティーヴォなので、古典的な意味でのカンタータの趣が全くありません。今日のサティよりも新しいレパートリーと比べて見てもとても珍しい音楽になっています。

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オーケストレーションも独特です。極端に切り詰められた音数で、無駄な虚飾を排した姿勢はフランス・ロマン派のオーケストレーションにしばしば見られたものでした。例えばビゼーの『子どもの遊戯』などは本当に少ない音数で最大限の効果を引き出す洗練の極みを見せるオーケストレーションです。『ソクラテ』の楽譜の見た目も一瞬そのようなフランスの洗練されたオーケストレーションに属するような印象を受けるのですが、よく見ていくとかなり朴訥とした筆致です。例えば4ページ目2小節目のホルン、アルキビアデスが歌うメロディーの2音目から4音目までをなぞって旋律線の補助をして補強します。しかし、この三音が抜き出された意図が考えてみると納得し辛いのです。旋律の最初の音はなぞられませんから、徐々に響きを補強する意図でしょう。しかし、メロディーは5音目以降も続きますし、なおかつディアトニックに漸次進行するので、次の小節の頭まで行くか他の楽器に引き継ぐか何かして、処理したくなります。ヴァイオリンに引き継いでいるように一瞬見えますが、別の音に飛んでいますし、聞いてみても、ヴァイオリンは新しい要素を出してきた印象です。やはりこのホルンは微妙に変に浮いているのです。

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しかしオーケストレーションが下手ということではなく、この独特の感性から来るモチーフの処理が絶妙で、曲全体の味になっているのです。「何かちょっと変かも」が独特のセンスに裏打ちされて曲全編を支配します。小さな引っかかり程度の味なので、曲が下卑た挑発性を帯びることもありません。唐突な変化のオンパレードですが、先に述べたようにレチタティーヴォの雰囲気の中で行われているので、程よく遊びを効かせたように仕上がっています。以下にサティ独特のセンスを感じた箇所を少しご紹介します。

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曲の中で場面の転換に音階が演奏されることがしばしばあります。そして音階は頻繁に並行4度で演奏されます。古典的な和声では使用に注意が必要な連続する4度を裸でバンバン聴かせるのは特徴的で、ハーモナイザーで不思議なエフェクトをかけられた音階のように聞こえます。

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極端に薄いオーケストレーションですが、必要なおとを必要な分量だけきっちり書いてあります。オーボエ独奏と対になっているのが第2ヴァイオリンというのもセンスを感じます。少しだけコメントするような歌パートも絶妙です。

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弦楽器の合奏からいきなりヴィオラが裸になります。音符の上にen dehors(外に向かって)と書いてあります。音を強調したいときに書く言葉です。豊かな弦の音色から、存在感抜群のヴィオラへの対比がとても美しいです。

サティの『ソクラテ』は、全編を独特なセンスで処理されたユニークな作品です。そのユニークさを一番体現していると感じるのは、4人の歌手の扱いです。4人も歌手がいるのに重唱はなく、1つの場面を延々と一人もしくは二人の歌手が交互に歌います。第1楽章では最後にソクラテスが一言を歌うまでは、全編アルキビアデスが歌います。アルキビアデスはこの後登場しません。第2楽章はソクラテスとフェードルの対話ですから、二人の歌手が歌います。この二人も第3楽章には登場しません。最後の楽章はパイドンが歌います。それぞれ時間も繋がっておらず、他の楽章には登場もしないことから、連続する物語ではなく、独立した歌曲がまとめられたような作りになっているのですが、わざわざ歌手が変わるのです。この登場人物たちがただ一人(もしくは二人)で干渉することもなく、舞台に居続けている様子こそが不思議な空間です。もちろん物語を伝えるオラトリオでは、役の付いた歌い手が楽章によって休みばかりということもよくあります。しかし、そもそも物語性がこれほど希薄なのに、物語の様相を見せようとしながら、そのことに独自の語り口で成功していることこそが、『ソクラテ』の不思議な魅力だと感じました。

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