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楽譜のお勉強【94】ボフスラフ・マルティヌー『リズムの練習曲集』

ボフスラフ・マルティヌー(Bohuslav Martinů, 1890-1959)は20世紀を代表するチェコの作曲家です。6曲の交響曲が有名で、他にも多くの協奏曲、オペラ、バレエ音楽、室内楽曲、独奏曲を残した多作家です。ヴァイオリニストとして早くから才能を示し、キャリアを開始しますが、チェコの音楽界に満足できず、パリに移ります。チェコでは短い期間ヨゼフ・スークに作曲を師事しますが、本格的に作曲に関心を示すようになるのは、1923年にフランスに移ってアルベール・ルーセルの薫陶を受けるようになってからです。フランス流の印象主義や新古典主義、ジャズの影響を受けた音楽など全てに関心を寄せるようになり、関心の全てが作風に反映するようになります。一般に新古典主義の作曲家のように言われることが多いですが、作風が柔軟で、一つの主義主張にとらわれない自由な音楽が魅力になっています。

私自身、400曲ほどの楽曲を残したマルティヌーの音楽の全貌を知っているわけではありませんが、短いピアノ商品を弾いたり、いくつかの協奏曲や管弦楽曲を勉強したりしてきました。前回私のnoteで書いた記事では、2023年11月に初演される予定の私のピアノ独奏曲『ピアノ・エチュード集 第1巻』について書きましたが、作曲にあたり、多くの「エチュード」と呼ばれる楽曲を確認しました。マルティヌーにはいくつか「エチュード」(「練習曲」と訳されます)と題された曲がありますが、とりわけ私の関心を誘ったのはヴァイオリンとピアノのための『リズムの練習曲集』(«Rhythmische Etüden» für Violine und Klavier, 1931)でした。そこで本日はこの曲集についてご紹介いたします。

曲集は7つの「エチュード」から成っており、ショット社による出版楽譜では7曲全てが見開き2ページから成る短い曲ばかりです。ピアノ・パートはオプション扱いで、ヴァイオリン独奏曲として演奏しても成立するようで、楽譜でも小さい音符で書かれています。ただし、私自身はこの曲の独奏版を聞いたことはありませんし、ほとんどの場合二重奏曲として演奏されるようです。書法的にかなり相互補完的で、ピアノ・パートがなければ「リズムの練習」はあまり成り立たないようにも見えます。というのも、この曲で行われるリズム練習は、概ねフレージングに関するもので、拍節感を自由にずらした旋律が自在で面白いのですが、基軸となる拍節感を演奏するピアノ・パートなしでは、どうしてもただ即興的な幻想曲風の音楽になりがちだからです。ヴァイオリン・パートと噛み合わないピアノ・パートが要所要所で一体感を聞かせるところが大きな聞きどころです。

第1番、アレグロ。二拍子ですが、ピアノ・パートがしっかり二拍子を八分音符で刻むのに対し、ヴァイオリンの小節は点線で引かれており、ほとんど二拍子のフレージングが行われません。符鉤も小節を跨って引かれている場合がほとんどで、ピアノと噛み合わない面白さがあります。ただし、ポリリズムのような複雑なものではなく、基本的には8ビートに乗って、16分音符までの分割でその組み合わせによって拍節の長さを調節しているので、全然ピアノと合っていない感じはありません。16分音符3つがグループでゼクエンツで下行していくフレーズが幾度も現れますが、この時それぞれのグループの頭にアクセントが付けられており、ピアノの4分音符二つの拍節感とずれていくことが強調されているのが面白みになっています。

第2番、ポコ・アレグレット。5/8拍子の長短を持つ拍節による練習曲です。概ね八分音符3+2のフレーズ感で進みますが、時折2+3に変更され、自由なフレーズを作ろうとしています。また、ヴァイオリンが大きなフレーズを作ることもあり、小節を超えて3/4拍子になることがありますが、その結果、拍点がずれていくのでそこがまた面白みになっています。

第3番、モデラート。7/8拍子から始まり、10/8拍子、11/8拍子と小節単位での単位時間が伸びていく構造を持つ練習曲です。ただし、10拍子、11拍子においてはピアノのパートは10もしくは11のまとまりを持っておらず、ヴァイオリンのフレーズは10、11に当てはまるように書かれてはいますが、小フレーズに分けることも可能な書法がほとんどで、10拍子、11拍子を感じることは困難なように感じます。シンプルに書けるものをわざわざ難しく書いているようにも見えます。10拍子の扱いとして唯一興味深いと感じるのは、11拍子に変更される直前で伴奏型が5/8のまとまりを持っているのに対し、ヴァイオリンは5/4のまとまりを持っているので、10/8拍子の意味を見出しました。

第4番、アレグレット・モデラート。目まぐるしく変わる変拍子の音楽です。4/8、3/8、2/4、5/8、3/8、2/4、6/8…と目まぐるしく拍子が変わります。実際に聞いても、リズミカルであるのに何拍子で書かれているのか分からない筆致で、興味深く聴くことができます。曲の最後9小節は4/4拍子で畳み掛けるような和音連打に乗ってメロディーが歌い、大きな盛り上がりを作るのも効果的です。ただ、4/8と2/4がどちらも頻繁に出てくるのですが、ほとんど音楽内容が一緒なことがあり、何を持って書き分けているのか、考えてみてもうまい答えは見出せませんでした。

第5番、アンダンティーノ。3/8=9/16拍子で書かれています。拍の分割が2だったり、3だったりしますが、支配的なのは3分割の9/16拍子です。曲中に何度か五連符が出てきます。拍を5分割している箇所は装飾的で3対5のやや複雑なポリリズムであるものの、効果は装飾的です。しかし後半に出てくる小節全体を5分割するモチーフは、伴奏型とあきらかに異なる時間の流れを作り出し、興味深い聴取を引き出しています。

第6番のアレグロ・モデラートは「ジャズのリズムで」という副題が付いています。チャールストンのリズムに近いリズムで始まりますが、どんどんと変化していき、即興的な趣があります。ジャズのイディオムを積極的に使用した同時代の作曲家エルヴィン・シュルホフの小品のような雰囲気もあり、快活な魅力に溢れた曲です。

第7番のアレグレットも副題を持ち、「休符を伴って」と書かれています。ピアノ・パートは概ねアルベジオなどで持続を作っていますが、ヴァイオリン・パートは断片的でフレーズに多くの休符を含みます。曲の最後ではピアノとヴァイオリンが16分音符3つで追いかけっこをするので、ピアノ・パートを伴わない演奏では相当印象が違うと思います。この第7番は曲の形自体の形成をピアノに頼っているふしがあるため、逆にヴァイオリン独奏版を聞いてみたいと思いました。休符をフレージングに活かす様々な工夫が必要となるでしょう。

マルティヌーの音楽の耳あたりの良さはもう少し演奏頻度につながっても良いのではないかと思っています。ただ、今回の『練習曲集』でもそうですが、かなり即興的な構成を持つ音楽も多く、長く練習しているうちに惰性的になってしまうのかもしれません。私の『ピアノ・エチュード集』は高度にリズム処理を課題として扱った音楽で、リサーチのためにマルティヌーの『リズムの練習曲集』も捲ったのですが、少し物足りなく、作曲時の参考になる点はありませんでした。しかしこの曲集自体は素朴でチャーミングなもので、アンコールピースなどにも適しているように思います。

*「楽譜のお勉強」シリーズ記事では、著作権保護期間中の作品の楽譜の画像を載せていません。ご了承ください。

*私の『ピアノ・エチュード集 第1巻』についての記事はこちら。

*記事で触れた作曲家シュルホフに関する記事はこちら。


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