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楽譜のお勉強【48】ミナス・ボルボゥダキス『デッド・ストロークス』

エドガー・ヴァレーズ(Edgar Varèse, 1883-1965)が西洋音楽史上初と言われるパーカッションだけのアンサンブル曲『イオニザシオン』(»Ionisation« for 13 percussion players, 1929-1931)を作曲してから90年以上が経ちました。今では、打楽器のみで構成されたプロのアンサンブルもいくつも生まれて、打楽器演奏の華麗な身体性と相まって人気のジャンルの一つとなっています。それと同時に、打楽器アンサンブルは保管場所や必要な楽器の多様さ、リハーサル・スペースの確保の難しさ、搬入搬出の大変さがあって、なかなか経営が大変なことも確かです。打楽器アンサンブルの演奏会をコンスタントに聴く機会は、各地の音楽大学の打楽器科が開催するものが多いように感じます。ピアノ独奏や小さな楽器の小編成の室内楽に比べて演奏の機会が限定されますが、打楽器の持つ生命力溢れる響きの世界は作曲家の創作意欲を刺激し続けています。

今回読んでいくマリンバ独奏と4人の打楽器奏者のための『デッド・ストロークス』(»dead strokes« for marimba solo and percussion, 2006)は、現代ギリシャの作曲家ミナス・ボルボゥダキス(Minas Borboudakis, b.1974)によって作曲されました。独奏パートは作品の献呈者のペーター・ザドロ(Peter Sadlo, 1962-2016)のために書かれていて、華やかな名技性を要求されます。4人の打楽器アンサンブル・パートは2台のヴィブラフォンが独奏の影のような役割を担い、それ以外の打楽器は伴奏的なリズム・セクションといった趣です。

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用いられる楽器は以下の通りです。独奏者:マリンバ、クロタレス、モノコード(後述)、アンサンブル第1奏者:ヴィブラフォン、第2奏者:ヴィブラフォン、第3奏者:木の棒(1ペア。クラヴェスや拍子木よりも文字通り「棒」に近いものを選ぶのだと思います)、ヴィブラスラップ、金属板4枚(吊るさない)、タムタム(小)、グロッケンシュピール、紙やすり、ヴィブラフォン(第1奏者とシェア)、第4奏者:木の棒(1ペア)、金属のバレル・ドラム(2)、サンダー・シート、ゴング(5つの音高指定)、ヴィブラフォン(第2奏者とシェア)。セッティングとしては、紛失しやすそうな小物楽器が少なく、軸になる楽器が鍵盤打楽器に固定してあるので、楽器さえ確保できれば演奏はしやすそうです。3台の鍵盤打楽器が必要なところ、特にヴィブラフォンを2台要求しているところが、少し大変かもしれません。

タイトルにある「デッド・ストローク」とは撥奏の技法の一つです。通常打楽器では、打鍵(打膜)したマレットは鍵盤上から打鍵後すぐに離して楽器を共鳴させます。マレットが鍵盤上に残っていると響きを止めてしまうからです。デッド・ストロークではマレットを打鍵したまま鍵盤上に残します。どちらかというと叩くというより叩いて押すという感じになります。それにより楽器の自然な残響が残らず、打鍵そのもののインパクトが「ゴツッ」と聞こえて違った響きになるのです。『デッド・ストロークス』ではこの響きが執拗に用いられています。ドライな残響のない音のリズム・パターンの中に巧みに響きを持った音を混ぜて立体的なリズム音響を作っていく音楽です。

冒頭2小節は独奏者と第1・第2奏者が完全にユニゾンです(2打)。3小節目から第2奏者が少し遅れてエコーのように弾きます。また音も少し減らして、打鍵後に鍵盤上を縦に擦るグリッサンド奏法でピッチ・ベンドを作ります。エコー効果の拡張といったところでしょうか。7小節目からは第1奏者も独奏者から遅れます。さらに独奏者は低音を利用するのですが、音域の足りないヴィブラフォンは高音域に留まります。少しずつ音楽が展開していく形です。その後マリンバはどんどん音を演奏していきますが、ヴィブラフォンの模倣は断片的になっていき、リズムの凸凹を作っていく役割を担っていきます。冒頭から背景にある要素として木の棒でのビート・セクションがあります。第4奏者によって一定のビートが刻まれている中、ときおり第3奏者が裏拍などで入ってきてリズムに立体感を作ります。スティックの裏打ち以外にもヴィブラスラップでセクションに節目を作ったりもしています。基本的には独奏者が音楽をリードする構図が続き、そこで提示された素材に基づきヴィブラフォンがデュオで応答する展開で進行します。また、最初の提示から遅れて同じ素材が聞こえることが多いので、一種のカノンの書き方ですが、何かが完全にカノンを成しているという訳ではありません。上下動する素材の中に隠れていたものが浮かび上がってきたり、また没していく凹凸がカノン的手法によって形作られているという印象です。

ビート・セクションに徹している第3・第4奏者に変化が現れるのは、第42小節です。先行する小節でヴィブラフォンがこれまでにほとんど見られない五連符で特徴的なリズムを提示します。五連符の最初二音と最後の一音を奏するリズムですが、大きな跳躍を伴うアルペッジョが内部に仕込まれていて(高音は固定)、一段上の躍動感を表します。これを引き継いで第3奏者が同じリズム・パターンを金属板で演奏していくのです。その五連符が始まった直後に第4奏者は金属のバレル・ドラムを六連符(記譜上は8分音符の三連符、第1打は休符なので五打)を提示し、ポリリズムの不協和を強めます。この六連符に呼応するようにマリンバが8分音符の三連符によるフレーズをヴィブラフォンと交代で演奏し、第4奏者は独奏者や第1・第2奏者との関わりを深めます。マリンバはすぐに五連符による走句に移行し、第3奏者とのアンサンブルになるのですが、五連符と六連符を次々に交替し、対応するアンサンブル・パートを次々に移っていくのです。疾走する音階風のパッセージや大胆な分散和音のパッセージを演奏し、ヴィブラフォンがそれに伴ったり、反行したり、追いかけたり、追い越したりしながら、ドライブ感豊かな音楽を形作ります。

次の大きな変化は125小節目にあります。ヴィブラフォンが弓奏で長い音符を弾き始めるのです。第3・第4奏者も弓を持ち、それぞれ第1・第2奏者の元に赴いて弓奏を始めます。最初は単音ですが、4人全員揃ってからは全員が短2度を演奏します。ビリビリ響く幻想的なコラールで、この響きに乗ってマリンバがトレモロでヴィブラフォンとは別の音組織のコラールを演奏します。独奏者がこの後、クロタレスを弓奏で演奏します。ヴィブラフォンはこのタイミングで短2度組織から解放されて、それまでは個別の発音点でそうしていたものを、完全な和音を一緒に演奏するようになります。その後再び疾走する音楽に戻って、いわば3部形式のA’のような回帰を果たして曲はコーダに向かいます。基本的にとてもシンプルな作りの音楽なので、この3部形式感もあまり気にはなりませんでしたが、よく考えてみると少し安易な気もしました。

コーダは余韻が美しい個性的なもので、先述の「モノコード」を用います。モノコードという楽器はありませんが、これは「単弦」の意味で、作曲家による説明があります。

「モノコード」として高音でかぼそい音質を得ることのできる任意の「弦鳴楽器の単一弦」を用いること(例・ギターやバンジョーの高音弦、ピアノの高音弦、等)。演奏家は弦を高音部と低音部に分割し(指などで弦長の中央以外の部分を押さえる)木のハンマーで叩く。モノコードはアンプリファイし、リヴァーブをかけること。

繊細な弦の音が興味を惹きます。ご紹介の動画では、何を弾いているのかよく見えませんが、自作楽器の可能性もあると思いました。他の楽器を用意するよりも手軽かもしれません。楽器によって終わり方の印象はなかなか違ったものになると思います。ただ、あまりにも唐突に別の世界の楽器が現れるような気もして、この終わり方には疑問も感じました。

ボルボゥダキスは、ピアニストとしても活躍しています。ピアノ作品をたくさん発表していて、聞き応えのあるものが多いです。生き生きとした自然な音楽的息づかいが魅力的な作曲家なので、これからも作品を聴いていこうと思います。

*「楽譜のお勉強」シリーズ記事では、著作権保護期間中の作品の楽譜の画像を載せていません。ご了承ください。

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