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楽譜のお勉強【13】ジグムント・クラウゼ『弦楽四重奏曲 第2番』

ジグムント・クラウゼ(Zygmunt Krauze, b.1938)は、現代ポーランド作曲界の重鎮です。現在ポーランドからは優秀な若い作曲家が多く生まれており、ポーランド以外の国でポーランドの新しい音楽が演奏される機会には若い作曲家の曲が取り上げられることが多いので、クラウゼの音楽が演奏される機会は一昔前よりも減った印象です。しかし、現在も国際的に尊敬を集める作曲家ですし、近作が話題に上ることも多い作曲家です。アメリカや韓国の大学で作曲を教え、2002年からは母国のウッチ音楽アカデミー(Academy of Music in Łódź)の教授として母国に戻って作曲家を育ててきました。2006年からはワルシャワのショパン音楽大学でも教鞭を執っています。激動の20世紀の作曲界を国際的に活躍したクラウゼの作品は、時期によって大胆な変遷を遂げます。1960年代から1970年代にかけては、スペース・ノーテーション(*空間記譜)を用いた曲がしばしば見られ、管理された偶然性を用いたりして柔軟な音楽の在り方を示しました。その中から1970年の『弦楽四重奏曲 第2番』を読んでみたいと思います。

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クラウゼが弦楽四重奏曲第2番で採用した空間記譜(音価を定めない、リズムの自由度の高い記譜法)は、秒単位で時間ユニットを区切るもので、ほぼ、BPM60の拍が記されていると考えて差し支えありません。リズムの打点はその区切られたブロック内のどの辺りに音符が書かれているかで、相対的に判断します。また、同ブロック内で他の奏者が演奏している場合は、その奏者の音が書かれている位置との関係性は考慮されるべきで、先に音が書かれている方がもちろん先に演奏します。これは楽譜上は自明のことですが、4人の奏者が演奏する中で4人ともブロック内に音を演奏し、なおかつ音数が多く書かれていると、自由に見えて意外と聴き合う練習が大切になってくるものです。そういったケースでほとばしる演奏家間の緊張感は、複雑なリズムを書き込まれた対位法的な四重奏とは、また別の味わいをアンサンブルに与えます。

2音、もしくは3音からなるモチーフを出来るだけ速く奏する時には、V字型の補助線がモチーフを構成する音符に対して引かれ、短いスペース内に乱雑に多くの音符がまとめられている場合には演奏家間のリズム点の整理に役立つ工夫になっています。また、1段に均一に11本の線が引かれているため、1段は10秒で固定(1本目の線は段開始の0秒地点)です。従って、楽譜の見た目の様子は以下のようになります(音は適当に書きました)。

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音源を注意してお聞き頂くと分かるのですが、自由に音が選ばれているようで、実は古典的なモチーフ作曲に近い音選びがなされています。冒頭は音がほとんど動かないので分かり辛いのですが、次第に音数が増えて、強度のも高まって行きます。リハーサル番号1番(楽譜の29秒目)でffffに到達し、再び時間をかけて音の動きの少ない弱奏に戻っていき、音が動く強奏へと展開していく、という手順を繰り返します。このとき、強奏に到達した箇所では音数が多いので、読んで行く上でもすぐに認識出来る要素として、モチーフの繰り返しがあります。リハーサル番号1番から4番の各開始時点と、3番の半ばにffffの最強奏が現れますが、そのいずれも同様に開始します。しかし、繰り返すたびに強奏部の長さが秒単位で長くなっていく仕掛けがあります。モチーフの音程操作や順番操作によって得られた新たな楽句が1秒ずつ設計を長くしていくのです。このモチーフ操作のクラシカルな方法を秒ごとのブロック単位で展開していくディダクティックな作曲技法は、スコアを読めばすぐに気付くのですが、耳で聴いていると「同じモチーフが現れがち」という程度にしか認識できないと思います。なぜなら、楽譜で見る音の点描と違い、実際にはそれぞれの音は伸びており、他の奏者との複雑な関係性の助けもあって、モチーフの味わい深い漸次的な変容を聴くような気分が演出されているからです。

それぞれの音が伸びていると書きました。楽譜は先の画像に示したような点描的な趣のある様子です。冒頭の注意書きに「全ての音をレガートで奏し、次の音まで伸ばすこと」と明記されています。また、「弱奏の場合は音を伸ばしている間に弓を返さないこと」とも明示されているので、音を伸ばす長さと鑑みて運弓スピードを慎重に計画しなければなりません。このような工夫で、限定された音素材や奏法からなるこの作品は色々な表情を獲得しています。

しかし、ここで一つ気になる点があります。上述の理由から楽譜では空白が目立つのですが(1段丸々空白ということもしばしばあります)、この曲では誰かが演奏していない瞬間などないのです。これは一般的な読譜の知識と大きな感覚のズレを生む可能性があるように思えてなりません。この曲を演奏したことのある奏者に心理的に何が起こっていたかを是非訊ねてみたいです。それではこの感覚の齟齬を均すために、多くの作曲家が空間記譜を用いる時にしばしば利用する直線を用いてはどうか。ある音から次の音まで音が伸びていることを示すことに用いられる線です。ちょっと考えると分かりますが、このような直線はこの弦楽四重奏曲では不要な情報です。なぜなら、音と音の分断を表現するべき箇所がそもそもないのですから。一つの音楽語法にこだわったからこそ、通常の読譜との感覚のズレが気持ち悪いとしても意味が理解できる楽譜になっているのです。そこがこの作品を優れたものにしていると言うつもりはありませんが、新しい記譜法を通常の記譜法と混ぜたりして用いる時に作曲家がしばしば陥る、楽譜のロジックの破綻は回避されています。リズムを正確に書く方法を採用すれば、この曲が持つ微妙な滲み合いの効果は弱まるかもしれません。クラシカルなモチーフ操作による作曲方法すら垣間見えるこの作品に、これほど限定的な素材の用法を強いることは大変不自由な作曲に見えますが、この作品においては成立していることが興味深いと感じました。

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クラウゼの世代の他の多くの作曲家がそうであったように、後年、彼もまた楽譜の実験からは距離を取り始めます。自分がどのような音楽を聴きたくて、それをどのように書けば演奏家と楽譜を通した十分なコミュニケーションを取ることが出来るのかを考えることは、楽譜を用いて作品を伝達する方法を取っている作曲家にとって大きな課題です。熟練の作曲家が若い時代に楽譜と工夫しながら向かい合った足跡を辿るのは、大事な勉強だと感じました。

*)空間記譜については、以下の記事でもう少し説明しています。


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