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楽譜のお勉強【68】ジョン・オールデン・カーペンター『海流』

アメリカの詩人ウォルト・ホイットマンはその作品や生き方を通じて多くの芸術家にインスピレーションを与えました。特に代表作『草の葉』(Leaves of Grass)に収録されている自由詩には、たくさんの作曲家が音楽を付けました。『草の葉』に収録されている詩に作曲された音楽で特に有名なものに、イギリスの作曲家フレデリック・ディーリアス(Frederick Delius, 1862-1934)が作曲したバリトン独唱と合唱、オーケストラのための『海流』(»Sea Drift«, 1903-1904)があります。壮麗で優美、哀愁も湛えた美しい音楽は今日世界で広く演奏されています。一方、ディーリアスの作品ほど有名ではありませんが、ホイットマンの『海流』にインスピレーションを求めた交響詩を、アメリカの作曲家ジョン・オールデン・カーペンター(John Alden Carpenter, 1876-1951)が作曲しています。こちらのはアメリカの管弦楽作品の歴史では重要な位置付けですが、今日それほど演奏の機会を持ちません。しかし、カーペンターの交響詩『海流』(»Sea Drift«, 1933)も幽玄で憧憬に満ちた響きを丁寧に作曲してあり、本日読んでいくことにしました。

カーペンターの『海流』の編成は金管楽器の多めな二管編成です。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットがそれぞれ2本、ホルン4本、トランペット3本、トロンボーン2本、バス・トロンボーン、チューバ、ティンパニ、シリンダー・ベルという変わった楽器を含む打楽器群、チェレスタ、ハープ、ピアノ、弦楽5部です。打楽器の中にはヴィブラフォンが含まれますが、ディーガン社のものを指定しており、型番も明記されています。オーケストラが必ずこの指定を守って演奏するとは思えませんが、作曲家の中で音に対するこだわりがあったのかもしれません。

ホイットマンの「海流」は『草の葉』に収録された海に関する11の詩の連作を呼んだものです。海景のさまざまな表情が幻想的に描写され、ありありと映像を喚起します。カーペンターの交響詩では静まり返った海を想起させる始まり方です。9/8拍子、12/8拍子と複合拍子で開始しますが、八分音符=66という極めてゆっくりとしたテンポ(Lento tranquillo)が指示されています。旋律はヴィオラとチェロの低音で始まります。この旋律は八分音符の刻みで進行しますが、複合拍子ではなく、二連符に直されています。三連符を奏しているのはティンパニだけで、ゆっくりしたヘミオラのリズムと、繰り返すクレッシェンドとデクレシェンドが波のゆらめきを表現しています。

手書きのスコアには小節番号は書いてありませんが、リハーサル番号が振ってあります。リハーサル記号1番(7小節目)からテンポがBPM=76に上がり、そこからは数小節ごとに細かく加速や減速を繰り返し、設定テンポ自体も細かく変遷していきます。このテンポの揺らぎは楽曲構成の大きな要素となっています。この作品ではなんと10小節以上テンポが一定で進む箇所が全くありません。常にテンポは移ろい、海の表情の翳りを情感たっぷりに演出しています。この作品の和声は減三和音がベースになっている箇所が多く、調性の確定をほとんどせずに展開するあたりも後期ロマン派的です。またベルクの『抒情組曲』に見られるようなテンポの頻繁な変更は新ウィーン楽派的な考え方からの影響もあるかもしれません。曲調から考えると印象派の影響と考える方が自然かと思いますが。いずれにしてもすごいと感じるのは、これだけテンポを揺らしておいて、音楽の流れは一切いびつになっていない点です。また、この曲全体を支配しているもう一つのリズム要素は2対3のポリリズムのリズム不協和を聴く、いわゆるヘミオラです。冒頭から用いられていることは先述の通りですが、曲全体で、ほとんどどこかの西部にポリリズム(特にヘミオラ)が仕込まれています。テンポの揺らぎとリズム点の曖昧さが重なって、音楽の輪郭は常に滲んでいて、水彩画のような効果を生んでいます。

オーケストレーションもロマン派的です。弦楽ベースで、重要なソロを演奏する楽器がある時は極力薄く、音域の配置にも配慮しています。そういった箇所で音の重ね方で品がよく、上手だなと感じたのはホルンの使い方でした。オーボエやフルートの1オクターブ下にホルンを1本重ねて倍音補強をしている箇所がいくつかありました。ホルンはどんな楽器とも混ぜやすく、曲が持つ響きの滲みのような性格を実現するときに、同族楽器を1オクターブずらして重ねるのでは強力すぎるし、完全にソロでは目立ちすぎるという懸案を解決してくれている楽器の使い方です。オーボエ・ソロが2つの短い断片を演奏した後にホルンが重なってくる箇所などは、まさに響きが生成されたという感覚で、強い表現だと感じました。ホルンなしでも音楽としては成立する箇所なのですが、ホルンを書かれてみれば、それこそが最適であったと感じる管弦楽法の妙です。

Wikipediaの日本語版のカーペンターのページで、この交響詩『海流』は近年演奏の機会が増えつつあると書かれていました。初期のアメリカ芸術音楽の作曲家としては出色の作曲家であったカーペンターです。私は彼の『海流』がプログラムに組まれているのを見たことがないのですが、本当に演奏の機会が増えているのだとしたら、喜ばしいことです。色彩的な管弦楽法には聴くべき内容が多くありますし、他の作品も含め、もう少し日本でも認知されても良い作曲家だと思います。

最後に、ディーリアスの『海流』のリンクと、ホイットマンの『Sea Drift』のリンクもあげておきます。ディーリアスに関しては、「楽譜のお勉強」で取り上げる予定ですが、他にじっくり読みたい曲があるので、『海流』とは別の作品でご紹介したいと思います。



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