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楽譜のお勉強【80】アルノルト・シェーンベルク『セレナーデ』

西洋音楽史には、いくつか歴史の転換点と捉えられるポイントが存在しています。例えば政治的・思想的な前提が崩れて新しい社会へと変わる時に、大きく音楽の様式が変わることがあります。また、音楽はいつでも社会のあり方と無関係ではありませんが、そういった要因以外に、純粋に音楽に携わる人々の音楽的な内的必然によって新しい様式が確立していくこともあります。いずれにしても、そのような転換点において、優れた才能を示し、新たな様式の価値を世に積極的に問うことを担う作曲家がいるのです。アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874-1951)は、まさにその様な、大きな音楽表現の革新を行なって定着させた作曲家の一人です。

一般にシェーンベルクは無調の音楽を切り拓いた作曲家、「十二音技法」という作曲技法の創始者として知られています。無調に関しては、シェーンベルク以前の後期ロマン派の音楽に調性の崩壊の萌芽はすでに見られるため、シェーンベルクが純粋に創始者ということはできません。ですが、調性のない音楽表現をさまざまに試み、定着させたということではシェーンベルクの無調音楽への功績は計り知れません。また、1オクターブの中の12の音を音列として定め、楽曲内で同程度の頻度・価値で使用する「十二音技法」という作曲技法はほとんど「無調」であることを保証するため、無調音楽の中でも特徴的な種類の音楽で、一つの時代を築いたと言えます。今日「十二音技法」というと、シェーンベルクがまとめた方法論を指しますが、彼よりも数年早く、ヨーゼフ・マティアス・ハウアー(Josef Matthias Hauer, 1883-1959)という作曲家が独自の十二音技法を作り上げていたことも付記しておきます。

本日ご紹介する『セレナーデ 作品24』(»Serenade« op.24, 1920-1923)は、無調から十二音技法への過渡期にあったシェーンベルクが初めて全編に渡る「十二音技法」で作曲した楽章を含む楽曲です。編成は変わっていて、クラリネット、バスクラリネット、マンドリン、ギター、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの七重奏に低声の男声独唱が加わります。全7楽章で演奏時間は35分弱、ちょうど真ん中の第4楽章で男声独唱があり、その楽章が完全に十二音技法で作曲されています。

シェーンベルクの作品について、割と丁寧な解説をウィーンにあるアルノルト・シェーンベルク・センターのホームページ(schoenberg.at)で読むことができます。『セレナーデ』という作品について、私がちょっと感想を述べるよりも、歴史的な経緯などいろいろな情報が書いてありますので、まずはそこで紹介されているドイツ語の説明文の翻訳をご紹介します。英語の紹介文もありますが、内容が異なり、ドイツ語の紹介文の方がより詳述されているので、そちらから。

1920年代初頭、アルノルト・シェーンベルクは作曲技法の転換点にありました。『セレナーデ 作品24』では、彼が提唱していた「相互にのみ関連する12の音階による作曲技法」を初めて大きな作品の中で試みました。移行期の他の作品と同様に、『セレナーデ』はまだ完全な12音ではありませんが、大小の音のグループに基づいて、基本形とその鏡像から作品を発展させるという考えで支配されています。ここでシェーンベルクは新しい方法の可能性を実験し、拡張された調性と自由な無調のセクションの間に橋渡しを施し、構造を自由(柔軟)なものにしています。彼は、古典的な方法で古い形式を使用したり、テキストへの音楽的な方向づけや特定のリズム構造の使用を通じて、ハーモニー、メロディー、調性が持っていた形式形成傾向の喪失を補おうとしています。タイトルの「セレナーデ」は、1920年頃にはすでに時代錯誤のように見えるジャンルです。音楽の進歩は、過去への回帰によって示されたのです。
シェーンベルクは1920年から1923年にかけて『セレナーデ 作品24』を作曲し、非公式初演は1924年5月2日にウィーンのノルベルト・シュヴァルツマンのプライベートな集まりで行われ、翌年の夏にドナウエッシンゲンで初演されました。楽器はセレナーデの伝統に基づいており、マンドリンとギターは、弦楽器のコル・レーニョ(弓の木製部分で奏する奏法)やピツィカートなどの効果と相まって、民族的な性格を生み出しています。
第1楽章は、3部形式の行進曲で、珍しい5小節からなるテーマは、すぐに一種のワルツのようなリズムへと向かいます。この行進曲は終楽章で再び現れ、作品全体にアーチ構造を与えます。第2楽章はトリオ付きのメヌエットで、現代に適応した内容であるものの、セレナーデの古い伝統に完全に準拠しています。8小節のテーマに呼応する後続主題は5度関係ではなく、減5度から始まります(注:対応するモチーフは後続主題開始の少し後にちゃんと5度上で出てくるので、少し疑問です…)。楽器ごとに割り当てられた音素材は交換されることで連続的な特徴を持つ構造を作っています。
続く変奏曲(第3楽章)の主題は、クラリネット独奏の旋律に現れ、14音で構成されています。主題は鏡像として逆行形で反転されます。変奏はリズムとモチーフの両方の点でそれぞれに異なる処理がされており、重ね合わせ、分割、反転、リズム化によって作曲されています。シェーンベルクはこの楽章について、十二音技法の技法が、「12種類の音だけに制限されていることを除いて」すべて利用されているとしています。
『月に憑かれたピエロ』にも似たスタイルで声楽が演奏される中心楽章では、フランチェスコ・ペトラルカのソネットに音楽が付けられています。シェーンベルクの時代には完全に過去の遺産となっていた非常に古いテキストを使用することは、古い音楽形式を使用することと同じような意味を持っている可能性があります。この楽章は、シェーンベルクの最初の厳密な十二音技法による声楽作品です。音列は一種の定旋律として扱われており、のちの十二音技法作品と比較して、新しさや想像力に欠ける、きわめて規則的な扱いのように見えます。シェーンベルクはいわば実験段階にあり、この時点では十二音技法の限界と可能性について探っていません。支配的な12音音列は、11音節からなる韻律と対照的です。一音一音が各音節に当てはめられるため、新たな行は必ず異なる音から開始することになります。これは特異な状態であり、音列を変形も変化もせず、位置とリズムの変化によってのみ区別され、連続して13回繰り返される音列の硬直性を緩めています。音列は逆行形のフガートとして挿入される器楽の間奏の間も続きます。
「セレナーデ」に義務的に含まれる舞踊楽章は、ワルツとレントラーという2つの異なるダンスを組み合わせて作られています。この楽章でも、音列は2つの独立した部分として構成されています。続く楽章「無言歌」は、フェリックス・メンデルスゾーンにインスピレーションを受け、セレナーデの構成にロマン主義を取り入れています。落ち着いたメロディーが低音のベースの上に展開し、ギターの典型的にロマンティックな伴奏が演奏されます。フィナーレでは、最初の楽章から取られた行進曲を繰り返し、他の楽章から主題の素材を引用していきます。(テレーゼ・ムークセネーダー/訳・稲森安太己)

楽曲の解説はほとんど十分かと思いますが、私が個人的に見事だと思った箇所をいくつか挙げてみたいと思います。まず、第1楽章の行進曲をとても面白く聞きます。最初からヴィオラの跳弓奏法を主体とした前奏が個性的で、普通ではない行進曲だと想像を掻き立てられます。合奏で行進曲が始まってからも、2/2拍子で行進曲のフリをしていますが、内在拍は5/4を主体としたフレージングです。なので、二拍子系を感じさせる八分音符4つのテトラコルド風モチーフが現れるタイミングも、いつも小節の真ん中であったり、小節の後半であったりして、常にズレていくので、全然行進に適していません。また、クラリネットのソロ旋律には多くの装飾音符が付いていますが、これがまたコロコロと転がるような味わいがあって、諧謔味が心地よいのです。

メヌエットではトリオ部分の開始時に現れる伴奏型がとても面白く、付点のリズムのリズミカルな跳躍と拍を刻む順次進行がとてもセンスを感じる音楽です。トリオに入るまでの部分がかなり複雑な対位法によっていますから、特徴的なリフが出てきた時の安心感も見逃せません。続く変奏曲は鏡像による処理がとにかく多く、理知的な音遊びという印象を受けました。

第4楽章のソネットでは、確かに解説にある通り、音列の扱いがほとんど原始的です。最初に十二音技法で作曲しているため、複雑な処理をしなかったというのが正解なのでしょうが、表現の目標は十分に複雑です。わざわざ各行が十一音節からなる詩を選び、12の音に付けることでフレーズをズラしていっているわけです。音列が原型のまま変わらずに繰り返される様子も、何やら原始的な儀式性を帯びていて、ペトラルカという古い時代ともリンクします。作曲を煩雑にしてはいないけれども、音列作法による表現力については、そもそも確信を持っていたように感じられます。

舞曲の楽章では、行進曲と同様に立体的なアーティキュレーションの魅力が存分に発揮されます。十二音技法はその後トータル・セリエリズムへと展開していき、それまで想像もつかなかったような複雑な音楽を可能にしていきました。しかし、現代音楽の作曲家の間で大流行しすぎて、凡庸な曲も多かったと思います。シェーンベルクの闊達な音楽の語り口を味わっていると、豊かな才能に恵まれた人がやはり時代の最先端を切り開く役割を担うのだと改めて思います。この楽章のどこをとっても常套的な表現を避けようとする姿勢、生き生きとした音楽性を感じます。舞曲なので、他の楽章に比べて伴奏音型が繰り返される箇所が多い点も、音楽に個性的な形を与えています。

第6楽章の「無言歌」はしっとりと薄いオーケストレーションで書かれています。バスのリズムは基本的にとてもシンプルで、まさに旋律を歌わせるための機能という感じで、ロマン派の香りがします。終楽章のフィナーレは再び行進曲をベースとして、他の楽章のモチーフを散りばめている音楽で、記憶の再構築に寄与しています。形式的にも全体の均整が取れて良いのだと思います。この10年ちょっと前に発表されたラヴェルの『高雅で感傷的なワルツ』の終楽章なんかも同じ発想です。楽曲の形が整いますが、最近の私は個人的にはこのような構成にあまり価値を見出さなくなりました。曲を閉じるか開くかという話になりますが、曲を自然に閉じるよりも、あらぬ方向に放り出す方が、音楽が世界との接点を見つけるのではないか、という考えです。しかし、規模を考えると『セレナーデ』の終楽章のように曲をきっちり終わるのも聴取の満足感は満たされるので、ケース・バイ・ケースかなと思ったりもします。

シェーンベルクのように、私が魅力的だと感じる作品を多く残した作曲家の曲を「楽譜のお勉強」連載で取り上げる時には、どの曲を選べば良いのか本当に悩みます。いろいろな曲の動画を見ていたのですが、今回ご紹介した演奏が大変に見事だったので選びました。シェーンベルクの音楽は基本的には音が多く、作り込み方が複雑です。立体的に響きを作り上げるのは本当に大変で、今回の『セレナーデ』も、私の中ではもう少しのっぺりした演奏が記憶に残っていて、それほど名曲だと思っていませんでした。『セレナーデ』の演奏頻度は高くなく、私はまだこの曲をライブで聞いたことがありません。この動画を見て、機会があれば万難を排して聴きにいきたいと思いました。以下に総譜付きの別の動画も付けておきます。


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