見出し画像

楽譜のお勉強⑨トリスタン・ミュライユ『輪郭が震えるところ』

現代の新しい音楽において影響力を持った潮流の一つにスペクトル音楽があります。スペクトル音楽とは、1973年に作曲家トリスタン・ミュライユ、ジェラール・グリゼイ、ユグ・デュフールらによって結成されたフランスのアンサンブル・イティネレール(Ensemble l'itinéraire)が中心となって、音響現象の倍音構造をスペクトル解析したり、理論的に倍音を合成したりする作曲方法によって書かれた音楽、またその考え方の影響を強く受けた音楽を指す言葉です。1970年代から始まった音楽ですから、「新しい」音楽かと問われればいささか疑わしいのですが、今日の高等作曲専門教育の場では大変よく勉強されており、それらの作曲家から強い技法的あるいは思想的な影響を受けたと見られる若い作曲家が次々にデビューしている事実があります。音響現象に対する科学的なアプローチを採用したり、自然界に存在する倍音構造を無視しない態度がそれ以前の現代音楽に比べて協和音の新しい用い方を示したりして、未知の音楽を探る魅力的な道を示したと言えるかもしれません。

今回は初代スペクトル楽派の中でも指導的な役割を担っていたトリスタン・ミュライユ(Tristan Murail, b.1947)がイティネレール結成以前の習作時代に作曲した2つのヴィオラのための『輪郭が震えるところ』(Où tremblent les contours, 1970)を読んでみたいと思います。YouTube上に楽譜付きの音源が上がっていましたので(良いのかな?)、興味のある方はご覧になりながらお聴きいただければと思います。著作権の問題がクリアになっているか疑わしいので、こちらにリンクは貼りません。また、日本にはスペクトル音楽の専門家も多く、その音楽についての論文やエッセイも多くあります。ですから敢えてミュライユの音楽語法には深く踏み込まず、楽譜から読み取れる本作品の音楽的特徴のみと向き合ってみます。

画像1

スコアはスペース・ノーテーション(空間記譜)で書かれています。厳密なリズムを定めずに、自由な解釈で書かれた音符を演奏する記譜法です。それぞれの作品の記譜ルールによってリズムや音の持続の自由度が異なり、一般的な記譜法に比べて個々の作品の読譜のルールを覚えなければならない点が演奏家にとって少し不便な記譜なのですが、自由度が高いことから生まれる表現もあり、曲によっては巧く作用します。楽譜冒頭に楽器の奏法に関する覚書がありますが、こちらはそれほど難解なことがなく、直感的に図示されていることが読み取れる場合が多いので割愛します。重要なのは説明ページの下半分に書かれたスペース・ノーテーションに関する覚書です。抄訳は以下の通り。

「スコアは、実線の小節線で区切られ、小節番号を振った区分で構成されている。
各区分の持続時間は最初に示される:7''→、この数字がおおよその持続時間を示す。
各区分内で、点線の小節線で区切られた区間がある場合、その区間のテンポを次のように示す。- 70 - 。テンポで区切られた区間がない場合、長い音と短い音は間隔の長短で表される。
短い音符の場合、連鉤(八分音符またはのそれより短い音価の音符の旗[符尾]を直線的に繋げたもの)の太さを考慮に入れる必要がある。
最初のグループ(図1)は徐々に加速しながら演奏される。次は段階的に速度を上げる2番目(図2); 最後は(図3)は、加速してから減速し、再び加速する。」

画像2

ほかにもいくつかルールがありますが、多くは組み合わせの説明だったりするので割愛しました。スペース・ノーテーションで書いたことによるメリットが活きる曲かどうか、聴いてみましょう。

作品タイトルから思うに、ヴィオラが織り成す旋律線の輪郭に作品の仕掛けがありそうです。冒頭は同音から始まり、少しずつグリッサンドでうねることで差音が聞こえ、一つのロングトーンがブルブル震えているような効果が生まれています。ヴィオラのしっとりした影を帯びた音色も、弦楽器たちの中で特にこの作品の狙いに適しているように聞こえます。

12小節目で初めて、第2ヴィオラによって素早い2音の交替による動きが3度現れます。長い線のねじれのような響きが一瞬分断され、単純に響きの中に埋没していくタイプの音楽ではないことを語り始めます。14小節目に、二丁のヴィオラによるインタープレイが挿入されます。一つのメロディーを二人で振り分け、一音ずつ交互に演奏していくのですが、ここで、スペース・ノーテーションの妙が生きてきます。二人がお互いに聴き合って、図示されている加速を如何に実現するかが面白みになります。YouTubeに上がっているライブ録音音源では、ややリハーサル時間が足りなかったのかと思うような、心地よいテンポでした。切羽詰まった加速が聴かれるほうが、相互に聴き合って反応している凄みのようなものは伝わると感じます。実際にミュライユは冒頭の説明ページの締めくくりに「演奏解釈は極端にすること。 ニュアンス、テンポ、弾き方(奏法)を誇張することを恐れずに」と注意書きを加えているのです。じんわり滲むような旋律線の輪郭を聴く音楽ですが、リズミカルな動きを持つ挿句は、出来るだけコントラスト豊かに演奏したほうが効果的かもしれません。

画像3

14小節目の速いパッセージの後、旋律線はハーモニクスによって高音に移ります。冒頭のじゅくじゅくした響きから解放されて、清々しい響きになりますが、やはり二人の奏者によって似たような模倣が同時に演奏されることによって線の輪郭はぼやけています。

一瞬高音を紹介した後、すぐに低音域に戻りBセクションが始まります。今度はより幅広い音程間を激しいグリッサンドで往復することによる誇張されたヴィブラート効果が付加されます。速い走句パッセージもしばしば挿入され、輪郭の震えはすでに母体が一つの線であったことを隠してしまいます。線が震えを増していく過程で、いつしか線は二分され、いつの間にか二声以上の振動するコラールのような様相を示します。グリッサンドによる音程変更以外にも、弓によるトレモロ効果を付して、震えの効果を高めています。Bセクションの5小節目から、先に述べたようなメトロノーム記号を表す数字により点線で区切られた記譜が現れます。この記譜ですが、楽譜の景色として、私にはやや煩わしいように見えました。そもそもこの楽譜には数字が多いのです。数字で表されている情報は、セクションの小節番号、小節のおおよその秒数、楽器の指番号、メトロノームテンポ相当の数字の4種類があります。小節番号は四角内に収められ、秒数には「 '' 」の記号、テンポは括弧で括られているので、見誤ることはないかもしれませんが、全種類の数字がまとまって書かれている小節など(Bセクションの6小節目等)は、瞬時に反応するのは難しいかもしれません。点線区分を排除して秒数表示を細分化して記譜する可能性もちょっと考えたりしました。感覚的に音楽時間を読んでいくこの曲は「テンポを維持している感じ」を必要としているのか、いないのか、作曲家が決断を迫られる場面です。

Cセクションに入る直前に四弦間を往復するアルペッジョ奏法が両奏者に現れます。AセクションからBセクションに移る直前もセクション内の音楽とは少し違った要素を紹介して、区切りを作っていました。Cセクションに入ってからは幾度かこのアルペッジョに似た音型が現れますが、両者はやはり付かず離れずの音程の距離関係を保っています。大きな身じろぎをする線的なコラールといった様子、あるいはエコー効果の強くかかった旋律線、という具合でしょうか。

Dセクションでは旋律線は細かく動きます。ここではメトロノーム・テンポに相当する指示による細かい譜割が効果的です。どれだけメロディーが動こうとも、各奏者はお互いを旋律線の輪郭という意味では模倣しており(音はそれぞれ違います)、よくブレた機動性の高い旋律線が浮かび上がるのです。

最後のEセクションでは、冒頭と似たような、ロングトーン主体の落ち着いた線的な動きが曲を締めくくります。それぞれの線は多くの場合、ため息のように線の語尾を下行グリッサンド処理してあり、詩的な雰囲気を演出して曲が溶けていく、美しい終わり方です。

やや抽象的な印象のタイトルは、冒頭を聴くだけで曲の具体的な説明なのだと分かりました。その後、音の動かし方や音域・奏法の違いによる響きの強度の違いによって様々な音楽的ドラマが作られますが、基本的には旋律線の輪郭を二人の奏者が揺れながら聴き合いながらなぞっていく音楽で、表題から作品が乖離することなく、様々な線の処理の仕方を聴かせる音楽を描き出しました。スペース・ノーテーションの大きな強みは自由度が高いことです。割と緊密に計画された二人のアンサンブル関係ですが、確定しないことでお互いがよく聴き合う態度を促しているように思います。演奏家も聴衆も耳をよく澄まし、二人の関係性に興味を持って聴くことができそうです。スペクトル音楽の語法を確立する前の、若きミュライユがどのように音を聴く姿勢を持っていたのか知る上で、興味深い作品でした。

作曲活動、執筆活動のサポートをしていただけると励みになります。よろしくお願いいたします。