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楽譜のお勉強【61】カール・ヴァイン『スミスの錬金術』

今回の「楽譜のお勉強」では、初めてオーストラリアの作曲家を取り上げてみたいと思います。カール・ヴァイン(Carl Vine, b.1954)の『スミスの錬金術』(»Smith’s Alchemy« for string orchestra, 2001)を読んでいきます。オーストラリアは1901年にイギリスから事実上の独立をしたため、国としての「オーストラリア」の作曲家は全員近代以降の作曲家になります。入植が本格的に始まったのが18世紀後半ですから、その時代から西洋音楽の文化は少しずつ根付いたのだと思いますが、あまり目立った記録は知られていません。植民地時代ではウィリアム・ヴィンセント・ウォレス(William Vincent Wallace, 1812-1865)やオーストラリア音楽の父と呼ばれるアイザック・ネイサン(Isaac Nathan, 1791-1864)などの作曲家が知られています。オーストラリア独立前であれば、どちらかと言えば、西洋音楽文化よりも先住民族であるアボリジニの音楽の方が今日よく知られていると思います。近年では、優れた作曲家を数多く輩出する国で、国際的にもよく演奏される人が多くいます。カール・ヴァインは人気のある作曲家の一人です。

ヴァインはネオ・ロマンティシズム的な作風で、手堅い古典的構成感や擬似調整的な和声語法による作風で知られています。ただし、10代の頃にシュトックハウゼンの音楽に感銘を受けて現代的な音楽表現に強く関心を示していたようです。ヴァインの表現に顕著な前衛表現はほぼ見られませんが、新鮮な響きを模索する感性は共通しているところがあるかもしれません。8つの交響曲や6つの弦楽四重奏曲といった古典的ジャンルのための作品やダンス・カンパニーのための舞踊音楽を多く発表してきました。耳馴染みの良い作風から、映画やテレビにもたくさん音楽を提供しています。

『スミスの錬金術』は1994年に作曲された『弦楽四重奏曲 第3番』の編曲作品です。題名にある「スミス」とは弦楽四重奏版の依頼主であったスミス弦楽四重奏団から来ています。楽譜に作曲者自身の前書きが載っているので、見てみましょう。

私の3番目の弦楽四重奏曲は、スミス弦楽四重奏団 (ロンドン) から委嘱され、1994年にブライトン・フェスティバルで初演されました。2000年にはゴールドナー弦楽四重奏団が、シドニーのエンジェル・プレイス・リサイタル・ホールの開設コンサートで演奏しました。この演奏がオーストラリア室内管弦楽団の芸術監督であるリチャード・トネッティの耳に留まり、彼の楽団にアレンジできないかと尋ねられました。
原曲の意図は、4つの弦楽器を1つの「スーパー(上位の)」楽器に変換し、その自然な歌唱的特徴を利用することでした。一種の聴覚の錬金術とでも言いましょうか。
元の作品の構造そのものは、特定の効果を生み出す技法を徹底していましたが、これは弦楽オーケストラの新しいバージョンでもほとんど同様で、いくつかの部分はほとんど修正する必要がありませんでした。複数の楽器で難しいテクニックを分担し「共有」する可能性は、多くの面で音楽を解放し、その叙情的な性質をより強調することを可能にしました。

(Carl Vine, Smith's Alchemy. Programme Note)

なるほど、楽譜全体の印象として、多くのディヴィジ(パート分割)を含み、単一声部を複数の楽器に割り当てている印象を受けます。冒頭では6連符と通常の16分音符がそれぞれ上行アルペッジョ(弓奏)と下行アルペッジョ(ピチカート)の大きな交差を作り出しますが、それぞれの声部が担当するのは二拍(疾走する音符と到達点の一打)だけで、技巧性が制限され、音楽が提供する演奏効果ほど演奏が難しくありません。こういう管弦楽法は、アンサンブルを清潔に整えるのに役立ちます。

16小節目から、エイト・ビートの刻みがあります。これはビートとしては8分音符を刻んでいるだけですが、なかなか丁寧に作り込まれています。ヴィオラ、チェロ、コントラバスの刻みに乗ってヴァイオリンが旋律を歌います。刻みを担当する楽器のうちヴィオラ、チェロは、重音奏法で、各奏者二弦ずつダウン・ボウで力を込めて演奏します。演奏する二弦のうち一方は開放弦で、もう一方は32分音符の2度上行もしくは下行モチーフを演奏します。開放弦の方は16分音符でその後16分休符が続くことで8分音符刻みにしています。刻んでいるけれども細かい身振りが添えられているところが面白く、和声の内部に細かい倚音、刺繍音、もしくは先取音が次々に色彩を与えていることになります。これはおそらく弦楽四重奏そのままの書き写しで、単独奏者が演奏しても効果は大きく、同様の面白みが得られると思います。

54小節目から冒頭の主題に戻ります。そしてここから第1主題が変奏的に展開されるので、曲の第1部分はABA’形式と言えるでしょう。厳格なソナタの形よりも随分とシンプルな音楽になっています。シンプルな音楽に反対する立場ではありませんが、54小節目の主題回帰はやや違和感がありました。主題の再帰には短期記憶の補強効果がありますが、古典派やロマン派で行われていたソナタの音楽では、展開部において音楽の道筋が十分に解放され、聴取の旅があります。ところがこの作品の第1部分での再起は、そもそも展開された音素材がほとんどない中で、冒頭と全く同じものが割とすぐに再帰して耳に届く提示の仕方に、私の聴覚はあまり喜びを感じません。全曲は演奏時間が18分もありますから、これほどすぐに再現部を出す必要がないと思ったのです。ABA’で作曲された内容を変更しないとしたら、A’BAと提示された方が、私個人としては音楽の形に納得があったと感じました。

曲は休みなしに演奏される3つの部分からなっていて、急緩急の古典的ソナタ構成です。120小節目から第2部に入ります。第2部は、ゆっくりと移ろう和声に乗って、独奏楽器が即興的な旋律を演奏していく音楽です。独奏楽器はチェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンと高音楽器へ移っていきます。チェロの旋律の作り方は、上行と下行をターンを混ぜながら繰り返すシンプルなアーチ状のものから始まります。その後、アーチの後半部分が削られ、少しずつ上行していくゼクエンツとして時間が縮まっていきます。2小節でデザインされていた旋律が1小節に縮まり、最終的には2音からなる二拍分まで縮まって、テンションを増していきます。このゼクエンツ部分が少し気になりました。旋律が1小節できっちり収まる長さでずっと続くので、かなり予定調和的に聞こえました。最初に聞いた時には美しさに注目できそうですが、2回目に聞く機会があったときに新鮮さを保てるか疑問です。チェロの独奏以降の独奏旋律はもう少し複雑な設計に基づいていて、味わいのあるものでした。特にヴィオラ・ソロは、ソロの終結部に向けて長い下行線をたどり、音価も少しずつ伸びていって、時間の使い方に魅力を感じました。

199小節目から最終部分になります。いわばプレストの音楽で、BPM=156で、基本はエイト・ビート、時に16ビートになる、推進力を持った音楽です。速い楽章を効果的になおかつ雑味なく書くには技術が必要です。この部分でのヴァインの筆力はとても光っていました。アクセント位置をずらすことによってリズムに緩急をつけたり、そのように作ったリズム素材を組み合わせて立体的な処理をしたり、エイト・ビートと思わせて16部音符による滲みを作ってみたり、細部に至る技が見えます。無理なく演奏できるように配慮がなされていますが、聴衆の側から見たら超絶技巧集団のように見え、「すごいものを聴いた」という充足感があることでしょう。音の選び方も協和と不協和のバランスがとてもよく、面白く聴きました。

ネオ・ロマンティックな音楽を普段それほど勉強しないので、久しぶりにこういうタイプの音楽を聴いたのは新鮮でした。隅々に冴える管弦楽法の見事な技法も勉強になりました。しかしながら、このような技術を持って、耳触りの良さのようなことを目指すように聞こえる音楽に、個人的には勿体なさも感じます。この音楽は明らかに「バランス」を取りにいっています。このバランス感覚の中に、作曲家自身の偏重のようなものが聞こえてくると、私個人としてはより面白いのではと想像してしまうのです。この「バランス」傾向は、私が「技術がすごいな」と感じる作曲家の作品により頻繁に感じるものです。技術とは、磨けば磨くほど、自身の作曲行為に「あり方の正しさ」のようなものを与えてしまう可能性もあるのかなと逡巡しました。良い曲だと感じる自分と、良い曲なのかと疑う自分の内的な対話が興味深い経験でした。

*「楽譜のお勉強」シリーズ記事では、著作権保護期間中の作品の楽譜の画像を載せていません。ご了承ください。

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