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記憶に残る衝撃的コンサート①ケルン・トリエンナーレの『クラング』初演(2010)

2020年8月22日から30日にかけて、サントリーホール・サマーフェスティバルという音楽祭が開催されています。海外の音楽家・作曲家の招聘がCovid-19の影響で困難になり、予定されていた公演のうち、いくつかの公演がキャンセルされました。しかし、日本で現代の新しい音楽をまとめて聴く貴重な音楽祭であるこの音楽祭は、心待ちにしているファンも多く、海外から音楽家の招聘の必要のない公演は、対策をとりながら無事に開催され、これからの社会での演奏会や音楽の在り方を問いかける重要な試みを示してくれています。8月22日の演奏会で取り上げられたカールハインツ・シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen, 1928-2007)の『オルヴォントン』(»Orvonton«, 2007)がバリトンの松平敬さんによって日本初演され、また『宇宙の脈動』(»Cosmic Pulses«, 2006-2007)が東京で上演されて、大変話題になっているようです。

私は2020年8月現在ドイツにおりますので、上述の上演をどちらも聴くことができませんでした。ですが、『オルヴォントン』と『宇宙の脈動』を含む大規模な連作『クラング(響き)ー1日の24時間』(»Klang. 24 Stunden des Tages«)の完成している全曲が演奏された演奏会を2010年にケルン・トリエンナーレ(「アハト・ブリュッケン音楽祭」の前身のような音楽祭で、現在は開催されていません)で聴きました。ちょうど今、これらの作品が話題になっていて、この演奏会のことを思い出したので、思い出しながら記事に書いてみようと思いました。

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『クラング ー 1日の24時間』は24時間の各時間を代表する24曲からなる連作を目指して長年に渡って作曲が続けられました。シュトックハウゼンの存命中に21曲が完成されました。曲の長さはまちまちで、短いもので15分ほど、一番長いものは2時間ほど演奏にかかります。これらの曲を1日で全て演奏したとしても、その間ずっと聴き続けることは人間の体力や集中力的に困難です。ですから、この21曲の連作の初演は、2日間に分けて行われました。なるべく多くの人に聴いてもらうため、複数の会場でいくつかの曲がローテーションで演奏されるのを渡り歩いて聴く形式になっていました。

チケットを購入したお客さんは、会場の地図と上演予定表、それと予定表にマーキングをするための蛍光ペンをもらいます。会場は徒歩で渡り歩ける距離ですが、一番遠い会場を行き来するのは現実的ではないため、うまく回るルートを各人が考え、コンサートと移動を繰り返して12時から24時前まで2日間聴き続けると、全曲聴けるプログラムでした。各演奏会はそれぞれ1曲を演奏するため、短めの曲の後、移動の途中で軽食を取ったりする必要があって、結構ハードなイベントでした。

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(公演予定表。裏面が地図になっている。最初にマーカーで何となく順序を組んで色づけしたが、当時はまだ土地勘が薄く、初日に得た会場の距離感覚を元に大分経路を調整した想い出がある。)

会場はケルン・フィルハーモニーホール、大聖堂フォーラム、プレトリウム、西ドイツ放送小ホール、西ドイツ放送クラウス・フォン・ビスマルク・ホール、聖アンドレアス教会、アンサンブル・ムジークファブリーク・リハーサルスタジオ、コメッド・ホール、キリスト教会でした。西ドイツ放送の2ホールは隣接しており、カフェ等もあって、移動の必要がなくて、休憩に適しています。逆に教会等はホールが集結している地域から結構離れていますが、都市観光を兼ねることが出来て、歩くのが楽しかったです。

いくつかの曲が本当に強く印象に残っています。サントリーホール・サマーフェスティバルで演奏された『オルヴォントン』と『宇宙の脈動』は印象深いものに挙げられます。15時間目『オルヴォントン』はバリトン独唱と電子音のための作品。独唱のJonathan de la Paz Zaensさんの表情豊かな歌い方に、すぐに異世界に引き込まれました。衣装も宇宙感があって、シュトックハウゼンの音楽にマッチしていました。13時間目『宇宙の脈動』は演奏家を伴わない電子音楽作品で、ケルン・フィルハーモニーホールで全公演の締めくくりに聴くと公演終了のレセプションに参加できるシステムでした。ホール全体に渦巻く轟音に身を沈め、トリップ状態になっているところで、友人や演奏家の方々とレセプションで談笑したことは良い想い出です。

他に特に印象に残っている作品として、2時間目・2台のハープのための『喜び』(Freude)、3時間目・ピアノのための『自然な持続時間』(Natürliche Dauern)、4時間目・打楽器奏者と少女のための『天国の扉』(Himmels-Tür)、9時間目・チェロ、ヴィオラとヴァイオリンのための『希望』(Hoffnung)、16時間目・バセットホルンと電子音のための『ウヴェルサ』(Uversa)、17時間目・ホルンと電子音のための『ネバドン』(Nebadon)等があります。

しかし、1曲1曲の印象以上に2日間かけてこの大プロジェクトを全部聴ききった経験こそが、通常の演奏会と大きく異なる音楽体験です。一人の芸術家の音楽語法に丸2日間浸り続ける経験はとても稀なものです。全て終わった後はものすごい疲労感を伴うので、「しばらくシュトックハウゼンの音楽は聴かなくていいや」と思うのですが、そんな疲労感などものともせずにその後数日間に渡って頭の中を彼の音楽が巡り続けます。全体を通して経験した経験自体が作品の善し悪しを大きく越えて「他に比べるもののない芸術体験」として生々しく記憶に残っているのです。

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(写真で紹介しているのは、公演予定と地図、簡単な作品紹介が載った無料の小冊子。作品や演奏家の詳細が載っているフェスティバル全体のプログラム冊子は別にあった。)

11年と少し前まで、ドイツに来る前ですが、私は「私が思う良い曲」を「私が思う良い技術」で完成させることが作曲家の仕事だと感じていました。もちろん今もある面では、これは正しいと考えています。しかし、この『クラング』公演や、他のいくつかの演奏会・音楽イベントは私の小さな「良い音楽」を目指す価値感を暴力的に揺さぶりました。自分が今経験しているのは何なのか(音楽的経験とも限らず)を反芻する機会となったのです。そのような経験の蓄積を踏まえて、今も私は自分が何を書いているのか考え続けています。優れた曲を書きたい願いは不変ですが、「良い曲」とは何なのか、洞察してみるとよく分からない迷路に迷い込みます。少なくとも、私が思う「良い」ものを実現するだけでは不足だと感じるのです。シュトックハウゼンの残した仕事は、私を含め、今も多くの芸術家に難問を突きつけています。

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