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楽譜のお勉強【12】ウルスラ・マムロック『ヴァイオリン・ソナタ』

ウルスラ・マムロック(Ursula Mamlok, 1923-2016)はベルリンのユダヤ人家庭に生まれ、エクアドルに家族が亡命した後、音楽を勉強するために単身アメリカに渡り、1945年にアメリカに帰化した作曲家です。大学ではヴィットリオ・ジャンニーニ、ロジャー・セッションズ、ラルフ・シェイピーに作曲を、エドゥアルド・シュトイアーマンにピアノを学びました。シュテファン・ヴォルペにレッスンを受けたこともあるようで、ヴォルペとの出会いはマムロックの作風に決定的な影響を与えたとも言われます。マムロックの作風にはセリエリズム(音列による作曲法を用いた音楽語法)の色彩の濃いシェイピーの作風に最も親和性を見ることが出来ますが、マムロック自身が自分の作風を「カラフルで、主音を持ち、調性のバックグラウンドから完全には逸脱していない」ものと認識していたそうです。この辺りにはネオ・ロマン的な作風のジャンニーニの影響、ネオ・クラシカルな作風の中に自由に音列を取り入れたセッションズの作風と繋がりを見ることができます。また、シェーンベルクのピアノ作品を好んで演奏していたシュトイアーマンのピアニズムも、マムロックの音楽に強い影響をもたらしたと思われます。マムロックはまた、多くの音楽大学で教鞭を取り、アメリカの作曲界に貢献しました。

彼女の作品のほとんどは小編成の室内楽や独奏曲です。近年その作品のほとんどがCDとして録音されてリリースされました。その中から『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』(ヴァイオリン・ソナタ)(1989)を読んでみたいと思います。このソナタはロチェスター大学イーストマン音楽学校でヴァイオリンを教えたヴァイオリニストのキャスリン・テイト(Catherine Tait, 1953-1997)の委嘱で作曲され、彼女に献呈されています。3楽章から成り、演奏所要時間はおよそ10分ほどです。

音列作法的な響きを持つマムロックですが、厳密な12音技法を採用している曲は少なく、小さな音列モチーフの対位法的な処理にセリエルな要素が強く聞こえます。『ヴァイオリン・ソナタ』の第1楽章は同音連打が特徴的な楽章です。セリエルな音響嗜好を示す作曲家にしばしば見られる跳躍的音形や幅広い音域による和音・重音の効果が強く表面に現れていますが、同音連打の箇所の作曲は丁寧で、一聴してリズム聴音がしにくいような工夫が細かく作曲されています。拍の分割方法を3連符、4連符(16分音符)、5連符、6連符等短い小節単位で切り替え、なおかつ同音連打が起こるときには冒頭の音や連符内の音を伸ばしたりタイで結んだりして、ちょっとした信号が打診されているような、暗号めいた音楽になっています。楽章全体の印象としては同音連打がそれほど特徴的な主張をしているのではないのですが、第2楽章と第3楽章には全く見られない要素であるため、全曲を通して演奏したときには十分な楽章の個性となって印象が蘇る仕掛けになっています。

続く第2楽章は、古典的ソナタの様式感を踏襲して緩徐楽章になっています。この楽章の音の切り詰め方には瞠目します。ピアノ・パートはほとんど右手のみで演奏が出来ますし、重音や和音もほとんど出てきません。広い音程に跨がる旋律線を丁寧なレガートを演奏するために上声に書かれているラインを両手で演奏することもあると思いますが、そのようなケースを除き、両手でなければ演奏できない箇所は全44小節たったの4小節ほどです。そして、この楽章は全体を構成する素材自体が極端に少ないのです。単音、2音からなるモチーフ、3音から5、6音程度までの旋律的断片がヴァイオリンとピアノで交互に演奏されます。タイで伸ばされる音ではなく、ヴァイオリンとピアノのリズム打点が一緒の箇所もほとんどありません。たまに出てきたと思ったら、ヴァイオリンとピアノがオクターヴのユニゾンだったりします。オクターヴの音程感や質感をこれほど丁寧に聴く音楽は稀です。更に、曲の最初から始まる音楽が曲の中程でヴァイオリンとピアノの声部の割り当てを好感した逆再生になっているのです。たまにリズムの自由な操作が入りますが、基本的に曲の最初から読んでいく音楽と曲の終わりから読んでいく音楽は同じものです。切り詰められた素材からどれほどの表情を引き出せるかの限界に挑んだような丁寧な作曲で、ソナタ全曲の中でも優れた楽章だと思いました。

最終楽章はある種のロンドです。広い音程を疾走するヴァイオリンを、和音付けするピアノが拍節感を与えて開始します。ヴァイオリンの刻みはピアノに受け継がれ、少しレガートが足されます。再びヴァイオリンに16分音符の刻みを受け渡すときにはヴァイオリンが長いレガートに変容していて、自然な呼吸の音楽的展開を素直に味わうことが出来ます。そして、次のややゆっくりした箇所でピッツィカート、ロングトーン、レガートによるアルペッジョが冒頭セクションのコントラストを聞かせます。基本的にはこのようなコントラストの交替によるロンドの音楽なのですが、素材を丁寧に遊ぶ作曲家のマムロックは、ロンドの冒頭部分が戻ってくるときにはピアノとヴァイオリンの役割を交替させたりするのです。また3度目に冒頭の疾走句と思われる刻みが現れるときにはヴァイオリンとピアノのモチーフを極めて詰まった状態でカノンとして演奏させて、特徴的なF(ファ)- Fis(ファ#)の減8度音程を繰り返し聞かせたりすることで、気ままに展開されているようなセリエルな音の羅列に構成感を持たせたりして、とてもバランスが良いです。

マムロックの音楽は豪奢ではありません。その作曲はある意味では技巧的ですが、表層的な演奏効果に走ることなく、丁寧な仕上げで自らの書く音を聴き届けています。彼女の音楽が日本で演奏されている例を私は知らないのですが、20世紀後半から21世紀初めにかけて評価が高まり、CDでほとんどの作品も聴けるようになった今、マムロックの残した真面目な仕事を日本でも聴くことができる日が来ることを願っています。

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