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楽譜のお勉強【67】ラース=エリック・ラーション『田園組曲』

ラース=エリック・ラーション(Lars-Erik Larsson, 1908-1986)は20世紀のスウェーデンで最も成功した作曲家の一人です。とりわけ、本日読む管弦楽のための『田園組曲 作品19』(»Pastoralsvit«, Op.19)は、スウェーデンで生まれた音楽の中で最も世界で演奏されるものになった作品の一つです。1925年から1929年までストックホルム音楽院で学んだ後、ウィーンで短い期間ですがアルバン・ベルクに師事したこともあり、作品は表現主義的な12音技法を伴うものもありますが、基本的には新古典的というか、ほとんどロマン的とも言える作風を持っています。3曲の交響曲、3曲の組曲(『田園組曲』、『冬の物語』、『偽りの神』)が代表曲で、サクソフォーン協奏曲もサックス奏者の重要なレパートリーとして定着しています。

管弦楽の編成は金管セクションがやや小さめの2管編成です。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペットが各2本、ティンパニと弦楽五部です。曲は全3曲で、第1曲「序曲」、第2曲「ロマンス」、第3曲「スケルツォ」となっています。第2曲は弦楽のみで演奏され、組曲の中で特に有名で、単独で演奏されることもしばしばあります。

第1曲「序曲」はゆっくりとして序奏に始まり、快活なアレグロへと続く古典的な構成です。この『田園組曲』全体を通して音楽は爽やかで手堅く、仰々しい表現を避けて牧歌的な空気を演出しています。冒頭は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが同じ音(A5)から始まり、第2ヴァイオリンが下行を始めて主題を演奏し、保続音として伸びていた第1ヴァイオリンが動き始めて対旋律を為します。第1ヴァイオリンが歌い始めるとすぐにヴィオラとチェロがヴァイオリンの5度下(+オクターブ)で同様の旋律を演奏するので、フーガのような作りになっています。高音の保続音の中から旋律の枝葉が下に向かって伸びていく様子は、大変美しく、さまざまな作曲家によって好まれて用いられてきました。よく見かける手法であるのに、私もこのような表現は今も美しいと感じますし、保続音を作曲家がどのように用いているかは、私の強い関心事の一つです。管楽器の繋ぎを入れて、アレグロへと続きます。曲はハ長調で書かれていますが、主題は素朴ながらもハ長調から逸脱する箇所を多く含み、洒脱です。女装が3/4拍子で書かれているのに対し、アレグロは2/2拍子で前古典派の交響曲のような快活さが小気味良いです。アレグロでも保続音の扱いに特徴があり、面白く聞く箇所がありました。83小節から続く管楽器が旋律を対位法的に演奏する箇所で、チェロとバスが長い主音の保続音を弾き、弦楽上三声(中音域)がバスよりも短いスタンスで交代する和音を保属音のように伸ばしますが、小節が変わるタイミングで上部刺繍音を挟んで保続してあるので、和声の揺らぎのような効果が聞こえます。バスはさらに保続を続け、フルートとクラリネットが高音域でヴァイオリンとヴィオラによる和音の揺らぎを受け継ぎます。管楽器による対位法的旋律群はちょうどバスと中音域弦楽器群の間と高声部に置かれ、複雑な対位法の聴取を阻害しません。フルートたちにより高声部に保続和音が移ってからは、ヴァイオリンがその下で主旋律を演奏して、対位法は影を潜め、明瞭な音楽像が姿を現します。この箇所が第1曲の1番の聴き所かと思いますが、曲の終わり近くにもう一度同様の仕掛けが現れて終わります。

第2曲「ロマンス」は弦楽合奏による楽章です。変ホ長調の曲ですが、中間で2回大きな転調があり、原調に戻ってきます。「ロマンス」とは、甘美な旋律が主体の器楽曲に多くの作曲家が用いてきたタイトルです。ラーションの音楽も同様で、旋律の主体性を遺憾なく発揮するため、常に第1ヴァイオリンが主旋律を担当します。旋律の邪魔をしないよう、伴奏も和音を添えるだけという書法です。中間部で変ニ長調に転調しますが、変ニ長調の主和音は一度も経由せずにどんどん転調していきます。中間部に入ってしばらくの間、変ニ長調のドミナント和音が鳴っていることだけが変ニ長調の片鱗ですが、そもそも調を確定せずにその後にもう一回起こるホ長調への転調に向けての仕込みのような考え方です。この中間部では伴奏型に動きが見られます。曲の4/4拍子が12/8拍子に変更され、3度もしくは2度を行き来する波の揺れのような和音が分割された第2ヴァイオリンとヴィオラの4パートで漂います。主旋律は第1ヴァイオリンとチェロがオクターブ関係で伴奏和音群を挟むように演奏し、厚みがあって魅力的です。最初の主題とあまり関係のない、独立した旋律が書かれています。伴奏パートは次第にゆらめきを強め、トレモロで激しくなっていきます。転調を伴いながら徐々に高みを増してホ長調へ転調します。ホ長調に入ってからは最初の主題やその変奏が弾かれるのですが、半音分うわずっているので、心が高まりすぎたかのような、とてもロマンティックな表現になっています。最後に変ホ長調に戻る時は、心を落ち着けながら、できるだけバレないように戻ろうとしています。ホ長調の主和音の属音(B)だけが単音で残り、なんの準備もなく変ホ長調の属音(Bb)へスライドします。冒頭では本来そのBbは主和音が付いていましたが、単音にすることで何がなんだか分からなくなり、いつの間にか気持ちの落ち着きと共に調も落ちていました。調性とは気分をコントロールすることに長けているものだと思いました。

第3曲「スケルツォ」は、繰り返しの多い音楽です。繰り返しの効能について、私にとっては少し悩ましく聞こえることもありました。同音連打によるビートの設定が擬似的な導入として4小節演奏された後、フルートが、2度を行き来しながら、主題のリズム・モチーフを紹介していく本質的な導入があります。このフルートを受けてオーボエが主題を奏し始め、さまざまな管楽器へと主題を受け継ぎ、ヴァイオリンへと引き渡していきます。全部出揃ったら、フルートの導入に戻って繰り返します。繰り返しが終わったら、今度は主題をやや断片的に処理したモチーフを組み合わせて楽器の交代を多く含む明滅的なセクションが始まります。これも、弦へ引き渡して全員出揃ったらまたそのセクションの最初に戻って繰り返します。この後大きなコントラストがあります。クラリネットとファゴットによるややゆったりとしたメロディーは、弦による伴奏を伴わず、良い意味で魅力ある薄さが目立ちます。そしてフルートとオーボエがやはり弦なしで引き継ぎます。その後、弦が主旋律を演奏するようになり、次第に先ほどの管楽器たちがパズルを完成させるように加わってきて、リズミカルな和音だけが続く箇所を経て、冒頭(フルート導入部)に戻ります。最後は繰り返しはなく、第2セクションが終わったところで終曲です。この中で私が少し不必要だと感じた繰り返しは、最初の繰り返しをフルート導入部分から開始したことです。最初のフルートの役割はどう聞いても曲を開始させる合図のようなものです。ですから、曲がすでに始まった後で、まるで一から演奏をやり直すような繰り返しにどれほどの意味があるのかと考えました。オーボエのところまで戻って繰り返す方が、曲の流れが止まらなくて、リズミカルなスケルツォの躍動感を感じる気がしたのです。一方で、楽譜の最後まで行ったあと、フルートの導入に戻る繰り返しは必要なものだと感じます。楽譜の最後、和音奏のところでは拍は細分化されずに音楽の速度を諫めていっています。ここでのねらいは、再現部へ到達するための仕切り直しです。仕切り直した後に、冒頭のフルートの導入へと続いても違和感はありません。私は繰り返しが多用されている曲を読むたびに、この箇所の繰り返しは正しいのかと考えます。繰り返しは音楽を記憶に浸透させるために有用な手段で、形式感を生みます。それゆえに、最善の位置を悩んでしまうのです。以前ヨメッリの作品について書いた記事でも、このことが少し気になりました。調性の確定を引き延ばしたケースでしたが、調性が確定してしまって、手の内が分かった後も、同じ状況に巻き戻す意味とは、と感じたケースでした。何せ、2度目には1回目に魅力だった遅延効果はもうないのですから。この音楽でもそれと少し似たものを感じました。とりわけこの曲のフルートの導入は私にとって大変魅力的なものに聞こえるので、魅力が薄まる感じを受けるのが少し残念なのです。もちろん別の考え方もあるのでしょうが…。

今日、作曲の業界、それも音楽コンクール業界で議論になるテクニックの一つに「コピー&ペースト」があります。忌避すべきものとして語る作曲家は、作品の全瞬間において作曲家が考え抜いた音を書くべきというスタンスです。反対のスタンスは、作品のある箇所で必要な音素材が同一なのであれば、コピーして何が悪いの、というものです。私もどちらかといえば後者のスタンスです。ただし、作曲家が作品の全貌に関してある程度の責任を持っている前提です。確かに思い起こしてみれば、若い作曲家の作品を審査するような場で、明らかに作曲をサボったような表現になっているものもいくつも見たことがあります。しかし、一方で延々と一つの音や和音が続くような音楽表現も力強いもので、そういった音楽を実現したいときに、これをわざわざ手が疲れる方法で書く必要性は感じません。私は繰り返しを悪しきものとして見ていませんし、音楽認知の上で重要な役割を担うものと考えています。しかしながら、その塩梅は難しく、少しの調整で見事な曲にも凡庸な曲にもなってしまう可能性があると考えます。そういったことを改めて考える読譜でした。

しかしながら、世界中で頻繁に演奏されている第2曲「ロマンス」は、その音楽的抑揚の緻密な設計が見事で、さすがに名曲として馳せた作品だと感心しました。素朴な音楽こそ確かな技術で作曲されれば魅力がどんどん増していくのだと実感しました。第1曲もスウェーデンの冷たく晴れ広がる空を思い浮かべるような序奏が美しかったです。大きな自然にインスピレーションを受けた作品を、自分でも書いてみたいと思いました。

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