見出し画像

楽譜のお勉強【23】カール・ニールセン『木管五重奏曲』

カール・ニールセン(Carl Nielsen, 1865-1931)はデンマークの作曲家の中でおそらく最も有名な人です。6曲の交響曲がとても有名で今日でも割と頻繁に聴く機会がありますし、ヴァイオリン、フルート、クラリネットのために残した3曲の協奏曲もそれぞれの楽器の奏者の大切なレパートリーとして今日もよく演奏されています。室内楽や器楽曲、歌曲のジャンルにも多くの作品を書いていますが、こちらは管弦楽のための作品に比べると国際的には演奏頻度は劣ります。しかし、デンマークではとてもよく知られた曲があるようで、子どものためのピアノの小品集はピアノ初学者によく弾かれていますし、デンマーク民謡の節回しに基づく歌曲は、デンマーク人にとって大切なものだそうです。

画像1

(ニールセンの管弦楽曲の楽譜)

ニールセンの管弦楽曲は作曲家が管弦楽の書法を勉強するのにも大切な曲が多く、私も少し勉強してきました。しかし他のジャンルとなると、時間を作ってまで勉強したいものがこれまで見当たりませんでした。この機会に『木管五重奏曲』を読んでみようと思います。ニールセンの室内楽曲の中でとりわけ演奏される機会があるのは、『木管五重奏曲 作品43』(»Quintet for flute, oboe, clarinet, horn and bassoon« op.43, 1922)です。フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットのために書かれています。スタンダードな管楽合奏編成で、たくさんの良いレパートリーがあり、演奏団体も多いジャンルです。ホルンは木管楽器ではなく金管楽器ですが、日本語では木管五重奏と訳されることがほとんどです。管楽五重奏という言葉も稀に聞きますが、そうすると何でもありになってしまうので編成の想像がつきにくく、「木管五重奏」という語は編成の本質を捉えて訳されていると思います。

画像2

『木管五重奏曲』は彼の個人的な友人であるコペンハーゲン木管五重奏団のために書かれました。友人の良いところを活かす工夫が施され、それぞれの楽器の見せ場が多い曲です。ほとよいヴィルトゥオジティ(名技性)も見られますが、基本的には各楽器の特徴を無理なく最大限に発揮するように書かれています。全体は3楽章構成で、第1楽章は割と素直なソナタ形式の楽章、第2楽章がメヌエット、最終楽章は前奏曲、主題と変奏という具合です。最終楽章は主題の前に前奏曲が演奏され、変奏の後に祝祭コラール的なアンダンティーノ・フェスティヴォという後奏が演奏されるので、単品で一つの曲と言っても良さそうな構成です。全曲を通して演奏すると、真ん中あたりに「前奏曲」が来るという不思議な構成で、『交響曲第5番』の後に書かれた円熟の作曲家の構造に対する独創的な発想が伺えます。この後『交響曲第6番』を経て、極めて個性的な境地に到達した晩年の『フルート協奏曲』と『クラリネット協奏曲』が続くのです。

第1楽章は牧歌的な第1主題をファゴットが独奏で演奏して開始します。主題を変奏しながら、対位法的に反行形で動く対応声部が書かれていきます。第2主題への推移部はオーケストラのトゥッティ(全合奏)のようなふくよかな響きを嗜好しています。動きの少ない長めの音で全員が同形の進行を演奏しますが、ホルンのみズレてリズムの停滞部分を補完して響きの充実を促しています。ニールセンの交響曲では金管楽器が進行の要であり、極めて重要な転換をまかされていることが多いのですが、ここでも同様の感覚が生きています。同音連打やトレモロによる効果を鏤めた第2主題は古典的に第1主題とのコントラストを意識しています。提示部繰り返しに移る推移部はフルートとクラリネットの短いリフがリピートされ、直線的な響きの道を示す中、やはりホルンが独奏で極めて抽象的な旋律を演奏し、フルートとクラリネットが織り成す不確かな停滞する和声感の間を自由に縫っていきます。重要な場面転換を金管楽器に任せる技がここにも生きています。

画像3

(左ページ下段最後の2小節からホルンと木管でふくよかなトゥッティの表現)

画像4

(フルートとクラリネットの間を縫うホルンの不思議なメロディー)

提示部で十分にニールセンの個性を聞いて読むことが出来ました。展開部では提示部で示されたそれぞれの要素が密度を濃くします。同音連打のモチーフが長くなったり、旋律断片が対位法的に織り交ぜられたり、単旋律であったものがハーモニーを獲得したり、比較的常套的な展開の手法が小気味好く現れます。提示部で繰り返し前に現れたホルンの旋律は第3主題とでも言うべきもので、展開部でも何度も変容されて現れます。古典ソナタのようにきっちり再現はしませんが、展開部の贅肉が取れていき、再現部と感じる状態にして素朴に終わります。

第2楽章のメヌエットは第1楽章からの地続きの音楽で、牧歌的雰囲気をそのまま引き継ぎます。二重奏で演奏している箇所が多く、クラリネットとファゴット、フルートとオーボエ、オーボエとクラリネット等の組み合わせで各楽器の個性を味わうことが出来ます。

第1楽章ではニールセンの金管楽器への偏愛が見て取れました。それに対して彼の音楽構成への拘りや音の選び方への個性が最も現れたのは最終楽章です。オーボエ奏者はイングリッシュ・ホルンに持ち替え、低音の充実を図ります。「前奏曲」では、低音の和音に支えられてエキゾティックなメロディをイングリッシュ・ホルンが4小節演奏したあと、フルートの独奏が始まります。フルート独奏は即興的な性格で、注意して聞かないと複雑な非和声音の連続に旋律の落としどころを見誤ってしまいそうです。しかしそれが逆に個性的で、音楽の進路を曖昧にしながら、どこへともなく気付いたら全然違う場所に連れてこられたような感じが、とても面白いです。前奏曲では更にクラリネットが技巧的なソロを披露します。

「主題と変奏」の始まりはとても素朴な民謡風のコラールです。うまく言えませんが、民謡風な旋法的メロディーはその作曲家が育った風土を感じます。変奏曲では様々に楽器の個性を聞いていきます。第1変奏はホルンとファゴットの二重奏、第5変奏はクラリネットとファゴットの二重奏、第7変奏はファゴット・ソロ、第9変奏はホルン・ソロ、第10変奏はフルートとファゴットによる二重奏での開始、等です。第3変奏はトゥッティですが、イングリッシュ・ホルンが主に旋律を担当しています。主に奇数変奏で楽器の個性が際立ち、偶数変奏では奇数変奏とコントラストを作るような合奏の音楽を示しています。

第5変奏のクラリネットのメロディーはかなり無調的に聞こえる非和声音が巧みに織り込まれていて、この曲の後の後期ニールセンのモダニズムへの偏向を予感させます。独奏クラリネットに対応するファゴットはバスを与えているだけですが、32分音符で前打音を伴って繰り返しているので、やはり無調的なリフに聞こえます。古典的な和声の枠組みで音を考えても、かなり斬新な音型というのは作れるものです。円熟のニールセンもまだ新しい音楽を夢見ていることが伺えて、音楽を創ることのやりがいを感じました。

画像5

(クラリネットとファゴットのエキゾチックな二重奏)

ニールセンの『木管五重奏曲』には独特の風土感があります。民謡風旋律が聞こえる箇所ではもちろんですが、金管楽器の持つ光彩感を活かす趣味などは、北欧ならではの色彩感覚だと思います。私はデンマークのコペンハーゲンに一度だけ行ったことがあります。滞在は一日だけでしたが、ものすごく都会で驚きました。道行く人もスタイリッシュ。ドイツではまず見かけないルイ・ヴィトンのカバンを持って歩くビジネスマンや女性も多く見かけました。ニールセンの音楽の風土感を街中では感じなかったのですが、公園を散歩していたとき、水路沿いを歩いたときなんかは、独特の光彩感を感じました。また、大きな広場に差していた夕焼けは衝撃的な美しさでした。私はデンマーク製の革手袋を愛用しており、その奥行きのある色彩感に魅せられている点を追記しておきます(コペンハーゲン滞在時に購入したものではありません)。

画像6

(デンマーク製の革手袋。#丁寧になめされた柔らかいシボ感のある皮とスカーレットとブラウンが混ざったような独自の色合いがお気に入りです。)

作曲活動、執筆活動のサポートをしていただけると励みになります。よろしくお願いいたします。