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楽譜のお勉強・番外編〜ハリソン・バートウィスルを偲んで

2022年4月18日、イギリス現代作曲界の巨匠ハリソン・バートウィスル(Harrison Birtwistle)が逝去されました。87歳でした。心よりご冥福をお祈りします。

バートウィスルは私の音楽観に強い影響を与えた作曲家の一人です。私はいろいろな作曲家の作品に興味を持って勉強していますが、その中でもバートウィスルの音楽には大変共感しており、より多くの曲を勉強してきました。とりわけ多層状に設計された音楽時間の聴取の可能性とその現実的な作曲技術上の処理の方法は、彼の音楽から最も多くを学んだと言っても過言ではありません。日本では2013年にコンポージアム2013の特集作曲家および武満徹作曲賞の審査員として来日し、いくつかの作品がまとめて演奏され、日本の作曲家も多く参加するコンクールで若い作曲家に刺激を与えました。私は当時ドイツに在住していたので、そのイベントには行かれませんでしたが、ドイツではとても頻繁に作品が演奏される作曲家でしたので、よく聴きに行って創作意欲を刺激されていました。

本日は私が個人的にお勧めしたい曲5作品を、楽譜の内容に対する短いコメントと合わせてご紹介いたします。私が最も好きでお勧めしたい曲は『…agm…』ですが、こちらは楽譜が特注で私も持っていませんし、ほとんどの音大図書館にも所蔵はありません(国立音楽大学には電子資料としてデータがあるようです。さすが図書館がとても有名な国立音大です)。ケルンで生演奏を聴いたときは本当に衝撃を受けた作品です。

(…agm…)

5作品をご紹介いたしますが、お気に入り順などではありません。

『テセウス・ゲーム』(»Theseus Game« for large ensemble with two conductors, 2002-2003)は、大アンサンブルを2群に分けて二人の指揮者で群ごとに異なるテンポで演奏する作品です。バートウィスルの作品では、異なるテンポが同時進行する音楽が非常にしばしば見られます。異なるテンポが「同時進行」とまで行かなくても、多くの大編成の作品でテンポと無関係に独自のテンポで奏する独奏パートが現れます。シュトックハウゼンが『グルッペン』や『カレ』で提示した共存する異なる時間軸を聞く仕掛けを、最も追求した作曲家の一人だと思います(アイディアの源流を辿るならアイヴズかとも思いますが、彼がアイヴズに共感していたかどうかはあまり聞き取れません)。写譜家泣かせのスコア形態ですが、互いのアンサンブルの関連がよく観察できて、隅々まで作曲され尽くされているのがよく分かります。この作品では2群のアンサンブルが別のテンポで演奏するだけでなく、各群から独奏で旋律を演奏する楽器が頻出し、その楽器はまた別のテンポが割り当てられるので、極めて複雑な時間の層が設計されています。ややもするとカオス的音響になってしまう恐れがありますが、群による対位法書法のセンスが光り、お互いの関連が邪魔されません。マショーやオケゲムといった過去の対位法的作品の編曲作品も多く手掛けた彼の技術力が見事です。

(Theseus Game)

『パルス・サンプラー』(»Pulse Sampler« for oboe and claves, 1981年出版)はオーボエとクラヴェスという珍しい編成の二重奏曲です。やや特殊な配置で演奏される曲で、打楽器奏者は舞台中央で客席に向かって座って演奏します。その背後にオーボエ奏者が立って演奏します。バートウィスルの作品の中でもパルス(拍)への関心を強く示した作品です。クラヴェスは基本的にリズムを演奏することはなく、拍打ちをするばかりです。拍はメトリック・モデュレーション(分割と分割音価の統合によって新しいテンポを割り出す手法)によって次のテンポへどんどん移っていきます。オーボエも音価だけを見るとリズムらしいリズムを演奏するというよりは、クラベスよりは細かく均等に分割された刻みを演奏し続けるのですが、大きな跳躍を含む音程およびアクセントの使用により、リズムが発生し、次第に休符を挟んでリズムを作り出します。それぞれのメトリック・モデュレーションのタイミングはずらされており、機械的なパルスがじわじわ変更されていくので、おかしくなったメトロノームに合わせて翻弄されるオーボエのような面白さがある作品です。

(Pulse Sampler)

『子午線』(»Meridian« for mezzo soprano solo, 6 sopranos and large ensemble, 1987年出版)は、オペラやミュージック・シアターでも多くの功績を残したバートウィスルの声楽作品です。時代を大きく隔てた二人のイギリス詩人、クリストファー・ローグ(Christopher Logue, 1926-2011)とトーマス・ワイアット(Thomas Wyatt, 1503-1542)の詩を歌詞としています。例によって複数のテンポが混在しますが、この作品では時間の層を計画的に練って立体的に聞くというより、短い断片をごく小さなグループが繰り返し、無関係時間の持続を重ねることで拍節感のぼやけた響きを作る手法が多く見られます。6人のソプラノ歌手は舞台後方で歌いますが、少しアンプリファイされています。独唱のメゾ・ソプラノは非常にメリスマ的に書かれていて、音節は伸びたり縮んだりします。独唱と呼応するように、ほとんど独奏的な役割がホルンに与えられていて、メゾ・ソプラノと二重奏を構成しています。

(Meridian. 全曲をYouTubeで聴けますが、部分ごとに10の動画に分かれているので、最初の動画のリンクを貼っておきます。)

『ピアノ三重奏曲』(Trio for violin, cello and piano, 2011)は比較的最近書かれた室内楽曲で、層状のテンポの操作とそれを聞かせる各楽器の関連の仕方が慣れた書法で流暢に仕上げられています。現代音楽では比較的古典的とも言える無調の響きを好んだバートウィスルの音楽では、小さな音域の半音階クラスター(長2度、短3度、長3度等の半音全部)を開離配置して、和音の響きに直した音をよく使いますが、このトリオではバートウィスルにしては珍しい3和音が時折聞かれます。フォルティシモでアクセントも付いていたりして、構成状大事な役割を担いますが、前後の文脈で気付きにくい使われ方をしているのがバートウィスルらしいです。ヴァイオリンやチェロがたっぷり歌う箇所も聞くことができ、現代の古典のような佇まいを持った作品です。

(Trio)

『大地の踊り』(»Earth Dances« for orchestra, 1986)は、私が初めてライブで聴いたバートウィスルの管弦楽曲で、本当に大きな衝撃を受けました。ケルンに留学して間もない頃の話ですが、日頃から頻繁に現代の有名な作曲家の大きな作品をライブで聴く機会があることに本当に驚いていました。演奏には40分近くかかり、6層に分かれた分厚いオーケストラサウンドが聴くものを圧倒する曲です。冒頭のチェロとコントラバスの低音に向かうグリッサンドが地響きを引き起こし、そこから心を奪われました。6層と書きましたが、この曲では異なるテンポが同時に進行することはありません(ポリリズムの使用によって似たような効果が聞かれる箇所は多々ありますが)。バートウィスルの曲の中でも音の数自体が多い曲で、基本的に管楽器群の扱いにソロ的な使用は少なく、全体として厚みで構成してあります。バートウィスルの曲の中でも、『テセウス・ゲーム』と並んで私がよく書法を参照した作品です。

(Earth Dances. 私がライブで聴いた演奏の動画がありました。)

以上は私がよく読むバートウィスルの楽譜5作品でした。他にもじっくり勉強したい曲がたくさんあります。いずれ「楽譜のお勉強」本編で丁寧に読むかもしれませんが、今はただご冥福をお祈りしながら、彼の残した音楽に浸りたいと思います。素晴らしい音楽を残してくれてありがとうございましたと伝えたいです。

(Secret Theatre(『秘密の劇場』)。しばしばバートウィスルの最高傑作とも言われる作品の動画を最後に上げておきます。)

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