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低音の魅力と言葉の魔法が出会う 〜『忽然と』について〜

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『忽然と』について

何度か過去の記事に書いてきたことですが、私は10代の頃から30代の初めまで、折に触れて合唱を歌って音楽演奏に親しんできました。自分の声は高くなく、低くなく、声域も広くないので合唱団内で重要なソロをまかされるような大活躍はありませんでしたが、キラキラと高い声を自在に操るテノール歌手やどっしりと低い音で全体を包み込むバス歌手は本当に憧れました。とりわけ、低音が安定している合唱は耳に馴染みよく、聴き手を音楽に引き込む下地を作るため、作曲家視点からすると、ひときわ丁寧に作りたい思いがあります。そんな低音の魅力を存分に伝える活動を続けているバリトンの松平敬さんとチューバの橋本晋哉さんのユニット・低音デュオから2018年に作曲の依頼を受けました。

新美桂子さんの3篇の詩に作曲した『忽然と』(2018)は、2018年4月に低音デュオ第10回演奏会で初演されました。今年、2020年12月23日(水)に彼らの第12回演奏会で再演されます。15時と19時の2回公演です。初演時、私のオペラ『ヴィア・アウス・グラス』の舞台稽古が始まっており、舞台装置を組んでのリハーサルと重なっていたため、一時帰国して初演に立ち会うことが叶いませんでしたから、今回の再演で私は初めて生演奏を聴くことになります。2年前の私が何を考えてこの作品をどのように作曲したのかを振り返ってみようと思います。

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『忽然と』は3つの曲からなるソング・サイクルです。3篇の詩に内容的な繋がりはありませんが、曲ごとの特徴がコントラストのあるものになるように作者の新美さんから頂いた詩から選定しました。独立して演奏することも可能ですが、3曲続けて演奏すると不思議な構成感を感じていただけるよう、配慮されています。

私が声楽曲を作曲するときに詩を選ぶ一番大事な基準は、漠然と音楽が聞こえてくるかどうかです。具体的な旋律や曲の内容が聞こえてくることはほとんどありませんが、音を感じるフレーズ、響きを感じる情景描写、音声的繰り返しを含む文章構造等、音楽を感じ取る要素が聞こえてくれば、そこから作曲作業を始める想像がつきます。その後、私が詩の内容に共感できるかどうかも吟味します。さすがに音楽的着想が詩に備わっていても、内容に共感できないと作曲中に心苦しくなることが目に見えています。

第1曲『五月の雨』

第1曲『五月の雨』は「ぽつねんと佇む」という句から始まります。私は日本語の擬音語や擬声語(オノマトペ)が大好きです。口語的に用いやすいため、多様される場面にもよく出くわします。その場合、意味はよく伝わらなくなりますが、ただ「感じ」だけが伝わるという不思議な言語コミュニケーションが成立します。一つ例を挙げるなら、「わーってなっちゃって」という表現は割とよく耳にしますが、何がどうなったか全然分からないのに、「わーっ」ってなったのだなという「感じ」だけが分かるという具合でしょうか。「ぽつねん」は先例よりは具体的な情報を持つ語です。孤独感とセットになっている語に聞こえます。その後読んでいくと、「雨粒ぽつり」「ぽつりとひとり」「ぽつんと呟く」という具合に、様々な内容の「ぽつ」が執拗に開拓されます。「ぽつ」に潜む多様な面のオンパレードを新美さんは詩の中で「喝采」と表現しました。擬音・擬態から離れ、「雨、雨、雨、雨、雨…」と具体的な意味を持つ言葉を繰り返すことで、語自体のオノマトペ化が行われました。語感と構造の両面から直接音楽の言葉に翻訳することが出来そうだと感じる詩です。

私の作曲上のアプローチも「ぽつ」を如何に音にするかということに執着しています。冒頭、「ぽ」音をバリトンとチューバの両方が楽音でない方法で発音します。バリトンはpの子音をオの母音の口の形で勢い良く発音し、声ではないけれども破裂音が聞こえます。チューバはマウスピースに対して口唇をバリトン歌手と同じように無声で発音し、チューバの管による拡声を伴って破裂音が響きます。「つ」も無声音で、今度はチューバのみがウ母音の口形を残したまま息音で伸ばします。「つ」音はバリトンに受け継がれ、無声音による「ぽ」と「つ」がこの曲の下敷きを作ります。その「ぽつ」の合間を縫ってそれ以外の歌詞が間を縫って何事もないような単調なフレージングで語りのように歌われます。

様々な意味の「ぽつ」が用いられる詩ですが、雨の景色を歌っていることは明瞭です。曲の中程、足元に降り注ぐ「ぽつ」の総体を「喝采」と詩人が表現した箇所では、曲の終わり部分に出てくる雨の表現が一瞬顔を覗かせる手法を用いました。低音のチューバがドカドカと音を連打します。短い低音は周波数が充分に鳴って耳に正しい音程を認識させる時間が足りず、ピッチというより、効果という印象に聞こえますが、これを利用した低音の高速リピートはなかなか面白い効果があります。低音楽器ならではの表現です。曲の最後は、「雨、雨、雨、」と繰り返すのですが、詩に書かれている回数よりも執拗に繰り返すことで、語を意味から解放し、オノマトペ化することに務めました。

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(©Edition Gravis Verlag GmbH, 出版準備中)

第2曲『三軒茶屋』

第2曲『三軒茶屋』は、三軒茶屋の路地裏の飲み屋での1シーンです。実際に飲み屋であるとは書かれていないのですが、「路地裏のラビリンス」、「飲み干したのは/琥珀色の虹」という表現を私はカフェでお茶を飲んでいる場面とは読みませんでした。しかしこの詩の一番のインスピレーションは詩の内容でも語感・音感でも構造でもなく、ただの一語「オクターヴ」という音楽用語がこの情景詩の中に現れたことです。それ以外の部分が全て比喩を多く含む情景描写で、私にとって音楽にすることがやや難しいと感じる詩であったのに対して、「オクターヴ」の言葉があたかも詩の中心であるかのごとく、私の視線を捉えました。オクターヴで構成される「遊戯」、「プリズム」、「ラビリンス」、「絵空事」を表現するだけで曲の形が現れるのではないか、というミニマリスト的考えから選んだ詩です。

第2曲を作曲するに当たっては、スピンオフ作品というか、バリトン声部のスケッチが独立した作品として成立しています。『オクターヴに半音階』(Chromatic Scales and Octaves, 2018)というこの作品は、デュオのための『三軒茶屋』の構造を決定しています。『オクターヴに半音階』を読むと、『三軒茶屋』の作曲方法がより分かりやすくなるので、こちらに載せます。奇しくも、この作品の日本初演も松平敬さんによって2020年12月7日(月)に行われます。無伴奏バリトン独唱のための作品を集めた挑戦的なコンサートで、興味深い内容ですので、こちらも併せてお聞き頂ければ幸いです。

このバリトン独唱曲では、音読した歌詞の抑揚をオクターヴに振り分けています。日本語は抑揚の少ない言語と言われます。しかし私たちがアクセントとして認識していないとは言え、何らかの抑揚は語感の中に存在しています。自分がこの詩を音読したときに聴き取った言葉の高低を3種類に振り分け(低中高)、それを2オクターヴ内に振り分けることが最初の行程でした。そこから現出する日本語は、抑揚の激しい言語に変わっています。2オクターヴ内の3つの音が繰り返されると、とてもミニマルでコンセプチュアルな様子の曲になり、それはそれで面白いのですが、私の音楽の好みは一聴してその仕掛けの全てを認識できるタイプのものではないため、少し手を加える必要があります。1フレーズごとに半音ずつ移調していくことにしました。原スケッチではバリトン歌手が歌いこなしやすい音域を考慮してG音(ソ)で考えていましたが、8節からなるこの詩を節ごとに移調していくと、7半音分下行することになるので、Cisオクターヴ(ド#)から開始することにしました。7半音分下がると、Fis(ファ#)に辿り着きます。低く移調していくのに伴い、音読のテンポも落としていくことにしました。冒頭リズムを16分音符1つを一音節とし(副音節は2倍、ヴィブラートで副音節であることを強調)、それの1.5倍、2倍と長くして行きます。2倍になると8分音符が得られますが、8分音符からはまた1.5倍、2倍と音価を伸ばします。更に抑揚の高低の中に同音が連続で現れる場合、少しずつ(四分音以下)上行、または下行するようにしました。上行か下行かの決定は、連続する音群の最初の音に辿り着く直前の音により決定します。上行で同音反復が繰り返す音に辿り着いた場合は上行、下行の場合は下行が続くようにしています(例、5小節目、低音のシから中音のシに移行するのは上行のため、中音のシは更に微分音上行を続け、6小節目の高音のシに到達するタイミングでリセット)。

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まさに「オクターヴ」の「遊戯」ということが分かる構造だと思います。この構造をもとに『三軒茶屋』は構成されています。『三軒茶屋』は『オクターヴに半音階』が原型とその逆行形を組み合わせた形で作曲されています。ただし、『オクターヴに半音階』全体が高低抑揚のまとまりで分解されています。例えば「水しぶき」という語は「み(中)」「ずし(高)」「ぶ(中)」「き(低)」という具合に分解しました。これをひとまとまりとしては歌わず、まず「み」を歌うとそこで切れます。切れるタイミングで答えるようにチューバが逆行形の最後の音から開始します。こちらも音節で分かれたまとまりを演奏するので、演奏は交互に起こることになります。基本的にこの構図は崩れませんが、中央部分だけ同時に演奏して、完全にポリフォニーになるようにしました(36小節目)。さらに歌詞に「オクターヴ」が現れる部分(バリトンの44から45小節目、またそれに対応するチューバの27から28小節目)は、もう一方の奏者が分散オクターヴを歌い奏することで、オクターヴの感じを強める遊びを足しました。チューバ奏者はバリトンの全部分を1オクターヴ低く移して、低音を補強しています。

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第3曲『忽然と』

第3曲『忽然と』は、大変不思議な情景描写を持つ詩に基づいています。「遠くの偶然と/近くの気配が/風景に重なる/霧が立つ/もやもやと押し寄せ」「霞がかる/うやむやのうちに/」「火花を散らし/塵となる」という具合に、具体的に何を描いているのかがあまり分からないような表現が多いのですが、遠景と近景の交替とその混じり合いが大胆なコントラストを持った構造になっているので、目の前で何か訳の分からない霧がかった景色が明滅しているような錯覚があります。この状態を音楽で表現したい衝動にかられました。

まず、霧がかった景色を描き出すために、バリトンとチューバの音程距離を近くすることで、差音や不協和の効果を高くすることにしました。言葉を歌うバリトンに、比較的自然な抑揚の音をロングトーンで当てて動きの小さな旋律を作っていきました。その周りに微分音を含む音程関係で、チューバをうろうろと纏わり付かせます。これが遠景の表現です。詩の中で近景に切り替わったと感じるタイミングで大胆に速いパッセージを仕込みました。基本的にはこの切り替えの繰り返しで、なおかつ日本語の自然な抑揚を壊すことなく歌の旋律を書きましたが、詩の持つ大胆なコントラストの表現に見合うよう、充分なロングトーンによる遠景の表現と、脈絡なく疾走する近景の表現が、詩を単純に音読するのとは違った表現になっていて、音楽でしか感じることの出来ない内容になったと感じています。

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今回はコンサートの宣伝を兼ねた記事です。ご紹介した2つのコンサートを聴きにいらしていただければ幸いです。また、12月13日(日)には横浜でヴァイオリンとピアノのための新曲の初演もあります。こちらの作品は世界初演で、ネタバレ防止のため詳細な楽曲解説を記事に書くことが出来ませんが、素晴らしい演奏家が私の作品でもとくに演奏が難しいと思われる難曲に挑戦してくださっていますので、是非お越しいただければ幸いです。

https://mmh.yafjp.org/mmh/recommend/fbefb28fc00d2a07083d47c38f57c427b3ecc53a.pdf

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