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楽譜のお勉強⑥ヴォルフラム・シュリッヒ『…ガーゴイルの歌の…』

ヴォルフラム・シュリッヒ(Wolfram Schurig, b.1967)は、現代オーストリアのブルーデンツ生まれの作曲家、リコーダー奏者です。スイスのチューリッヒでリコーダーを学んだ後、ドイツのシュトゥットガルトでヘルムート・ラッヘンマンに作曲を師事しました。リコーダー奏者として忙しく活躍する彼の作曲作品は多くはないですが、作曲家としては「新しい複雑性」(*)の音楽やラッヘンマンの音響に関する考え方(特にオーケストレーションにおけるデュナーミクの扱い)から影響を受けた堅実な作風で知られています。その作品の中から今日は2008年から2010年にかけて作曲された『…ガーゴイルの歌の…』(…vom Gesang der Wasserspeier…)を読んでみます。残念ながら本作のCDや動画配信による音源は現在までのところ出ていませんが、出版社からプロモーションCDを入手することができます。

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『…ガーゴイルの歌の…』は独奏ピアノと16人の奏者からなるアンサンブルのために作曲された、一種のピアノ協奏曲です。アンサンブルはフルートx2、クラリネットx2、ホルン、トランペット、トロンボーン、打楽器x2、ヴァイオリンx2、ヴィオラx2、チェロx2、コントラバスとなっています。奏者が二人いる楽器をほぼ両翼配置に並べています。

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弦楽器群はコントラバスを中心に分割されるため、コントラバスが真ん中に配置される特殊な状況です。コントラバスは巨大な楽器ですので、その真後ろに配置されるホルンは指揮がよく見えません。音の響き的にも大きな障害物が前面にある形になるので、楽譜に記載はありませんが、きっと後列の金管楽器3人は台の上に座るのだと思います。

冒頭はまさにこのど真ん中で陣取っているコントラバスの聞かせどころです。ピアノ、コントラバス、トロンボーンが低音のトリオを聞かせます。ピアノが細かい低音の音符をアクセントを付けながらffffでドカドカ弾くのに対し、バスとトロンボーンはピアノのバス音を微分音でズラした音程でなぞって強調します。最初はバスとトロンボーンはピアノに寄り添う書法ですが、すぐにピアノの細かい音符は途切れがちになり、その隙間をバスとトロンボーンが別の細かい音符のパッセージを埋め込んでいき、三者が均一な発言力を持つトリオが生成されます。

15小節で唐突にピアノが高音に移り、それを合図にアンサンブルの楽器が一気に入ってきて様々な方法でピアノと掛け合っていき、ピアノ協奏曲の様相を表します。27小節目からはピアノが全音域を途切れがちな点描で空間に音を置いていきます。その音を強調することなく、ピアノの音高の間に配置された音高からなるドローン和音が弦楽器と金管楽器によって演奏され、抽象的で奇妙な味わいを出しています。全音域に広がったピアノは徐々に音域を狭め、中音域のごく狭い範囲で、点描的な表現を諦め、フレーズを表し始めます。

その直後、ピアノは高音域と低音域に突然分かれ、リズミカルで諧謔的な音楽を演奏します。フルート、クラリネット、チェロ、打楽器がこれに呼応してリズム点の強調や補完を行います。このセクション(39から48小節)は特にドナトーニの音楽と近似性が認められます。聴いていて楽しいです。

続くセクションはやや常套的な現代のピアノ協奏曲の雰囲気。要素が多く、弦のグリッサンド、気ままなピアノの難しいパッセージ、管楽器の息音やその他の特殊奏法から来るイメージ通りの前衛的な音楽の響き等が大してうまくなく混ざっており、何を特に表現したいのかちょっと悩みます。ですが、その直後にこのセクションの意味は分かりました。弦楽器と金管楽器が再びドローン和音を奏し、ピアノは点描的な音楽を演奏しますが、以前同じような表現が聞かれた時よりも贅肉を削がれた形で奏されます。意味の分かり辛いカオスからの突然の解放というか、突然現れる程よい不協和音の弱奏コラールは、とんでもなく美しいものを聞かされた気分になります。後半のセクションでも同じような方法で、音域、強弱、音の身振り、リズム等、冒頭から2分くらいまでの間に少しずつ示した語法を匠みに組み合わせて、効果の高いコントラストを持った音楽を作っています。

細部に渡って細かく作り込まれた音楽ですが、ニュアンスを聴く即興的な要素もあります。一つ、とても利便性が高い記譜が見られたのでご紹介します。弦楽器でグリッサンドをする際に、そのグリッサンド内で音の身じろぎを聴きたいことがあります。グリッサンドにちょっと表現力を持たせるだけですので、具体的に音を決めてしまうと野暮ですが、シュリッヒは次のような方法を採用しています。まず通常のグリッサンドのように幹音同士を直線で結びます。そしてその音の上に指番号を記し、グリッサンド線の中に装飾音群を指番号で書きます。こうすると大枠のグリッサンド枠は壊れず、そのグリッサンドをしている指を細かく動かして線の身じろぎを聴くのとは違ったフレージング効果があります。経済的かつ効果的で、使いどころの多そうな表現だと思いました。

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シュリッヒの音楽は「新しい複雑性」の影響を受けていることもあって(ファニホウよりはマーンコプフ的です)、その音楽内容をパターンで聴くことができません。音は常に不規則的に変化しますし、リズムが一定のこともほとんどありません。リズムのみならず、実際に拍子が変更されずに小節が続くことがこの作品全体を通して稀で、テンポも短いスパンでどんどん更新されていきます。そのため、楽譜を読んだことで音楽の作られ方に納得があり、聴き方が大きく変わりました。楽譜を読まずにこの作品を最初に聴いた時、とにかく難しい音楽を聴いているという印象で、うまく計画されているコントラストの構造も、私の耳には届きませんでした。音楽を味わうことに楽譜が絶対に必要とは思いませんが、これほど複雑な音楽を聴く時には、耳だけで味わおうとするよりも随分近道ができるものだと感じました。耳だけでもある程度聴き届けることができるよう、自分の耳をさらに鍛えたいとも思ったりしました。複雑な音楽の門は多くの人の耳に対しては閉じていますが、人間の音楽的思考を考察する上では興味が尽きない音楽であり、私の好奇心を今もくすぐり続けています。

*) ブライアン・ファニホウやマイケル・フィニッシーといった作曲家による一般的な限度を超えた複雑なリズムや演奏技術の限界ギリギリを求めるような楽器の書法を持つ20世紀後半に登場した音楽。


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