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奥瀬陽平評 ツェリン・ヤンキー『花と夢』(星泉訳、春秋社)

自責でも他責でもなく――理不尽な世界で正気を保つための言葉とともに

奥瀬陽平
花と夢
ツェリン・ヤンキー 著、星泉 訳
春秋社

■田舎から都会へ出てきた少女が貧困や社会格差をはじめとする厳しい現実にさらされる話は、特に珍しいものではない。それはいまもなお世界の多くの地域で見られる現在進行形の現実でもある。チベットの文化と宗教の中心地であるラサは、大勢の巡礼者が訪れる聖地として知られるが、同時に現代社会のあらゆる問題を抱え込んだ都市でもある。そのラサを舞台に四人の若い女性たちが懸命に生きる姿を描いた本作には、そうしたいまを共有する同時代性がある。そのうえで、時代を超えて継承されてきたチベットの伝統が色濃く反映されていることから、文化を異にする読者にとって極めて文化的独自性の高い作品となっている。
 自由区と呼ばれる一画の狭い路地の奥にある、中庭を四角く囲む形のアパートでは、住人たちが自室の窓や玄関に植木鉢を並べて様々な花を植えている。そのアパートの二階の小さな部屋で、花の名前を持つ四人が共同生活を送っている。菜の花、ツツジ、プリムラ、ハナゴマ。それは彼女たちが働く違法ナイトクラブ《ばら》での源氏名だ。
 家族の困窮や確執、両親の事故や死など、様々な事情から村社会にいられなくなり、ラサへ出稼ぎに来た四人。高校中退あるいは中学も出ていない彼女たちには低賃金でしばしば虐待的でもある仕事しかなく、社会の底辺でもがくように生きている。そこに性被害やパワハラ、ストーカーなどの出来事がふりかかり、彼女たちはそれぞれ意を決して性産業へ足を踏み入れる。高収入を夢見て、一見きらびやかな世界へ飛び込んでみれば、今度はその代償として、病気や暴力と隣り合わせの日々が待っている。社会の蔑視に心が削られていく。だから四人は肩を寄せ合うようにして自分たちのささやかな居場所を作るが、様々なものを失った彼女たちの夢は、花が枯れるようにしぼんでいく。タイトルは作品全体に比喩として広がっている。
 過酷な運命に翻弄され、自らを無価値な存在だと感じるとき、人はどのようにして自分自身を支えるだろうか。菜の花は客から暴行を受けたとき、「前世に積んだ悪業が巡ってきたってことか」と思い、同様の目に遭ったツツジは「これはあたしの業が深いせいなんだから」とつぶやく。そこには因果応報と輪廻転生の信仰がにじみ出ていて、「嘆き悲しんだところで持って生まれた業は変えられない」(プリムラ)との一貫した考えがある。
 しかし決して「自分のせい」だと言っているのではない。自分の業は自分ではない。自分と業は別々のものだ。永遠に続く長い命の旅があり、そのワンシーンとしての自分を自覚することで、この理不尽な世界は和解可能なものとなる。そして他人のせいでもない。自分の欲望のために人を道具扱いする人々のなかにあっても、彼女たちは他者を思いやる心の領域を失っていない。だからツツジはかつて自分をいじめた雇い主に再会したときに思う。「自分に起きた出来事はすべて自分の業の深さのせいだと思って何とか正気を保ってきたのだ。それならば目の前のこの老いた女性も憐れむべき存在ではないだろうか」と。そして「わたしは今まで誰かに責任をなすりつけたりしたことはありません」と言ってその場を立ち去る。
 ここに自責でも他責でもない心の支え方がある。業は決してあきらめの思想でも敗北主義でもない。それは自分と他人に寛容になるための知恵だと言える。自責も他責も自らの幸せを妨げるがゆえに。自他を分ける心が幸せの障害となるがゆえに。
 いたいけでうぶな少女たちがたくましくなっていくさまが、ことわざで彩られたセリフから伝わる。言い伝えや民謡のふんだんな援用も本作品の大きな特徴の一つだ。「幸せなときは青い山の草をともに食み、苦しいときは青い川の水をともに飲むっていうでしょ」と、菜の花とツツジは助け合って生きていくことを誓う。口承伝承の語りの豊かさは地の文にも溢れている。忘れ去られることなく受け継がれてきたことわざは、まるで少しずつ姿を変えながら輪廻する命のようでもある。口にするたびに祖先たちと語り合っているかのごとくに。そういえばブッダも教えを説くのにたとえを巧みに使う人だった。
 訳者解説によれば、本作はチベット自治区で女性作家がチベット語で書いた初めての長編小説であり、完成まで七年を要したという。そして春秋社の「文学を通じてアジアのこれからを考える」をテーマとする「アジア文芸ライブラリー」の記念すべき第一作となった。異文化に触れることで私たちの当たり前が揺さぶられる。それは心の視野を広げる経験になるだろう。チベット語でしか書けない小説があり、文化的な地層の奥深いところから個人の概念を問い直すような言葉の呼びかけがある。わたしたちはどうだろうか。わたしたちの言葉は貧しくなっていないだろうか。花は、夢は、どこに咲くのだろうか。チベットのことがもっと知りたくなった。
 (翻訳者・ライター)

「図書新聞」No.3649・ 2024年7月27日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。


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