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中井陽子評 清水晶子『英国 ヘンな旅先案内――ガイドブックに載らない不思議の地』(平凡社)

評者◆中井陽子
本当のイギリスが見えてくる、上級者向けの英国案内――知れば知るほどイギリスは奥が深く、その面白さを多面的に教えてくれる一冊
英国 ヘンな旅先案内――ガイドブックに載らない不思議の地
清水晶子
平凡社
No.3612 ・ 2023年10月28日

■在英二十年の著者による読んで楽しい旅先案内。外国人にはあまり馴染みがないかもしれないが、イギリスらしい味わい深い場所が二十三か所紹介されている。美しい自然も、城も、廃墟も、一風変わっていてミステリアス。観光地めぐりでは知り得ない本当のイギリスが見えてくる。まさに上級者向けの英国案内と言えよう。
 例えば南西部コーンウォール地方にある「ミナック・シアター」は、海に接する断崖絶壁をくりぬいて作られたダイナミックな野外劇場。海と星と月を背景に上演されるドラマティックなシェイクスピア劇を観ようと、毎夏世界各地から観客が押し寄せる。ローマの遺跡のようにも見えるこの劇場は、実は遺跡でもなんでもなく、一九三〇年代にこの地に越してきた演劇好きの一般女性ロウィーナ・ケイドが、普通の大工道具を使ってほぼ自力で作り上げたものだと知ったら驚くだろう。地元の村の劇団のために作ったささやかな劇場を、八十九歳で亡くなる直前まで実に五十年の歳月をかけて拡張し、現在の状態にしたのだ。
 こうした凝り性気質のイギリス人が作り上げたものは、エリザベス一世時代の名士による謎の館「ラシュトン・トライアンギュラー・ロッジ」、怪奇小説作家のゴシック趣味の城「ストロウベリー・ヒル」、制作時期も用途も諸説あって謎だらけの貝殻細工坑道「シェル・グロット」など、いくつか紹介されている。なかでもその規模に驚いたのは、亜熱帯植物園の「トリーバ・ガーデン」。植物園というより広大な渓谷にある亜熱帯のジャングルのようなこのガーデンは、退役軍人のヒバート少佐が作り上げた。一九八一年、隠居生活の場を求めて妻とその地にやってきた少佐は、購入した土地に荒れ果て埋もれた南国風の庭園があるのを発見し、引退を先送りにして庭の整備拡張事業に取り組んだ。そのため隠居は八十八歳まで先延ばしにされてしまったが、庭づくりに打ち込んだ二十四年間が人生で最も充実していたという。手塩にかけた壮大で美しい亜熱帯ガーデンの写真を本書でぜひご覧いただきたい。
 「ミナック・シアター」も「トリーバ・ガーデン」も現在はトラストが公共のものとして管理し、一般に公開している。元は個人資産であっても、トラストを設立して展示し管理することで、施設を維持する仕組みが浸透しているのだろう。大航海時代から続く珍しいものへの高い関心と収集欲が、貴重なものを展示公開しながら管理保存するという、この国の伝統を培った。イギリスが他国にさきがけて公共の博物館や動物園、図書館、美術館を創設し、今も世界に誇るコレクションを守り続けていることに納得がいく。この辺りはロンドン大学で博物館学を学んだ著者の解説をぜひ読んでほしい。中世から続くオックスフォードの「ボドリアン・ライブラリー」の章にも詳しい。
 公開することで守られる資源は、いわゆる美しいものに限らない。例えば英仏海峡に面した「ダンジネス」。大戦中に利用された国防施設や実験設備が廃墟と化して、「この世の果て」のような景色を作り出している海岸だ。独特な雰囲気に魅せられたアーティストらによる支援と、近郊に原子力発電所を建てたエネルギー会社の土地買収により、この地は今後の開発を免れた。その景観を楽しむため近年多くの人が訪れるようになったという。ほかには、軍事演習場にするため第二次大戦中に全村民が強制退去させられた「インバー村」。普段は立ち入り禁止区域だが、年に数日間のみオープン・デーが設けられ、村の教会で礼拝が行われる。この日は元住人や縁者だけでなく、一般の人にも入村が許されている。
 産業革命をけん引したウェールズの「ブレナヴォン製鉄所跡」の章では、地元ウェールズ出身の作家アーサー・マッケンの『夢の丘』に登場する、美しい夕焼けを真っ赤に燃える溶鉱炉に例えた印象的な描写を引き合いに、産業革命が当時の芸術家に与えた影響を紹介している。また、ポニーとブルーベルと密輸団の森「ニュー・フォレスト国立公園」、十六世紀から続く名産地「ヒッチン・ラベンダー農園」、近未来的植物園「イーデン・パーク」には、動植物をこよなく愛するイギリスらしいこだわりが感じられる。さらに本書のカバーを飾る愛嬌たっぷりの「ノーム・リザーヴ」の章を読めば、どこか素朴で垢抜けないイギリスの愛すべき魅力の原点が、こうしたユーモアにあるのだとわかる。知れば知るほどイギリスは奥が深く、その面白さを多面的に教えてくれる一冊だ。
(英語教員・翻訳者)

「図書新聞」No.3612・ 2023年10月28日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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