見出し画像

森田千春評 リカルド・アドルフォ『死んでから俺にはいろんなことがあった』(木下眞穂訳、書肆侃侃房)

疎外感を抱えて生きる移民家族の、切なくもユーモラスな珍道中――世界共通の深淵なテーマを読者に問いかけてくるような作品

森田千春
死んでから俺にはいろんなことがあった
リカルド・アドルフォ 著、木下眞穂 訳
書肆侃侃房

■主人公の男は母国で郵便配達の仕事に就いていたが、ある事件を起こし、妻と幼児と三人で外国に逃亡。現在は不法滞在の身で求職中。掃除婦として生活を支える妻の気晴らしにと家族で散歩に出かけた日曜日、帰路に乗った地下鉄の車両故障をきっかけに坂道を転がるように状況が急転していく。波乱万丈の一日が主人公の独白を中心に切なくもユーモラスに語られる。
異文化環境では新鮮な刺激を受けて視野と経験の幅が広がるといった良い面がある一方、言語や習慣の違いから社会の了解事項となっているルールや行動様式、物事の展開が読めずに疎外感を感じたりイライラしたり、カルチャーショックを感じることも多い。そして本書の主人公のように社会的な立場の弱い者が抱える孤独感は「死人のまま生きる」と感じるほど深い。
主人公の男は約半年間の外国生活で社会のどこにも自分の居場所が見つからず、自分がまるで存在しない死人のようだと感じている。あまりにも誰にも見向きもされず透明人間のように無視されるので、自分の実在を確かめようとわざと電柱にぶつかってみる。そして周囲の言葉が全くわからない中で「字幕なしで起こる」いろんなことを理解しようと懸命に想像力を働かせ自問自答を繰り返しては、ことごとく裏目に出て空回りしていく。「単純なことも俺の手にかかると解決不可能な大問題となり、そこからさらにややこしくなり」、と突飛な行動と容赦ない八方塞がりの展開に引き込まれつつ、ふとこの男は私達の社会の災厄の縮図ではないかと気づかされる。事件や事故、災害の当事者達の多くも元は平凡な日常を送る普通の人であり、些細なボタンの掛け違いや情報不足、運とタイミングの僅かな差が累積して大問題に発展しているのではないか。そして言葉や習慣がわからない社会に生きる外国人や社会的弱者はその穴に落ちるリスクがより大きい。
孤独の中で望郷の念に駆られると人は故郷の良いところばかり思い出しがちだが、主人公の男のように自国にいられない理由があって出て来た者にとって故郷への思いは複雑だ。「外国に暮らす人間は、偽りの思い出に注意しなくちゃいけない」と故郷を美化しない主人公の冷静さの裏には、故郷には故郷の問題があり懐かしさはあっても帰りにくい事情がある。
 ポルトガルのベストセラー作家である作者のリカルド・アドルフォは、より良い人生を求めて移住しながらも逆の結果に陥ってしまうこともある海外移住をテーマに、構想に一〇年をかけて本書を書いたと話している。自身も国を超えて移り住んできた経験を持つ。ポルトガルの植民地だったアンゴラに生まれ、物心がつく前にポルトガルに移住し、その後にマカオ、学校教育をポルトガルで受けた後にオランダ、イギリス、そして二〇一二年からは日本に住む。日々ポルトガル語を話しポルトガル料理を作るが、ポルトガルのことは観客席から試合全体を観るように見ていると対談で語っている。このように自ら越境者として生きてきた作者の視点と感性により、本作品は様々な理由で故郷を離れてさすらう人々の孤独と強さを象徴的に映し出している。
 本書の主人公は何度も万事休すの場面に陥るが、惨めな自身の姿を時にユーモラスに俯瞰しながら、言い合いをしてもいざという時に頼れる妻と共に、ぼやきながらも諦めずに進もうとする。
 自国で言葉や習慣に不自由なく生活している立場で本書を読むと、周囲の「存在しない死人のように生きる人」の存在に目を向け、目を見て一言挨拶することが協調と平和への一歩だと気づかされる。また、居場所がなかったり絶望の淵にいると感じたりする人は、滑稽さを全開にして不格好ながらも何とか突破していこうとする主人公の姿勢に一筋の希望を感じ、鼓舞されるだろう。差別と偏見を内包しながら多文化が進む今日、ユーモラスな語り口で世界共通の深淵なテーマを読者に問いかけてくるような作品だ。
(翻訳者[ポルトガル語]/ライター)

「図書新聞」No.3639・ 2024年5月18日に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?