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夏村貴子評 夏川草介『レッドゾーン』(小学館)

評者◆夏村貴子
現役医師が綴るリアルなフィクション――新型コロナウイルス感染症の国内発生、そのとき長野県の小さな総合病院で何が起きていたのか
レッドゾーン
夏川草介
小学館
No.3563 ・ 2022年10月22日

■著者は長野県で地域医療に従事する現役の医師である。現役医師としての経験をもとに、とある小さな総合病院が新型コロナウイルス感染症に立ち向かうさまを描いた前作『臨床の砦』(小学館)は、令和三年一月三日からの約一カ月間の物語だった。舞台と登場人物をほぼ同じくする本書『レッドゾーン』は、『臨床の砦』以前の、正体不明の感染症に向き合い始めた頃(令和二年二月~五月頃)の物語である。令和三年発表の『臨床の砦』が当時の医療現場の状況をリアルタイムに近い形で伝えるものだったとすれば、本作はコロナ禍のごく初期の、まだ多くが手探り状態だった医療現場の混乱や戸惑いを冷静に振り返り、丁寧に記録したものといえる。
 舞台は前作と同じ長野県の小さな公立の総合病院である信濃山病院。常に冷静沈着と周囲に思われている消化器内科医敷島(前作の主人公)、肝臓内科医で皮肉屋の日進、人望厚い内科部長三笠、ベテラン外科医千歳など、登場人物は前作とも共通する。本作は第一話「レッドゾーン」、第二話「パンデミック」、第三話「ロックダウン」で構成され、それぞれ日進、千歳、敷島の目を通してコロナと対峙する日々が綴られる。
 第一話は令和二年二月、横浜港に入港した大型クルーズ船のコロナ感染者を受け入れた頃から始まる。信濃山病院には呼吸器や感染症の専門医がいない。県内の大病院や専門医のいる病院がコロナ患者受け入れを拒否するなか、感染症指定医療機関である公立の信濃山病院は受け入れを決断し、敷島、日進、三笠の三名からなる「コロナ診療チーム」が結成される。治療法もまだ十分に確立されておらず、当然ワクチンもまだない時期である。
 本作はフィクションであるが、現実の時系列に沿って話が進むため、コロナ禍を経験してきた令和四年現在の私たち読者は「その先」の展開を知っている。だがそれは本書を読み進める妨げにはならない。むしろ、「患者受け入れ拒否」「病床不足」「コロナ患者、医療従事者やその家族に対する差別や風評被害」「医療崩壊」など、言葉として理解はしているが肌で感じてはいなかったことを、三人の医師の目を通して「我が事」としてリアルに体験することになる。
 正体不明の感染症に対して、医療従事者はどう感じていたのか。なぜ「わずか百七十四人のクルーズ船患者」が大都市横浜で受け入れきれず、大病院ひしめく関東圏で拒否され、うち一人を遠く離れた長野県の小さな病院で受け入れなければならなかったのか。病院内の反対や家族からの拒絶にあいながら、なぜ消化器内科や肝臓内科や外科など専門外の医師がコロナ診療に従事することになったのか。人手や物資の不足が次第に悪化するなか、一般診療とコロナ診療をどう両立させてきたのか。
 ときおり描かれる信州の風景の美しさと静けさは、医療従事者らが直面する過酷な日常と対照的である。
 繰り返すが、本書は現実が下敷きになっているもののドキュメンタリーではなく創作である。しかし似たような状況が日本のあちこちの医療機関で起きていたことは想像に難くない。不安や葛藤を抱えながらも最前線でぎりぎりの戦いを強いられる者たちの姿を通して(主要人物の名前が軍艦名であるのも「戦い」を意識してのことかもしれない)、医療従事者もただの人間であるという当たり前の事実に気づく。
 前作『臨床の砦』が未読だと話が分からないということもない。既読であれば、本書の読後に前作を再読したくなるだろう。医療の世界を目指す人だけでなく、すべての人にコロナ禍の医療現場のリアルなフィクションを読んでもらいたい。
 著者の作品にはドラマ化された『神様のカルテ』の他に、高齢者医療の現場を取り上げた『勿忘草の咲く町で~安曇野診療記~』や民俗学がテーマの『始まりの木』がある。現役医師でもある著者が多忙であろうことは承知だが、これらの物語についても続編がいずれ綴られることを期待してやまない。
(翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3563 ・ 2022年10月22日(土)に掲載。
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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