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上林香織評 ドナ・バーバ・ヒグエラ 『最後の語り部』(杉田七重訳、東京創元社)

評者◆上林香織
ノスタルジックなSF小説――物語の持つ力が、心に強く残る
最後の語り部
ドナ・バーバ・ヒグエラ 著、杉田七重 訳
東京創元社
No.3599 ・ 2023年07月15日

■夜空を見上げながら、おばあちゃんが孫娘ペトラにお話を聞かせるところから物語が始まる。ときは二〇六一年、あと数日でハレー彗星が地球に直撃するという。地球が消滅する前に、科学者など、ほかの人より価値があると判断された人だけを宇宙船に乗せ、三八〇年かけて居住可能な恒星セーガンへ移住する計画が立ち上がった。おばあちゃんの語る物語が大好きな一三歳の少女ペトラも弟と共に植物学者と地質学者の両親に連れられ、この宇宙船に乗った。宇宙船には、眠りながら三八〇年を旅する乗客の他に、彼らの面倒を見る「世話人」と呼ばれる人たちも一緒に乗船していた。乗客は、「コグ」と呼ばれる技術で、自ら望む知識を直接脳内にインストールしてもらい、カプセルの中で長い眠りに入る。ペトラには、両親の希望で植物学と地質学が、そして本人の希望で大昔から語り継がれてきた民間伝承や神話がインストールされた。次に目を覚ますときは、セーガンに到着しているはずだ。ところが、乗客が眠った後、宇宙船内で革命が起き、「コレクティブ」という単一の価値観が支配する社会が誕生した。地球にあった差別や争いを否定するあまり、肌の色も髪型も考え方も何もかもすべて同じであることを絶対視し、「コレクティブのために」という唯一の信念のもと、乗客の記憶を消し、地球の一切と決別した。革命後、乗客と世話人の関係は逆転する。世話人は、乗客の名前を奪って番号を付け、乗客を必要に応じて覚醒させる。乗客をコレクティブのために働かせ、彼らの持つ知識を活用し、また資産として集積していった。時が経ち、セーガンに到着する直前にペトラが覚醒する番がやってきた。ペトラの持つ植物の知識を使って、セーガンに自生している植物の調査をさせるためだ。しかし、なぜかペトラには記憶が残っていた。コレクティブの役に立たなければ、乗客も世話人も粛清されてしまう。ペトラの両親も「記憶抹消」に失敗し粛清されていた。ペトラはコレクティブの長官ナイラに従順に従うフリをしながら宇宙船からの脱出を試みる……。
 わずか一三歳の少女が、自身の置かれた状況を冷静に分析し、支配者の目を盗みながら脱出計画を綿密に練る。宇宙船という密室、未知の星という限られた世界の中で繰り広げられる緊迫した知能戦は、SF小説として胸躍るものだ。だが、本書は一般的なSF小説と趣が異なる。二〇六一年の宇宙船が舞台でありながら、近未来感を前面に押し出したフィクションではない。装丁もそうだが、本書からはどこかノスタルジックな空気が漂っている。これは、「語り部」の存在のせいだろう。映像でもなく、文字でもなく、絵ですらない、人間の口というメディアを通じて体験する物語には、不思議な暖かさと懐かしさが宿る。地球で語り部だったおばあちゃんは、ハレー彗星の直撃という恐ろしい出来事ですら、ヘビの形をした火の子供がお母さんである地球に再会するという温かいストーリーに変えてしまう。ペトラも、おばあちゃんの教えを守り、物語を咀嚼して自分のものにしてからみんなに聞かせる。宇宙船の子供たちは、地球での記憶を抹消され、インストールされた知識とコレクティブへの忠誠心しか持っていないはずなのに、ペトラの口から出てくる物語が耳に入ると、自然と心の中で情景を思い描く。お話を聞き終わると、面白かったと心を躍らせ、またお話をしてとせがむ。その姿は、現代を生きる子供たちと全く変わらない。やがて、ペトラの語りを聞いているうちに、子供たちひとりひとりの心の内に自分だけの物語が生まれてくる。こうして、わずかながらでも想像力を持てるようになると、ペトラの語る地球にまつわるお話を聞いたり、地球から持ち出した思い出の品を見たりすることで、失っていたはずの地球での記憶が蘇ってくる。想像力が子供たちの閉ざされていた可能性を押し広げたのだ。それだけではない。コレクティブの小さな男の子、ボクシーの心にも変化が現れる。子供たちと一緒にお話を聞いているうちに、「ぼくのお話を手に入れる」んだと、コレクティブを離れてペトラたちと行動を共にすると決心する。お話が育んだ想像力がボクシーの心にも自我をもたらしたのだ。
 こういった物語の持つ力が、心に強く残る。
(翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3599・ 2023年07月15日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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