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桑名真弓評 アリアンナ・ファリネッリ『なぜではなく、どんなふうに』(関口英子・森敦子訳、東京創元社)

評者◆桑名真弓
分断化の進む今を生きるということ――現代の闇に捕らわれた一人の女性とムスリム青年の誇りと情熱の物語
なぜではなく、どんなふうに
アリアンナ・ファリネッリ 著、関口英子・森敦子 訳
東京創元社
No.3581 ・ 2023年03月04日

■二〇一六年十一月、米国大統領選挙の投票日の夜。主人公のブルーナが、息子のマリオにコーランに出てくる預言者ユーヌスの物語を読み聞かせるところから物語は始まる。イタリアからアメリカへ移住後、医師のトムと結婚し、高級住宅街で娘と息子を育てながら、ニューヨークの大学で比較政治学とグローバリズム論を教える四十二歳のブルーナ。順風満帆な人生に見えるが、仕事と家庭の板挟みに苦しんでいる。イタリア系アメリカ人の夫の両親は保守的な価値観を押し付けてくる。夫のトムはと言えば、母親の愛情を得たいがために親の顔色を窺ってばかり。しかも自分が親になる覚悟はなく、子育てには背を向ける。孤軍奮闘、ワンオペで育児をするブルーナは思うように働けず、キャリアの面で同期から大きく後れを取っている。娘のミネルヴァは飛び級をするほど頭がよいが、子どもらしさに欠ける。そして息子のマリオは性同一性障害で女の子の服を着たがり、周囲から浮いている。
 家庭、仕事、子育てに悩みが尽きないブルーナはひょんなことから二十歳の学生ユヌスと深い仲になる。二人はほぼ毎日のように逢瀬を重ね、飽くこともなく語り合う。アフリカ系アメリカ人のユヌスは、狭い世界で生きてきたブルーナに新たな扉を開け、見たことのない景色を見せる。蜜月が長く続くとは思ってはいなかったものの、ある日突然ユヌスと連絡が取れなくなり、ブルーナは不安に駆られる。やがてFBIから、ユヌスはISIS(イラクとシリアのイスラム国)の戦闘員になるために、ルームメイトのモハメドと共にモスルへ向かった、と告げられる。このとき、ブルーナはユヌスの子を宿していた……。
 と書くと、歳の差、人種の差を乗り越えていくラブロマンスかと思うかもしれないが、それは違う。全然違う。もちろんメロドラマの要素も含まれてはいるが、ノンフィクションの要素もふんだんに盛りこまれ、そのバランスがとてもうまく取れている。著者があとがきで述べているように、「いったいどのような遍歴を経て、どのような動機で、西欧の若者が聖戦への参加を決意するのだろうか」と考え、「部分的にではあるものの、そんな疑問への答えを見つけるために」生まれた作品だけあって、一見、柔らかそうだがしっかりとした芯が通っている。ブルーナとユヌス、そして二人を取り巻く人々の生き様、貧しい家庭に生まれ、その後孤児になったものの、必死に這い上がって大学生になったユヌスがISISへ旅立った背景、モスルでのジハーディストの生活ぶりにあっという間に引き込まれ、ページをめくる手が止まらなかった。本作は著者アリアンナ・ファリネッリのデビュー作なのだが、マフィアの脅しをものともせずに精力的に発言を続けるイタリアの著名なジャーナリスト、ロベルト・サヴィアーノが監修したフィクション&ノンフィクション・シリーズ「弾薬庫(ムニツイオーニ)」の第一弾に選ばれたのも頷ける。
 著者のアリアンナ・ファリネッリはローマで生まれ、二十六歳のときにアメリカに移住。政治学で博士号を取り、現在はニューヨークの大学で教えている。主人公のブルーナと重なるところが多く、アメリカに移り住んだ外国人、仕事を持つ女性、義実家との付き合いに悩む妻、夫の協力が得られないワーキングマザーといった角度から、現代のアメリカを活き活きと描き出している。息子夫婦を思い通りにしようとする姑や、マリオを「ホモ野郎」と呼ぶ舅には終始イライラさせられるし、親の顔色を窺ってばかりのトムに関しては「しっかりしろ!」とどやしつけたくなるだろう。だが読み進めるにつれ、トムの両親にもトムにもそうならざるを得なかった経緯があることがわかる。
 本書は登場人物の抱える数々の問題を通して、現代の米国、いや、世の東西を問わず、今を生きる私たちを取り巻く闇、私たちに突き付けられている問題――性差別、性的マイノリティ差別、人種差別、宗教差別、移民問題、社会の分断化――を映し出している。決して声高に叫んでいるわけではないのに、本書を読んでいるうちに、個人的な問題と社会問題がいかに密接に絡みあっているかに気づかされ、「なぜではなく、どんなふうに」闇に呑み込まれてしまったのかを考えさせられる。しかし読了後に覚えるのは絶望ではない。差別を憎んでも差別する人のことは憎まず、手を差し伸べるマリオの姿に一条の希望の光を見る。
 もちろん本書を読んだからと言って、あらゆる問題が解決するわけではないが、まずは知ること、気づくことが闇に明かりを灯す第一歩になることは間違いない。
 トランプ大統領の登場によって社会の差別化、分断化が進んだと言われているが、その一方で少数派に対する理解を深めようとしている人たちがいる。私たちを取り巻く環境の変化に伴って、現代の闇に射しこむ光が増えて欲しいと切に思う。ブルーナの子どもたちが大人になったとき、生きにくさを感じる人が一人でも減っていることを願わずにいられない。
(翻訳者/ライター/アパレル貿易コンサルタント)

「図書新聞」No.3581 ・ 2023年03月04日(日)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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