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中井陽子評 ルイザ・メイ・オルコット『「若草物語」のルイザのヨーロッパ旅物語』(谷口由美子構成・訳、悠書館)

一五〇年前の賑やかな女子旅――『若草物語』の著者が勧める自由な旅と経験への投資

中井陽子
「若草物語」のルイザのヨーロッパ旅物語
ルイザ・メイ・オルコット 著、谷口由美子 構成・訳
悠書館

■本書は『若草物語』で有名なルイザ・メイ・オルコットが記したヨーロッパの旅物語『ショール・ストラップス』に、彼女の別の短編集に含まれるスイスへの旅の思い出を描いた一編を加えたものである。登場人物はお姉さん格のラヴィニア、美しいものに目がない絵描きのマティルダ、フランス語にもイタリア語にも堪能で歴史に詳しいアマンダの三人。ショール・ストラップスとは手荷物をまとめるストラップ(バンド)のこと。大きなトランクを持ち歩くのではなく、もっと身軽に気の向くままに動き回りたい三人が利用した旅の友である。
 『ショール・ストラップス』はフィクションとして発表されているが、ルイザが実際にヨーロッパを一年あまりかけて周遊した経験が下地になっている。旅から戻ると『アンクル・トムの小屋』の作者ストウ夫人から依頼を受け、雑誌に旅行記を連載した。それをまとめたものが一八七二年に『ショール・ストラップス』として出版された。ラヴィニアはルイザ本人。マティルダはルイザの妹で『若草物語』の「エイミー」のモデルだったメイ・オルコット。アマンダはメイの友人アリス・バートレットで、この旅行を企画してルイザを連れ出した張本人である。それぞれの名前の頭文字L、M、Aは、実の名前と同じだ。三人がボストンを出発したのは一八七〇年四月、ルイザ三十七歳、メイ二十九歳、アマンダ二十五歳のとき。ルイザはその二年前に発表した『若草物語』が人気を博し、国外でもすでに名を知られた作家だった。
 オルコット姉妹が生きた『若草物語』の時代は日本では幕末から明治維新にあたり、『ショール・ストラップス』の旅は岩倉使節団が欧米を巡るちょうど一年前のことになる。そんな一五〇年以上も昔の旅行記なのだが、読めば現代でも十分共感できる活き活きとした女子旅の様子が目に浮かぶ。年は違えども皆対等で、ユーモアあふれる三人の個性が際立っているからだろう。現地の人々との交流を通じて感じたことや面白おかしいトラブルの数々が多く描かれている。大聖堂や中世のお城、有名な美術館にアルプスの雄大な景色など、今もヨーロッパを代表する観光地でうっとりしたり、ケチをつけてみたり、感じたままを言いたい放題なのも楽しい。女三人、お供なし、ガイドなしの自由奔放な女子旅の物語を満喫してほしい。
 もちろん、当時の時代背景も随所に感じられる。大西洋を渡る蒸気船での旅の様子。到着したブルターニュはまだフランスに併合されていない公国として独立していた。スイス滞在中に普仏戦争が勃発して街に難民があふれたり、イタリア統一戦争で王国に併合されたばかりのローマではテヴェレ川の氾濫に見舞われたりといったアクシデントもあった。
新大陸に渡った清教徒の子孫である彼らがカトリックの国々をどう見るのか、そんな観点からもこの旅を楽しむことができる。風習や食事の違いに最初はとまどうものの、しまいにはすっかり魅了されてしまうのだ。
 旅のあとにラヴィニアは記す。「世の中のアマンダたち、マティルダたち、そして、ラヴィニアたちよ、行動を起こすことだ。待つことはない。男性にかしずくことなく、蓄えたものを使うことだ。パリのおしゃれなもの、ジュネーヴの宝石、ローマの遺跡、そういうものよりもっと良いものを得るために投資するのだ。ふるさとへ帰るときはトランクが空でもよい。そのかわり、あなたの頭には前にはなかった新しい考え、広い視野や思想が育ち、心には世界の人びとを同胞として考えられる豊かな寛大さが生まれ、その手は、神が人間に与えてくださった人間性を大事にするために働きたくなり、魂は、芸術の驚異の美や自然の作り出す、神聖を超えるほどの神秘に触れて飛翔するだろう。」自立した女性の象徴として今も輝き続けるジョー・マーチを生み出したルイザならではの強いメッセージだ。訳者の谷口氏は原書のこの部分を読んで共感し、この本を翻訳したいと強く思ったとあとがきに書いている。
 『若草物語』は半自伝的な物語であり、オルコット家もマーチ家同様に家族愛にあふれていた。だが伝記によれば実際の生活は厳しく苦難の連続で、ルイザは若いころから働き詰めで一家の家計を支えた。南北戦争中にワシントン郊外で看護婦をしていた頃に罹った病気とその治療がもとで身体を壊し、作家として成功したあとも体調不良が続く。この旅物語のラヴィニアも具合が悪くよく寝こんでしまうのはそのためだ。一方、妹のメイはこの旅のあと絵の勉強を続けるために独りロンドンに残る。本書には彼女がヨーロッパやマサチューセッツで描いたスケッチ五点が掲載されていて、物語をよりリアルに感じることができる。そして『若草物語』の主要人物のひとり、ジョーの親友でエイミーと結婚することになる隣人ローリーだが、彼は複数のモデルからなる架空の人物で、その一人である青年との出会いがこの本の最初の短篇に描かれている。
 時代を超えて愛され続ける『若草物語』の背景を知る手掛かりにもなる本だ。
(英語教員/翻訳者)

「図書新聞」No.3655・ 2024年9月14日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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