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奥田みのり評 エリザベス・ミキ・ブリナ『語れ、内なる沖縄よ――わたしと家族の来た道』(石垣賀子訳、みすず書房)

二つの人種のルーツを持つ著者のアイデンティティを巡る回想記――母親のルーツを知ることは、沖縄を知ること。すなわち、米国が沖縄にしてきたことを知ること

奥田みのり
語れ、内なる沖縄よ――わたしと家族の来た道
エリザベス・ミキ・ブリナ 著、石垣賀子 訳
みすず書房

■ヨーロッパ系とアジア系、二つのルーツを持つ子は、どんなふうに自己を形成していくのだろうか。本書は、二つの人種のルーツを持つ著者が、アイデンティティといかに向き合ってきたのか、その半生をつづった回想記である。
 著者はイタリア系アメリカ人の父親と沖縄出身の母親を持つ。父親は、ベトナム戦争従軍後、沖縄のナイトクラブで働いていた著者の母親と出会い結婚した。母親は、米軍占領下時代の沖縄生まれ。中学を二年で退学して、クラブ勤務ができる一六歳になるまで工場で働き、家計を支えた。一九七四年、二人は結婚、八一年、米国で著者は生まれた。
 人口の九九%が白人だというニューヨーク州フェアポートで育った著者は、同級生からの人種差別発言やいじめをうけながら十代を過ごす。みんなと違う1%だと思われたくなくて、「オレンジ色の髪の子」にも「ピアスをいくつも耳にしている子」にもなったのは、アジア的なものとは関係のないキャラ獲得のため。家に来た友達が、母親の貯金箱からお金を盗んでも気にしない。白人の友達ができたことが嬉しかったから。
 アジア的なものの排除は、母親の否定にもつながる。娘の名前「エリザベス」を正しく発音できない母親のことを、娘は友達やその親たちと一緒になって笑う。インテリの父親とは、政治や宗教、あらゆる話題について「完璧な英語」で議論ができるのに、母親とはできない。母親が人から笑われたり、軽蔑されるのは、弱い人間だから仕方がない。自分は母とは違うと、著者は思おうとした。
 だがある日、父親と娘の議論に入れない母親が泣き崩れた。その姿に、著者は自分自身を見てしまう。母の生きにくさと、自分の抱えている生きにくさは同じなのかも。これが、母親のことを知りたいという原動力になっていく。
 母親のルーツを知ることは、沖縄を知ること。すなわち、米国が沖縄にしてきたことを知ること。沖縄を知るにつれ、白人視点で世界を見てきた自分の見方に疑問を抱き始める。沖縄が日本から支配され、抑圧され、捨て石にされてきたことを知る。両親が新婚旅行で訪れた東京で、母親は自分の話す日本語から、沖縄出身だとばれることを恐れて、決して道をたずねなかったという。
 二十代後半、恋人の家族が暮らすカンザスに引っ越した著者は、彼氏との人間関係のなかでしか生きられない自分を、米国社会に馴染めずにいた母親の孤独と重ねる。十二歳で、初めて母方のいとこたちに会ったとき、日本語がわからなくて、孤独と怒りと、沖縄に連れてきた母親に対する憎しみの気持ちでいっぱいになったことを思い出す。米国にいるときの母親の気持ちは、こんなふうだったのかもと。
 そして考える。「父はあらゆることを学び、わたしに教えたのに、どうして日本語を学んでわたしに教えなかったのだろう」
父親は、娘を「教養あるアメリカ人」にするための努力を惜しまなかった。だが、そこには「母のように異分子扱い、邪魔者扱いされる人間にはさせない」という父親の願いがあり、「父がそうやってわたしを育てることが、わたしの自分に対する見かた、母に対する見かたを複雑にし、母とのあいだにさらに隔たりを生んでゆく。そのことが父にはわからないし、わたしもわからない。そしてわたしは長いことわかろうとしな」かったという、著者が年齢を重ね、母のルーツを知ろうとしたことでたどり着いた一つの結論に到達する。
 母親が愛されていなかったわけではない。ただ、父親が考える「教養あるアメリカ人」には、母親の母語や文化への理解は含まれていなかった。
本回想記は、基本的には「わたし」を主語にして進む。彼女の内面の複雑さに読者は肉薄していき、著者との深いつながりを獲得する。彼女の半生を語るのに避けられない人種差別や自民族中心主義(エスノセントリズム)といった大きなテーマは、最小単位の「わたし」が語るからリアリティがある。
 一方、沖縄の歴史に関する章では、「わたしたち」や「われわれ」が主語に変わる。訳者あとがきには、著者は「半分沖縄人の自分が白人側の自分に向けて『こういう歴史があったから今のあなたがいるんだよ』と語りかけるつもりで書いた」とある。沖縄の歴史を知る過程では、「白人至上主義のからくり…を理解するにつれ、わたしは白人でいることを拒絶しようとした」「わたしの半分は、無罪でいるためにもう半分の自分を利用する」と罪悪感から逃れたい心のうちを吐露している。「わたしたち」「われわれ」の語りから感じる著者との距離感は、そのまま著者の心情の揺れ幅なのだ。
 最終的に著者は「償いと許しはどんな形をとるのだろう?一人の人間において、家族において、国において」と問い、母親への謝罪から始める。覚えたての日本語で母親と言葉を交わすシーンには、母娘の心の響き合いが見える。身近なところに変化を起こすことが、償いと許しに対する著者の一つの答えなのかもしれない。
 奥田みのり(『若槻菊枝 女の一生』著者)

「図書新聞」No.3641・ 2024年6月1日に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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