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岡崎郁奈評 リチャード・ラング『彼女は水曜日に死んだ』(吉野弘人訳、東京創元社)

評者◆岡嵜郁奈
決して解けない人生の謎――生きるとは何なのか
彼女は水曜日に死んだ
リチャード・ラング 著、吉野弘人 訳
東京創元社
No.3578 ・ 2023年02月11日

■リチャード・ラングの『彼女は水曜日に死んだ』は、絶望と希望のはざまでもがく様々な人々を描いた短篇集である。作品の多くはヒスパニック系住民の多い南カリフォルニアを舞台とし、各篇に殺人の目撃者、監獄の看守、賭博師、前科者、盗掘者など、犯罪と何らかの関わりをもつ者が登場する。だがいわゆる犯罪小説ではない。謎/ミステリーは何一つ解かれない。むしろ読めば読むほど深まっていく。
 十の収録作はすべて設定、登場人物ともに異なるが、同じテーマをもつ作品が対を成す。
 例えば、巻頭の「悪いときばかりじゃない」と五篇目の「夕闇が迫る頃」は、どちらも職と収入はあるが現状に満足できずにいる〈中年にさしかかった男の鬱屈〉を描く。「万馬券クラブ」と「聖書外典」は、〈落伍者の捨てきれない希望〉について、「すべてのあとに」と「灰になるまで」は、〈若者の憂いと老人の郷愁〉についての物語である。順序に規則性はない。本を読み進めるうちに、ふと先に読んだ作品を思い起こし、その作品を読み返すと、共通のテーマに気づく。テーマがくり返されることで、主人公たちの人物像が重なり、物語の印象が際立つ。
 登場人物の多くは若さを失い、下層社会で生きる庶民である。過去に犯した過ちを悔い、ままならない現在に惑い、はかない未来を手探る。
「何がいけなかったのか?」
 この問いが全篇を通してくり返される。問いをとおして描かれるのは、主人公たちのやるせないつらさ、悲しさ、切なさ。見栄えのいいところだけを切り取って加工しアップロードする世界とは反対の、ありふれた人生のあるがままの姿である。
 ラングの文体はソリッドで潔い。難しい言葉は使わず、短い文章をつなげて、立体的に世界を立ち上げていく。カリフォルニア生まれ、長年ロサンゼルスに住む作者が知り尽くした街並みやその風景が、エコーパーク、ハリウッド大通り、ローレル・キャニオンなど、実在する地名とともに描写される。叙述はリアリズムを基本としているが、時おり詩的な表現がさし挟まれる。ことに空の描写は心に沁みるように美しい。
 九篇目の「甘いささやき(Sweet Nothing)」は、二〇一五年にアメリカで刊行された本書の表題作である。深夜のファストフード店で働く「おれ」は、かつて麻薬に溺れたホームレスだった。それ以前は家族をもち、年収十万ドルを稼いでいた。だがそのすべてを失って自身に問う。
「なぜおれなんだ? 次はどうなるんだ? どこで終わるんだ?」
 ようやく普通の生活を取り戻し始めたとき、懸命に生きていた友人が死ぬ。路上で死ぬはずだった自分はなぜか生き残った。最後に主人公はつぶやく。
「なんてこった。すべては謎だ」
 ある程度の年齢になれば、誰しも彼のような思いにとらわれたことがあるのではないか。
 この短篇集に収められた作品は、どれもそれぞれのやり方で人生の謎を物語る。謎は決して解けない。むしろ物語を重ねるにつれて深まっていく。深まるにつれて、主人公をとおして読み手に伝わる感情や感覚はより切実に、鮮やかになる。十の物語を経て本を閉じたあと心に残るのは、切なくてなぜか少し甘い余韻である。謎は残ったままなのに清々しくもある。生きるとはそもそも何なのか。絶望と希望のはざまでもがけばもがくほど深まるこの謎を、誰も解くことができないからこそ、私たちは様々な物語を欲するのだろう。
 本書のエピグラフは、シェイクスピア『リア王』からの抜粋「神々よ、私生児に味方したまえ!」。であれば表題にあるNothingとは、あの悲劇でくり返し発される‘Nothing’を暗示するのか。最後の短篇「灰になるまで」では、炎に立ち向かう老人が『ハムレット』の名セリフを口にする。
 泣きながらこの世に生れ落ち、いつか必ず死を迎えるすべての人にとって、『彼女は水曜日に死んだ』は、人生の謎に満ちた極上の“ミステリー小説”である。
(翻訳者/語学講師)

「図書新聞」No.3578 ・ 2023年2月11日(日)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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