隙自語note、、、、、

文体がキモくならないように気をつけます。。。

高校生

高校はオタクに寛容だった気がする。個性的な人も多く、とても楽しい日々だった。

3つの部活に入った。放送委員会とワンダーフォーゲル部とフォークソング部。
元々入りたかったのはフォークソング部という名の軽音部。俺の音楽歴はアニメの主題歌から始まったが、そこから邦ロック等にハマっていって、自分でも演奏したいと思うようになった。カラオケも好きで、音楽が自己表現に繋がる気がしていた。

フォークソング部に入るまでの間、なんとなく寄った放送委員会に入ることに決めてしまった。理由は2つ。1つ目は声の表現をやってみたかったから。前述の通り、俺はアニメが好きで、かつカラオケも好きなことから、声による表現に興味を持ち始めていた。それを実現できそうなのが放送委員会での活動だった。2つ目の理由は、先輩が優しかったから。中学では男子テニス部を率いてきたが、ここで女の先輩の優しさに触れてしまったのだ。

ワンダーフォーゲル部は、別の言い方だと山岳部。とにかく顧問のプレゼンが上手かった。大自然に触れながら、テントで語り合う青春ってのを味わってみたかった。

この3つの部活に入ったわけだが、やっぱり忙しかった。基本的には放送委員会が激務で(校内の業務と、部活的なコンテストに向けた活動があったため)、他の部活はその合間にやる感覚だった。もちろん、勉強も楽ではなかったので、結構ギリギリな科目も増えたりした。
でも楽しかった。ワンダーフォーゲル部は、本当に山行のときだけ参加するという感じだったけど、いろんな山に登ったし、語らったし、スマブラもしたし、スキーしたり島生活をしたりもした。
フォークソング部では、部室ライブの他に、外部の人やクラスメイトも来てくれる一大イベントの文化祭ライブ、定期的な箱ライブや、合唱祭での演奏、新入生向けオリエンテーションでの演奏など、色んな場面での演奏をさせてもらった。もちろん演奏は楽しいが、観客としての盛り上がるのも楽しかった。後にフェスに行きたくなる原体験を植え付けられたのは、このときだったのかもしれない。
放送委員会は、顧問が厳しかった。テスト前なのに原稿にダメ出しされたのをよく憶えている。自分の足で取材して原稿にまとめたり、音声素材を編集したり、カメラのアシスタントをしたり、ここでも色々やらせてもらった。

高校はいろいろな経験をしたし、オタク濃度が増したし、イジられキャラももっと濃くなった。

大学に入ったら、一人暮らしをしようと決めていた。父親のように家事のできない男にはなりたくなかったし、地元から離れてみたかった。父親のいる実家から出たかったのもある。大学受験時も、授業のない日に皆で学校に自習しに行ったりして、意外と楽しかった。でも、当初は数学のセンター模試ができなくて凹んだ記憶もある。「勉強できるいいやつ」なんて、ずっと続けられるわけではない。なんとか頑張って、志望大学に行けそうなくらいにはセンター試験は取れるようになったが、あの頃はどうして頑張れたんだろう。

大学選びは、それほど難航しなかった。
一人暮らしをするには、それだけ実家から離れた場所である必要がある。
その時点で千葉や東京の大学は選択肢から外れ、北海道・東北・名古屋・大阪・九州あたりから選ぼうとしていた。そして学部は工学部。自分が理数科目が得意なのは把握していたから、それを社会に役立つ形で学べそうなのは工学部しかないと考えていた。(やりたいことも特に決まっていなかったし)
アクセスとか気候や周辺環境から、なんとなく東北に決めた。


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